本当は怖くない「暴力革命」と「プロレタリア独裁」

1. 言葉狩りと党派隠し(忙しい人は飛ばして2に進んでください。)

 昨今の左派勢力は概して「独裁」や「暴力」等の用語を使うことに消極的になっている。非マルクス主義者のみならず、左派の中にもこういった「語感の悪い用語」に対する誤解を持った人間が多い。もちろん僕も完全に理解しているわけではないけれど…。これらの用語は意味を解説した上で、隠さずに積極的に使っていくべきだと思う。

 それはなぜか。マルクス主義の思想を理解・説明する上で、階級性の表現に最適だからだ。たしかに「プロレタリア独裁」は「働く人々の政権」と言い換えられる。じゃあ「働く人」って誰なんですか、と。バリバリ現場で働きながら同時に金融利益を貪る経営者もある意味「働く人」だけど、プロレタリアではないだろう。

 しかし人々が「独裁」「暴力」「革命」といった物騒な用語にアレルギー的な拒否反応を示すのは当然だ。僕だってそうだ。いまだに「暴力革命」と聞くとどうしても恐ろしいモノに思えてしまう。平和に生きたいよね。この拒否感をどう乗り越えるのか。

 「言葉狩り」で階級性を失うのが正しい答えとは思えない。日共の綱領を見ると「社会主義への前進の方向を支持するすべての党派や人びとと協力する統一戦線」によって社会主義が建設されると書いてある。このフレーズを言い換えるとおそらく「革命を目指すプロレタリアとその他勢力の、独裁ではない戦線」だが、明らかに前者では階級制の概念が抜け落ちている。(僕はそんな中途半端な集団に加わりたくない。)

 だからって「独裁」や「暴力革命」を声高に叫んでアジればいい訳では当然ない。そんな集団が町中にいたら怖すぎる。一部のマルクス主義者はよろこんで聴きに行くだろうが、一般大衆にとっては恐ろしいテロ集団でしかない。(言葉狩り集団よりマシだが、できればこの集団にも加わりたくない。)

 拒否感を打破する最も優れた手段は理論の学習と組織の拡大だ。マルクス主義への理解と党組織にたいする信頼さえあれば、この問題は解決できる。

 当面の方針として、党の綱領では「プロレタリア独裁」「暴力革命」を規定するが、大衆運動の場には持ち込まないのが最善ではないだろうか。この方針を取ると公安やネトウヨに党派隠しと言われるし、実際否定しきれない部分もあるが…。

 どんなに言葉狩りや党派隠しをしたところで、「暴力革命を志向しているテロ組織」「破綻したマルクス主義を信仰するカルト」といった批判はつきものだ。別に公安やネトウヨのレッテル貼りに限った話ではなく、大衆も漠然と上記のようなイメージを持っている。このレッテル貼りを打ち砕くのために、理論学習と組織拡大に努めたい。

2. 「暴力革命」「プロレタリア独裁」って何ですか。

 あくまで現時点での僕の理解に基づく話だが、「物騒な用語」について簡単に解説。ひとことで表すなら「そんなの暴力や独裁とは言えないよ」ってレベルのモノです。

・暴力革命…左派勢力が公安警察に監視され、ネトウヨに叩かれ、一般大衆に忌避される諸悪の根源的用語。そして同時に、現代日本の労働者階級が目指すべき革命の形。これは「テロやゲリラの実力闘争で政権を奪い取る」意味ではない。軍・警察といった「暴力装置」を政治的に解体して労働者の側につけるということ。まぁ今時テロで軍・警察に勝てるわけないよね。火炎瓶とゲバ棒で脅して政権が取れるか、と。「暴力装置」という言葉も叩かれがちだが、悪口ではなく「国家の所有する実力機関」の意味。

・プロレタリア独裁…「独裁」の語感が悪いから、日共では「統一戦線」とか言われている。中ソやかつての北朝鮮の一党独裁も「プロレタリア独裁」を名乗っていてまぎらわしい。労働者が樹立するプロレタリア独裁はもちろんスターリニスト官僚による一党独裁ではなく、労働者階級による「階級独裁」である。資本主義の枠内では形式上は三権分立や国民主権が確立されているが、実際には少数の資本家階級が生産手段の独占をもって社会を支配している。これを大多数を占める労働者階級に移動させるのがいわゆるプロレタリア独裁。その意味では「ブルジョワ民主主義より民主主義的」とさえ言えるだろう。

(補足:なぜ独裁が必要か?)
階級独裁である必要性は様々だが、わかりやすい例を挙げると資本家階級が他国の帝国主義と結びつき国内の革命を妨害するのを防ぐ目的がある。またプロレタリア独裁は革命の目標ではなく、あくまで過渡期の政権としてのみ必要な執権であることも確認しておきたい。

以上

記事の感想、訂正、反論、補足等ありましたら是非@_8njkにお寄せください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?