「プリンセスミチコ」との半世紀

「プリンセス・ミチコ」から50年
 
株式会社アサオカローズ
代表取締役 浅岡正玄 
 
 「「プリンセスミチコ」の苗が入ってきたから植えてくれないか?」。父は「プリンセスミチコ」の送られてきた箱をトラックの荷台から降ろしながら庭先から声をかけてきた。 私が高校2年の初夏だった。それまで家業の薔薇園の手伝いは草取りや堆肥づくり等がもっぱら私の仕事だった。私が始めて植えた薔薇の苗「プリンセスミチコ」、それまでは薔薇苗を植えるのは大人たちの仕事であった。農場には7棟のガラス温室と2棟のビニルハウスがあった。ガラス温室の内の6棟は建てられてから15年ほど経ち1棟は建てられたばかりの500坪の広さを持つ当時としては大型の温室だ。新しい温室の一角、一番日当たりの良い南東のフラワーベッドの5坪ほどのスペースに60株の「プリンセスミチコ」を植え付けた。私と「プリンセスミチコ」の40数年にわたる関わりの始まりだった。 
 
 「プリンセスミチコ」は1965年に英国王室のアレクサンドラ王女が訪日された際、英国と日本の友好の証しとして当時の皇太子妃殿下、美智子様にエリザベス女王から贈呈された薔薇である。英国の著名な薔薇育種家ディクソン氏が生み出したこの薔薇の作出は1964年、東京オリンピックの開催された年である。1960年代はフロリバンダ系の薔薇が世界の薔薇愛好家に受け入れられ始めた頃であり、花付きの良さ、色彩の豊富さが受け、世界中の庭に植え付けられた時代である。樹勢の良さ、鮮やかな朱色の色彩を放ち、光沢のある葉とのバランスが当時からとても目を引くチャーミングな薔薇として世界中のロザリアンに愛された。この薔薇は日本全国の薔薇園、愛好家の庭先をも飾ることになる。花弁は比較的少ない半八重の優しい香を放つ「プリンセスミチコ」はそれまでの大輪のハイブリッドティー主流の薔薇の中では一際目立つ存在になった。特徴としては、花付きがすこぶる良いこと、樹勢が旺盛で、日本の気候条件では全国どこでも栽培が可能なこと、そして鉢植えでも十分楽しめることにある。それから半世紀の時が経った。
 
 上皇后陛下はこの「プリンセスミチコ」の特徴をよくお話になられ、「花が咲ききったら早めに強く切り込むことで次々と新しい枝が出て、花をたくさん咲かせることができますね。」と薔薇談義をさせていただいた折にお話しされ、そして「大勢の方にプリンセスミチコをきれいに育てていただきたい。」「皆さんにプリンセスミチコの育て方を伝えてさし上げて。」という旨も私にお伝えになられた。
 
 薔薇は昔から世界中の文明の中で重要な花として扱われてきた。古くは紀元前13世紀頃の古代ペルシア、マギ僧族が宗教的な儀式の際に用いたとされ、後にゾロアスター教徒へと受け継がれていく。この頃から初期のローズウォーターが宗教施設を清めるのに使われていたとの事である。この習慣が今でも強く残る中東及び地中海沿岸諸国では今でもローズウォーターは生活の中に強く浸透している。近代になると薔薇は香料から観賞用への重要度が増し、歴史上もそれを反映した出来事が起こるようになる。中でも有名なのが15世紀に起こった薔薇戦争である。赤い花をつけるロザ・ガリカを紋章としたランカスター家と白のロザ・アルバを紋章としたヨーク家の30年にわたる戦争がそれだ。ランカスター家のヘンリーとヨーク家のエリザベスが結婚をし、戦いに終止符が打たれることになるが、この時に誕生したのがチューダーローズである。赤と白の薔薇を組み合わせた紋章は現在に至るまで英国王室の紋章として引き継がれている。
 
私たちに馴染みの深い四季咲きの薔薇は中国の薔薇からの血を引いている。月季花、日本では庚申バラとして伝わったロザ・キネンシスの系統は春から秋まで咲き続ける性質を持っていた。ティーローズの香りと四季咲き性を兼ね備えた最初の薔薇はフランスで生まれた。19世紀後半にフランスの薔薇育種家、ギョーによって発表されたラ・フランスがそれである。十数年前にギョーのひ孫にあたる人物とお会いした。薔薇の育種ビジネスに携われており、その精神とプライドを引き継いでおられた。
 
薔薇にはいろいろな名前が付けられている。都市の名前、人の名前はもちろんだが海外の育種家が日本の名前を採り入れているものもある。「バンザイ」「カブキ」「サムライ」等はとても親しみやすい名前である。人名では「ジョン・F・ケネディ」「ミスター・リンカーン」「シャルル・ドゴール」など、大統領の名を冠したバラや「マリア・カラス」「カトリーヌ・ドヌーブ」「マダム・バタフライ」女優の名を付けたバラは有名である。また、世界各国のロイヤルファミリーに贈呈され、名前を戴いた薔薇には「クィーン・エリザベス」「プリンセス・ド・モナコ」「コニンゲン・ベアトリス」「プリンセス・アレクサンドラ」などがあり、日本の皇族のお名前を付けられた薔薇には「プリンセス・ミチコ」(ディクソン作)「プリンセス・チチブ」(ハークネス作)「エンプレス・ミチコ」(ディクソン作)などがある。これらは先方のロイヤルファミリーから友好の証として日本の皇族方に贈られたものである。
 
 「プリンセスミチコ」はガーデンローズとして皆様に親しまれているが、枝の伸びが良いので切り花としても楽しんでいただける。ただ、流通には乗せ難い花である。一般の方々がプリンセスミチコの生花をあまりご覧になれない所以である。今まで40年以上の栽培経験の中でいろいろなことを試し私の農場の環境にあう栽培方法を探してきた。薔薇は接木で栽培されているが台木の種類をいくつか試した。栽培方法も土耕栽培、ロックウール栽培、ヤシガラ栽培などを試した。それぞれ少しずつ特徴的な差ができたこともあるが、一番効果的であったのは農場を移転して栽培環境を著しく変えたことである。標高1000mの八ヶ岳南麓に農場を移転した。10月20日の皇后陛下のお誕生日に咲かせるには残暑の厳しい愛知県では高温との戦いであった。富士見高原では一日の寒暖差があり、紫外線も強く、花色をよく出すのには程よい条件が備わっている。この間、10月20日の美智子さまのお誕生日に「プリンセスミチコ」を毎年お届けできたのも幸運が重なったとつくづく思い出される。思ったように咲かせられない時期が少し続いた頃、「プリンセスミチコ」の栽培を断念しようかとさえ考えたときに銀座で生花店を経営する国内の花業界では特に影響力のあった方に相談したことがあった。「浅岡君、絶対にやめてはいけない。日本の花文化の中で一番大切な花だから、絶対に作り続けなさい。」と、強い調子で諭された。それ以降、一度でもやめようと思ったことはない。
 
 2022年は上皇后陛下が米寿をお迎えになられる。上皇后陛下のご健勝をお祈りするとともに日本国民と皇室との深いつながりを育てていけるように一人でも多くの方々に「プリンセスミチコ」、この薔薇の本当の良さを知っていただきたい。
 
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      株式会社アサオカローズ
      代表取締役 浅岡正玄(あさおか まさはる) 

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