「友達」と「仲間」を区別した方がいいと思う話。

「友達」と「仲間」
以前はこの二つを使い分けておらず、似たような物だと思っていた。

しかし、この2つのワードが、全く別だと分かってからは、
肩の荷が降りた気持ちになった。

この記事では、その考え方について書いてみます✏️

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まず、私は絶望的に友達ができない。

一年365日中350日くらいはぼっちで過ごす。
性格診断のMBTIではINTJと出るので、もうそういう性分なのだと思う。

カラオケも🎤、夢の国も🐭、国内旅行も🚄、海外旅行も🛩、
ラーメンも🍜、焼肉🍖も全部1人で行く。
会社のパーティとかはトイレに籠城する。

ボッチキめ過ぎて、大人なのに最近ではイマジナリーフレンドができてしまった。

確かに1人は楽だ。性に合ってる。
週に4日くらいは1人にならないと死ぬ。
だがしかし私もホモサピエンス🐒なので、社会的動物としての性からは逃げられない。

友達や家族などの絆を持った上で、安心してボッチしたいのだ。
(ここテストに出ます)


自ら選んで「孤独」を味わいたいのであって
そうせざる終えなくて「孤立」したいわけではない。

なのに私が孤独になるのは、
シンプルに性格の片寄ってるから。
(見た目は褒めていただけるのでシンプルに性格の問題だと思う)

自己紹介すると文章が膨大になるので割愛するが、私は一癖二癖ある性格をしてるようだ。
「変人/色物/何考えてるのかわからなくて不気味」
この辺が人様からよく言われる評価である。

これも長くなるので本件では省略するが、
「友達」が欲しくて出会いの場に行ったり、努力もした。
ノート書き潰すくらい自己分析を繰り返した。

抗いに抗った結果、たどり着いた答えが

「自分は友達づくりに向いていない🥺」

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「友達」「仲間」の言葉の定義を考える

この2つのワードが違う意味と気づいたのは、
YouTubeで活動されているオタキングこと岡田斗司夫さんのチャンネルに出会ったから。
どの回だったか忘れたが、この件について触れていた会があるのぜひ探していただきたい

辞書をに乗っている言葉の定義
⬇️

【友達】
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人

【仲間】
一緒に物事をする間柄の人。
地位・職業などの同じ人々。同類。

自分なりの定義
⬇️

【友達】
→心地がいいから一緒にいることを選んでいる。一緒に何かすることもあるが、
【一緒にいることが目的の間柄】

【仲間】
→何か共通の目的があって集まって、共同意識がある人。
 好意を抱くこともあるが、憎しみあっていたって目的をともにしているのであれば「仲間」たりえる。
【先に目的があって、それありきの関係】


さらに自分なりに解釈していく
⬇️

「友達」になるには、相手に「一緒にいたい」と思われる必要がある。

※嫌いな人だけどママ友づきあいしてる〜という人もいるが、
力関係や利害関係が生まれてるのであれば、それは「友達」じゃなく、
「ジャイアンとのび太の関係」とか「利害関係者」では🤔

これは、私にとっては至難の業だ。
相手の気持ちがわからないし、さほど興味もないから。
才能がない。絶望だ。

一方、「仲間」になるのに「好感を持たれる」必要はないのだ❗️

場所、所属、趣味、作業など。なにかを共同していれば「仲間」
日本人であれば、「日本の仲間」
漫画が好きなら「オタク仲間」
会社のクソムカつくあいつだって、売り上げ目標をともに追いかける「仕事仲間」


一筋の光を見つけた気がする😭✨

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「友達」はできなくても、「仲間」は作れる。

ダンスが苦手💃、勉強が苦手📓、にんじんが苦手🥕のように、
人には得意不得意、好き嫌いがある。

「対人関係を長期間良好に保つ」なんて高等テクニックかつ、性格要因が強いことなんてそりゃ向き不向き出ますわ🙄

人と人、心と心で繋がれる人は「友達」ができやすいだろう。
逆に趣味とか仕事とか「何かを仲介して、目的意識の中で人と繋がる」しかできない私のようなタイプもいると思う。


そう気づいたので、闇雲にパンピのいる出会いの場に行くのは辞めた。
どうせうまくいかなくて、友達いないコンプレックスを助長させるだけだから。

まずは仕事と趣味にコミットしようと思う。

それらを媒体に、「仲間」を作っていく。
→ 共同作業で繋がりを持つ
→運が良ければその中から「友達」になれる人がいるかもしれない。

これが私の生存戦略なきがしてきました。
もうちょっと悪あがきをしてみます(`・ω・´)

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