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なぜキメラアント編は面白いのか

結論から言うと、
”人間の自己矛盾” を ”人間っぽさを手に入れた蟻” の心境から説明することで、「自己矛盾とは人間らしさそのもの」ということを強調してるから。

詳しく説明する前にこの記事の構成について。

この記事では2種類の対比を紹介する。
①「完璧」と「自己矛盾」
(「強さ」と「弱さ」の対比)
②「コルト」と「メルエム」
(「薄い人間らしさ」と「濃い人間らしさ」の対比)

一応知らない人のために説明しておくと、キメラアントというのはジャンプで連載(?)してるハンターハンターというバトル漫画の中で出てくる
「人間VS虫」をテーマにした一編。
戦いが始まる経緯としては、虫である女王蟻がより強い虫(人間の能力を持った虫)を産むために人間を捕食する。それに人間が対抗して決戦が始まる。

人間の能力を手に入れた虫はめちゃ強い。
その中でも一番強い蟻の王、メルエムがとにかく強い。
そんで冷徹無慈悲の極悪非道みたいなやつである。
しかも知能がインフレしてる。囲碁とか将棋とかの国内チャンピオンをルール覚えたてから数時間でボコボコにするレベルのIQ。

最初に書いた ”人間っぽさを手に入れた蟻” とはこのメルエムのこと。
初期の頃は蟻として「食べる」「殺す」みたいな単純な行動原理だけで動いていたのに、ある人間と関わるようになってから人間らしさが強く発芽する。
するとそれまでは単純だった行動原理が変化する。

殺そうと思ったのに、急に殺したくなくなったり。
傷づけようとしてたのに、急に守りたくなったり。

その行動原理の変化を、人間らしさの発芽や成熟と対応させて読んでみるとけっこう面白い。
行動原理が変われば変わるほど、人間らしさがどんどん成熟していく。
ここで、行動原理の変化は自己矛盾が出発点になってるので、前述した結論に行き着く。
「自己矛盾とは人間らしさそのもの」
(あくまで一読者の一解釈です)

では自己矛盾とは何か。
それがこのシーン

冗談抜きに、好きな子をいじめちゃう心理作用とかと大差無い気がする。

このページでメルエムが人間性を獲得するが故の ”複雑な心境変化” を、
あえて思春期の恋心みたいな ”単純な文脈” で描いてるという妙なギャップが作りだしてる溝みたいなモノの、何とも言えない深さが、読者を引き込むための奥行きとしての役割を果たしてる気がする。

作者の冨樫(とがし)はメルエムをあえて完璧にしたんだと思う。
なぜなら、これによってギャップが強調されるから。
完璧とは強さの象徴で、逆に自己矛盾は弱さの象徴。
この二つが1人、というか1個体の中で共存することで、人間の持つ自己矛盾みたいなものは、自然発生的でどうしよもない概念だと思わせてくれる。

それこそ呼吸とか代謝みたいな、動物としての本能的な機能に近いということのメタファーとして、蟻という動物を介した人間らしさの説明を選んだのでは?
みたいなことまで思いが巡った。

そんな視点を持ってみると、擬人化系の作品に新しい解釈とかができそうで今後の鑑賞人生が豊かになるような気がした。(過言)

ここまでがこの記事の一つ目の内容。
①「完璧」と「自己矛盾」

ここからは二つ目である
「コルト」と「メルエム」
(「薄い人間らしさ」と「濃い人間らしさ」の対比)
について、

と思ったんだけど、書いててよく分からなくなってきた。
最初に記事の目次として①・②って分けてみたけど、
①の中でほぼほぼ人間らしさのグラデーションについても踏み込んだ気がする。
何より疲れた。
もう眠い。
深夜の4時。
明日1限。
こんなことしてる場合じゃない。
という自己矛盾も許せるような結論を得たので、
プラマイで言うと、ぎりプラス。

ではまた。

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