【INTJ】他人に感情があると気づいた日

私はあまり他人に興味がない。

こんな言い方をすると「ずいぶん上から目線ですね」って不快に思われてしまうかもしれないので、少し言い訳をさせて欲しい。

周りの人の価値を低く見積もっているから興味がないわけでは決してない。
自分の目標達成>>>>>その他 となってしまっているのだと思う。

「目標を追っている/内省しまくってる/ため、脳のリソースをギリギリまで使っているので他人にまで意識がいかない」のだ。
常にキャパオーバースレスレで生きてる。
"年中繁忙期"であり、"年中受験生"なのだ。


この間、知人(ENFP)が「悩んで頭使ったから疲れちゃって具合悪くなったから考えるのやめた」と言っていて驚いた。
私は生まれてこの方、起きている間は絶え間なく思考が高速でぐるぐる回っていて、思考を止めるなんて不可能だ。
もしや普通は自分の意思で回したり止めたりできるのか???と。
なんなら毎日夢をめっちゃ見るので、寝ている間も考えているのかもしれない。

ともかく、生まれた時から一貫して"脳内引きこもり"なので、
他人が見えていないし、考える余裕もない。

タイトルにある「他人にも感情がある」と気づいたのは小学生に上がってからだ。
この記事では備忘録も兼ねて、その時のことを書いていきたい。

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閃いたのは小学一年生

物心ついた時から、哲学的なことをあーでもない、こーでもないと1人脳内で考えていた。
ハツラツと笑顔で遊んでる子供らしい子供ではなかっただろう。

小学生に上がる頃にはノイローゼ?小児鬱?っぽくなってたと思う。
この辺りは別記事に書こうと思うが、環境や自分の性格、止まらない思考との付きあい方がまだ上手にできなかったのが原因だと思う。

小学生1年生、いつものように校内を1人トボトボと考え事をしながら歩いていた。
ふと、自分が俯き姿勢になっていることに気がつく。

誰でも考え事をしていると下を俯く姿勢になると思うが、年中考え事をしている自分はずっと俯いて生活していた。
そのことに初めて気がつき、驚きから連想が始まる。


「下を向いていたら、もし障害物があっても気づけないかもしれない。それは人生も同じなのではないだろうか?」

と。6、7年しか生きてない子供でも"人生"とか考えるんだね。

「人生も同じ。俯いてばかりいたら、大きな壁が現れても避けられない。前を向かなくては!」

なぜか「姿勢」と「人生」を関連づけさせた答えを出し、姿勢を正して前を向いた。
物理的に視野を広く周りを見渡すと、自分以外いも沢山の子供達が歩いているのに気がつく。

「もしかして、この子達も私が今考え事をしていたように、一人一人何かを考えて生きているのでは、、、、????」

世界の真理を知ってしまった、と雷に打たれたような衝撃だった。

「なんでそのことに今まで気づかなかったのだろう」

私は0歳の頃から保育園に入れられていたので、対人経験が希薄だったわけではない。
今まで沢山に人間に囲まれて、会話をしてきたはずなのに"他人にも思考や気持ちがある"ということに気づいていないかった自分自身に引いた。
もしかして、母も、兄弟も、保育園にいた先生たちも同級生も、みんな何か考えていたのかもしれない。
そう思うとちょっと怖くなった。

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それまでの私にとって、周囲にいる大人や子供たちは、
ゲームで言うところの「NPC」だったのだと思う。
(NPC:ノンプレイヤーキャラクターとは、プレイヤーが操作しないキャラクターのことを指す語である。プレイヤーに操作されるキャラクターを指す「プレイヤーキャラクター」の対義語)

今でも、人生を「RPGゲーム」のようなものだと思っている。
ゲームにはパーティinする主要キャラもいれば、敵キャラもいれば、何度話しかけても同じ回答をする村人Aのようなキャラもいる。
子供の頃から、私が見てる世界や対人感というのはそういうものだったのだろう。

本当に無礼で自分本位な考えだが、当時の自分の気持ちを正直にいうと
「村人Aにも感情があったのか、、、!」
という驚きだったのと思う。

他のINTJ(というか人の気持ちがわからないNT組)の方は似た感覚があるのではないだろうか。
その他、多くの人は"相手にも感情がある"なんてこと理屈で考えなくても、最初から感覚的にわかるのか。
すげーな。私からしたら特殊能力だ。羨ましい。

自分にその特殊能力はないけど、
幸い人間には「言葉」があるので、アサーシブルコミュニケーションで乗り切りたい。

「私は察っせないが、言葉で言ってくれれば理解するよう努めるよ」

って感じで周りに調和して生きていけるよう戦略を練ろうと思う🥺

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