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くら寿司で白子を頼んだ

行こうと思っていたラーメン屋の営業時間が短縮されていて間に合わないので、代わりにくら寿司へ行った。

独りで回転寿司に行くのはまだ2回目だ。それこそ幼稚園児のころから回転寿司は好きだが、そこはあくまで家族で食べに行くところだった。そもそも一人で何か食べようとなった選ぶのはまずラーメン屋だ(現に今日もその予定だった)。一人飯の候補に回転寿司はそもそも入っていない。

最寄り駅近くにくら寿司が開店したのは半年ほど前のこと。回転寿司自体は大好きなので、オープンの日をいまかいまかと待ったものだ。その割にはあまり行っていない。東京は飯の選択肢が豊富なので、割高感がある回転寿司をわざわざ選ぶ動機は少ない。

席についたときレーンから最初に流れてきたのは「サラダ」だった。魚介類をマヨネーズで和えた軍艦であり、私は幼稚園児のころかっぱ寿司のサラダ軍艦が大好きだった。サラダとコーンばかり食べていた。そんな記憶がふと浮かび、なつかしさが急にこみ上げる。まぁ一人だしと、その後もハンバーグやらコーンかき揚げやらを頼んだ。

タッチパネルで次に頼むものを漁っていたところ、軍艦のページで「たら白子ジュレポン酢」を見つけた。私は大学生のころ地元福島の居酒屋でバイトしており、白子は毎日のよう客に出していたし、自分でも何度も食べた(ちなみに福島では鱈の白子を「菊」と呼ぶ)。客単価5000円の高めな居酒屋だったので出している白子も質が良く、文字通り濃厚な逸品だった。もはや物語ほどに抽象度が増した幼稚園時代の記憶ではなく、今度はまだ実感を伴っている大学生時代の記憶が刺激された。優しい気持ちになりつつ、迷わずにたら白子ジュレポン酢を一皿注文した。

恒常的に皿が回っているレーンの上、注文品用のレーンの上を滑走して白子が届く。インターホンで注文し席番号が書かれた皿が通常レーンから流れてくる時代を知っているので、この技術の進歩には今でも驚いてしまう。手を伸ばして皿を取ったが、瞬間的に異変へ気づいた。この白子は、違う。確かに少々凍っているが、そういうことではない。見ただけでわかる。

口に入れた。中身が出てこない。ぐにっと歯形がつくだけだ。噛み切ったが、濃厚な味が舌に伝わることはなかった。

アルバイト先の居酒屋が本当に良いところだったので、上質な魚介類を何度も口にできた。いわゆる「本物を知っている」というやつだ。それでも回転寿司は回転寿司として、別枠のものとして好きだった。だが今回の白子はさすがにちょっと戸惑ったな。「旨さ」には2種類あると思っている。アミノ酸的な旨さと炭水化物的旨さ。前者は味が素晴らしいことでの旨さで、後者は体が求めてしまう科学的な旨さ。ラーメンなんかは割と後者であり、回転寿司も後者だ。なのでサバ食べてもイワシ食べてもまぁ「旨い」と思えてきたが、この白子はそれさえも属せない。

はなから回転寿司に前者的旨さは求めていない。腹を満たして満腹中枢を刺激し、さらに「回転寿司に行った」という体験を消費するために行っている。それでも料理としての最低限の体は保ってほしかったんだな、と今回は気づかされたのであった。

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