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備忘録(映画感想文『THE FIRST SLAM DUNK』)

本筋のネタバレはないですが、末端なところのネタバレはあります。

………

本筋にあたる試合の流れが横糸なら、宮城リョータのその試合にたどり着くまでの流れは、縦糸。

リョーちんの生まれ故郷は湘南ではなかった。沖縄だった。

小学生のリョーちんが引っ越すことになったのは、かけがえのない人達を失ったリョーちんの母親の一存だ。

その辛さに耐えきれなくなって、その土地を離れてなんとか凌ごうとする母親の気持ちは、想像に難くない。

だが、私は、疑問に思ってしまった。

なんで、沖縄から湘南?

………

「んなもん、リョーちんの過去は後付けのお話なんだし、引っ越し先が、湘南にならんとあかんでしょ。予定調和ってなもんでしょ!」

と、頭の中の誰かが、呆れた声で、即答した。

それはそうなんだけどね。

でも、もし、私が、リョーちんの母親で、その土地を離れるとしたら、せいぜい、引っ越し先は、大分か宮崎ぐらいなんじゃないかと思ったのだ。

湘南に親戚筋がいたのだろうか。
親しい友人でもいたのだろうか。

いやいや、彼女は沖縄訛りだった。
よその土地から嫁いできたって感じはなかったぞ。

そんな風な手がかりで、小さな疑問を潰しながら、答えを求める自分と対峙する。

対峙したまま、新年を迎え。

あぁ、言い忘れていました。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

………

元旦は、非日常だ。
いつもとは違うルーティンをしても、へっちゃら。

お昼に、お風呂に入った。

今年は、エアコンの暖房をいつまでつけなくても大丈夫か?というチャレンジをしている。

厚着をしたり、床暖房をつけたりはしているけど。

なので、湯船に浸かると、いつもの冬より、カラダ全体が温まる感覚が気持ちよくなり、ついつい長風呂になってしまっている。

トゲトゲした寒さから護られているようで。

そこで、答えが出た。

リョーちんの母親が、何故そんな遠い湘南という土地に引っ越したのか。
遠い土地の中でも、何故湘南だったのか。

………

環境を変えたいというだけなら、九州地方でもいいだろう。

でも、湘南まで離れずにはいられなかったのは、
その距離は、
リョーちんの母親の心の傷の深さなんだと気づいた。

環境を変えたいというよりは、逃げたいという衝動だったのだろう。
それだけ悲痛だったのだ。

単に知らない土地へ行けばいいってもんじゃなく。

遠くへ、遠くへ。

もっと生存本能的な、遠くに離れなければならない衝動だったのだ。

九州地方ぐらいの距離では紛らわすことができない、その程度の距離では逃れられない傷の深さだったのだろうと、思いを馳せた。

では何故湘南だったのか。

東京という都会ではなく、北海道という真逆でもなく。

それは生活圏の中に「海」があった土地だからだ。
自分が生まれ育った「海」に近しい海を湘南の地に見出したからだ。

そういうふうに思えて、
自分の中で合致したら、
不覚にも涙ぐんでしまって、
風呂上がりの髪を拭いたバスタオルで、
反射的に目元を押さえつけた。

……

生存本能的に深い傷から遠くへ逃げたいという衝動と、「海」を生活から手放せないという野生的な直感。

厳密には、「海」というより「海辺」。
「海辺」が自分の生活圏には必要だという直感。

リョーちんの母親にとって、生き延びるために折り合いをつけることができた土地が、湘南だったのだ。

納得した。

納得しすぎて、石田純一と別れて、ハワイへ移住したと聞く松原千明のその時の心情まで想像して、あの人もかなり辛かったんだろうな、と思った。

改めて、ご冥福を祈って、話を戻す。

……

幼いリョーちんには理解できない母親の心情だ。
その振る舞いは、ただの理不尽としか思えないことばかりだっただろう。

それでもバスケに対する小さな思いを胸に秘め続けたリョーちん。
その思いを種に成長していったリョーちん。
カッコよすぎ。

でもごめんね。
20代の頃から胸キュンしていたのは、桜木花道くん。

そこはやっぱり揺るぎませんでした。

……

この映画には賛否両論あるだろう。
あって当然かと思う。

いい映画故の賛否両論だと思う。

私は映像の素晴らしさを抜いても、「賛」に気持ちは傾くけれど、
私がこの映画で知らず知らずに願望していたものを見せてもらえたかと言えば「否」と言わざるを得ない。

原作が大好きで、何度も読んでいるが故の欲望だから、許してほしい。

もし、原作を読まずに映画を観る予定の人は、それはそれで構わないけど、それをきっかけに原作も読んでほしいです。

翔北高校バスケ部が勝ったり負けたりしながら、その映画で描かれた試合に望んだことを知って欲しいから。

あり得ないくらい漫画に対して映画の表現が忠実だったかを、震えるくらい感じることができるから。

映画という表現故に削り取られた部分も、必要ない内容ということではなく、味わい深いものだから。

大晦日に観にいってよかった。
ゆったりと自問自答する時間があったから。

この一年を生き延びる最初の1日目にしては上々。

残りの数日、原作を読み返して過ごそうっと♪

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