もがき続けながら駆け抜けた1年をひとり振りかえる。
今年の1月から人生で初めて日記を書いた。
もがきながら、悩みながら。それでも何とか駆け抜けた。
たくさんの人に出会ったお陰。
人生51年間で、印象深い年になったこの年を日記を読みながら振りかえる。
1月 たどり着きたい星。進む覚悟を決める。
去年の秋、僕の心に湧いてきた「たどり着きたい星」。
僕自身を問いかける場所。僕自身の存在意義。
僕が僕であり続けるための星。僕の生き方。
それを証明する星。
明らかに不可能なこと。あり得ないこと。無謀すぎること。
でも諦めたくない場所。今しか進めないこと。
そんなことを考えながら自問自答を繰り返す。
毎日、できない言い訳が浮かぶ。毎日、根拠のない希望が浮かぶ。
そして覚悟を決める。
どうしても諦めたくないほど、僕の心に火がついたから。
そして自分を鼓舞するため、諦めないため、日記をつけ始めた。
自己肯定感が低い僕。でも承認欲求も強い僕。そして、人見知りな僕。
振り返ってわかった当時の僕はこんな感じだった。
そんな僕を僕が応援している。
日常の小さな出来事を幸せいっぱいに感じている。
そしてSNSで世の中に発信している。
noteも書き始めている。
たどり着きたい星はあっても、無力な僕。
たどり着きたい星は見えても、進む道が見えない僕。
そんな中、とにかくちょっとでも進むと信じられることに挑戦していた。
髪を染める。ジムに通う。野菜を食べる。
映画を観る。音楽を聴く。アニメに感動する。
嫌な仕事もマンション理事会も前向きにやる。
想定外のハプニングも楽しむ。
そして、出会った人に感謝する。
真っ白な雪のように自分の心の浄化をする。
ただシンプルに、思いのままに。
星だけを見て前に進み始めていた。
2月 フワッとした夢。具体性と成果のなさに焦り。
未来を考える。理想を目指す。それを語っているとき、誰かが共感してくれたとき、そんな時間が限りなく好きで、ついつい熱くなってしまう。
こんな性格だから組織で浮いてきた僕。今まではわかる人だけ一緒にいればいいと思ってきた。
その結果、仲間と言える人を増やせなかった。結局、「夢物語」。
本気で夢を目指す勇気がなかった。本気で夢を実現するための努力もしてこなかった。今だから分かる気がする。
覚悟を決めてからたったの1ヶ月。早くも焦りが文章から感じる。
当時通っていたソーシャル・イノベーションスクール「CR -SIS」。
社会課題をビジネスの力で解決する事業計画を発表するのが卒業課題だった。
自分を変えたい一心でこのスクールに通い始めた僕。解決したい社会課題が明確にあった訳でもなかった。
そんな僕が考えた末に書いたのが「埋もれた志を紡ぎ新たな志の芽生を育む教育環境構築」。
個々の大学教員が持っている社会をよくするための志。
その志を大学組織の垣根を越え、地域や企業を巻き込み、様々な社会課題をスピーディーに解決へ導くための、ハブとなるプロデューサー企業といったイメージだ。
その活動に大学生はもちろん、高校生や中学生もどんどん募り、リアルな社会を実感する中で、自身の将来への礎、つまり志の芽生えを育むことを目的とした事業計画だった。
これをやりたいと思ったきっかけは、ミレニアム・Z世代の人との関わりから僕自身が大きな刺激と影響を受けたからだ。
想いを込めたコンセプトムービーもつくった。楽曲はシンガーソングライターの先生のもの。とても攻めた歌詞だけど、深い内容と迫力あるボーカルが僕の想いにピッタリだった。
連日深夜まで書き上げた。発表最終日は徹夜になった。そして書き上げた。
その時は少しだけ自信があったかもしれない。
でも、発表後の講評は厳しいものだった。「想いは伝わったが具体性がない。」
ストレートの硬球が投げられたくらい僕の心に突き刺さった。
自分でも本当はわかっていたけど、見ないふりをしていた僕の足りないところ。「具体性」。
そんなことを幾つかの場所で指摘されたこの月。そして、想いばかり先行して発信していたこの時期。明らかに自分の不甲斐なさと焦りを感じていた。
こんな時に癒してくれたのが教えてもらったアニメ「王様ランキング」だった。
3月 見えない先行きにグレーな毎日。そんなとき「パーソナルブランディング」に出会う。
具体的なプランもなく、夢ばかり語る自分。結果の出ない焦り。早くも心が折れそうになる毎日が続く。
グレーな気分。何かやらなくては。結果を出さなくては。そんな焦り。
この歳から準備もなく走り始めたから当然といえば当然。
見たり聞いたりする言葉、情報をネガティブに考えてしまう毎日だった。
あてもなく、横浜や自由が丘へ行き、街をただただ散歩したりもしていた。
理想も揺らぎ始める。現実的にできることは何があるのか?求められていることは何なのか?そんな他者の評価を基軸に物事を考えてしまう状況だった。
時にはコーヒーを極めようと思ったり、香りやカラーを極めようと思ったり。知識の幅を広げるというよりも、僕が本当にやりたいことは何なのかが自分でわかっていなかったかもしれない。
ソーシャル・イノベーションスクールの卒業課題に淡い期待を持っていた分、打ちのめされた反動が大きかった。
そんな時に、「パーソナルブランディング」というワードに辿り着いた。その時はコーヒーや香りと同じくらいな感じで興味を持っただけかもしれない。
その言葉をさらに調べていくうちに、表参道で「パーソナルブランディング講座」をやっていることを知り、早速申し込んだ。
企業の広報担当の人はもちろん、IT起業経営者や事業継承コンサルタント、そしてスタイリストの人といった様々な業種・年齢の人たちが受講していた。
今まで、自分のことをSNSはもちろん、周囲の人に話すのを避けてきた僕。
自分の強みや弱み、趣味、趣向、価値観など、実は自分のことをよくわかっていなかった。
だから人に自分のことも話すことができなかったのかもしれない。
この講座で迷走し続けてきた僕の心に少しだけ光が見えてきた気がした。
僕の進みたい道を見つける大きなきっかけとなった。
そして、もう一つ出会ったのが「ヴァイオレットエバーガーデン」だった。
制作されて数年経った京アニの名作。
当時は知らなかったけど、今、出会えたのは、きっと僕が観るべき作品なんだと気がした。
心洗われ、生きていこうという気が芽生える作品。
気持ちが前向きになれない時に、気持ちを綺麗な状態に洗い流してくれる、そんな作品だった。
4月 突破口の見えない日々。パーソナルブランディングを実践しながら光を探す。
自分のこれからを見つけられない日々に気持ちが落ち込んでいる。
人とのコミュニケーションもうまくできているか考える毎日。
心の置き場がないことで、芝公園にある増上寺へ行ったり、銀座の金平糖を買ったりして色々と模索していた。
そんな中、パーソナルブランディングに本格的に取り組むことにする。
3月に受講した講座の延長で、自分自身が何者なのか見つけるセッションに通うことにした。
先ずはNPOが発行している「Co-Co Life☆女子部」主催の障がい者モデル撮影会にボランティア参加する。これが兆しへの第一歩だった。
久しぶりの撮影現場。
障がい者のモデルさん、カメラマン、ディレクター、アパレルメーカーの方、そして介護美容の専門家。
みんなイキイキしていた。目が輝いていた。そして一生懸命だった。
とにかく楽しかった。忘れかけていた心の感触。
そして、ここが僕のいる場所だと感じた。
次にどこかNPOの活動に参加するため、ネットで調べる。
僕がやりたいことは何なのか?
活動内容から興味をそそるNPOを探して辿り着いたのがNPO法人ZESDA(日本経済システムデザイン研究会)だった。
グローカルビジネスを促進するプロデューサーの育成を目指す活動をしている。企業人や公務員、大学教員、士業など、様々な人たちが本業と同時並行でパラレルキャリアとして活動していた。
この団体に入り、僕の道となるきっかけを探し始めた。
そして、SNSでの発信にも力を入れた。
ただ単に想いを書くだけでなく、自分はどういう人間なのか、どういう考えを持っているのか。
顔写真や名前、プロフィール内容をはじめ、記事のテーマも定めて発信した。
この段階では、まだ先につながることかわからなかったが、とにかく今できることを毎日進めてみた。
5月 ブランド・マネジャー2級の講座で自分の進みたい道が少しずつ見えてくる。
一般財団法人ブランド・マネジャー認定協会が開講している「ブランド・マネジャー2級資格」の講座を受講する。
パーソナルブランディングを教えてもらった人が講師を務める講座だ。
食品メーカーの人、旅行業の人、システム関連の人、士業の人と様々な人が受講していた。
受講生同士でチームを組み、ブランド戦略を考えるワークショップも豊富にあった。
今までクライアントという立場であったこともあり、自分の考えを周りが受け止めてくれて、実現してくれる環境に慣れてしまっていた僕。
いつしか、他の人の個性を受け止め、自分の個性を表現し、進む道を見出していくことが苦手になっていたかもしれない。
この講座で初めて出会った人たちとチームを組み、課題解決を実践することで、人を知ることとは何かを少し理解できたような気がしていた。
そして、この時期は特に読書をする毎日だった。
自分探し的なこともあり、パーソナルブランディングの一環で推奨された本を読み漁った。
その一つが「鋼の自己肯定感」。
これを読んだことで、今まで自分が自己肯定感が低い人間だったのだとわかった。
そして、何より、この本に出会ったことで気持ちに力が漲ってきた。
この日からこの本に載っていた鋼の自己肯定感作りを始めていく。
6月 進む姿を決める。スタートは2023年4月。それに向けた活動に力を注ぐ。
漠然と思っていた僕の進む道。中身はまだフワッとしているところもあったが、働き方は明確に定めた。あとは進むのみ。後ろを振り向かないことが頻繁に書いてある。
SNSの発信をさらにアップする。人とも繋がっていく。名刺もつくる。プライベート名刺。SNSなどのアドレスを記載する。
人間関係も積極的に築いていく。ブランド・マネジャー2級講座で一緒に学んだ人たちとの再会。そこでまた大きな学びを得る。
飲み会も学ぶ場。そんなことを教えてくれたメンバーだった。
そして、5年前に習っていたドラムの受講生たちとも再会する。同い年で面倒見の良い人がいた。その人のお陰で5年ぶりにメンバーが集まった。
そんな人の有り難さを感じた時期だった。
僕が苦しかった時に、唯一支えになってくれた人。同い年のカメラマン。その人とは年に数回ご飯を食べ、お互いの話をする。お互いに似たような境遇もある。
そして、いつもはっきり指摘してくれる。有り難い存在だ。
ボランティア活動にも大きな動きがある。
栃木県佐野市の藍染に関わる取材に行くチャンスがくる。しかも、ムービーの構成や生産者への取材もさせてくれた。僕の心に昔の火が再び灯った。
引越しもすることにした。進む道を意識してのこと。結構好きだった池袋と離れる覚悟をし、転居先を探し始める。
7月 映像スクール、お金の勉強も始めるが、コロナ濃厚接触者に。気持ちが塞ぐ中、自分の意識の甘さを痛感。
目指す道へ少しでも早く辿りつきたい思いから、この時期、さらにスケジュールを埋める。
今から制作者になれるとは思っていなかったが、一人で簡単なものが制作できるようになりたいと、デザイン・映像制作スクールに通い始めた。
また、今後はお金の収入面や管理をしっかりしなければいけないと感じ、お金の勉強も始める。スケジュールは休みもなくビッシリ埋まっていた。
そんな中、あるきっかけで観たSUPER BEABERのライブのオンライン配信。
前からすごいなと思っていた歌詞。時代感にフィットした言葉。そして、考え方。僕には到底思い浮かばない歌詞に刺激を受けていた。
また、ボーカルの迫力はオンラインでも心に響いた。ライブの熱量も伝わってきた。
パーソナルブランディングでも厳しい言葉をもらった。目指す道へ何をすべきか理解していないと言われている気がした。
僕の本気度はまだまだ全然足りないと痛感した。
追い討ちをかけるように、コロナの濃厚接触者になり1週間自宅へ籠る。この世間と隔離された時間が走り出していた僕を不安にさせる時間となり、家族とも度々ぶつかった。
このことで人との距離も開いた気がしてくる。同じく家族がコロナになった人の話を聞いた。コロナで絆が深まる関係もある。
8月 成果が見えない焦り。自分との戦い。孤独を感じる毎日。
映像スクール、お金の勉強、ボランティア、ブランディング・・・。
何一つ身になっていない。始めたばかりだから当たり前だが、そんな成果がない状態に不安を感じる毎日だった。
自分が決めた道。やりたかったこと。充実した自分になりたくて進んだ道。
それなのに楽しんでいない、ワクワクしていない自分がそこにいた。
こんなんじゃダメだ。人間的に。そんな自分を責める毎日。きっと他の人から見たら輝いているようにはとても見えないだろう。
憂える気持ちが大きくなった時期。
9月 しいたけ占い当たる?良い事と悪いこと。どちらも受けながら前に進む。
自分の道は自分で切り拓く。そう覚悟を決めてから占いを見たり、おみくじを引いたりするのはやめていた。しいたけ占いもその一つ。占いに左右されるわけではないが、前はちょこちょこ見ていた。
ここ最近のブルーな気持ちに負けてしまい、久しぶりにしいたけ占いを見る。
「9月 自分のセンチメンタル成分と戦う」の見出し。「傷つく自分」と「毎日戦っている自分」を分けていく必要があると書いてあった。心配事があっても、とにかく歩きながら考えること、そして踏ん張りどころだから、負けないこと!と書いてあった。
最初は何のことを言っているのか、イマイチわからなかったが、何となく現実になっていった気がした時期だった。
自分の思い込み、思い違いかもしれない。でも、そんな感じもする。
そんなモヤモヤした気持ちが自分をどんどん殻の中に閉じ込めていった。
その一方、心が奮い立つ経験をする。ブランド・マネージャー1級資格講座、アドバンスコースと言われるものだ。
2日+2日の講座と合間に出される課題制作。そして課題の審査。受講してから合格発表まで約3ヶ月間かかる講座だ。
事前に聞いていた通り、まさに事業計画をつくる課題。自分の所属する組織、自分の事業など人それぞれだ。
代々続く家業をブランディングする人。新たな店をブランディングする人。自分の会社をブランディングする人。自分のスキルを広める事業をブランディングする人。そして僕がやりたい道のブランディング。
お互いの課題を発表しながら意見もいう。
そして課題はもう一つ指定されたテーマの計画も提出する。
僕は当時住んでいた池袋をテーマに、次世代フリーランスが高齢者に美と健康と癒しを提供する複合シェアサロンの事業計画を作った。
この2つの課題を通して、ブランディングの奥深さと魅力を再発見するとともに、ブランディングを主にした具体的な道筋が見えてきた。
この講座が僕にとって、今後の道を明確にする大きなきっかけとなるものだった。
10月 出会いと別れ。環境が変わっていく。気持ちも変わっていく。
ブランド・マネジャーアドバンスコースの課題を提出し、燃焼気味の時も束の間。次はインターナルブランディングコースの講座を受講した。
ビジョンや理念が「浸透」する経営成果につながる組織改革を実践する。
協会のサイトに書かれている通り、組織改革のための8つの変革プロセスを学ぶ実践的な内容だった。
想いはあるが、具体性や実践的手法が弱みの僕にとって、アドバンスコースの経験とこのインターナルブランディングコースの経験はすごく自信につながった。
そんな中、この時期は出会いと別れが目まぐるしくあった。
先ず引っ越しをした。
アドバンスコースの課題でとても好きになった池袋。この地を離れ、郊外へ引っ越した。
そして、父親も引っ越す。
元々、施設に入っていたが、母親とは別の施設だった。
父親の残された時間と体の具合もあり、母と同じ施設に入れることになった。
僕の引っ越しからわずか数日後の引っ越しでバタバタだったが、なんとか無事に済んだ。
人間関係でもあった。
最初に就職した広告代理店時代の先輩と約20年ぶりに再会した。ずっと連絡をとっていなかったが、ふと思い立ち連絡したところ、つながることができた。
20年ぶりを感じさせないお互いの距離。やっぱり同じ目線で時を過ごした人とはいつまでもつながっているんだなあ〜。と思った。会ってよかった。
別れもあった。一緒に仕事をしてきた後輩くん。とても優しい人でみんなから好かれる存在。
もっと、もっと活躍できたけど、新たな自分の道へ進んだ。後輩くんの気持ちが痛いほど分かった。
11月 予期せぬ新章の予感。ブランドコンサルタントへの最後の資格。お酒に頼る日々。
ブランドコンサルタントへのスタートラインに立つために3つの資格を目指していた。その最後の資格がブランド・トレーナー認定コース。ブランド・マネジャー認定協会のトレーナーになる資格。
この講座も実践的だった。まさに講師として活躍するための手法を学ぶ内容だ。人に伝えることや人前で発表することが苦手な僕にとっては高いハードル。でも、この資格をステップにすることで、僕の目指す道への距離がぐっと近くなる気がしている。だから何としても取得してトレーナーになりたいと思っていた。
それに加えて、協会が年に1回開催しているシンポジウムにも参加した。全国のトレーナーが自身の事業で実践したブランド構築事例の発表会。どの事例も僕の心を揺さぶる素敵な内容だった。いつかこの舞台に立ちたいと思った。
そんな中、予期せぬ知らせ。この1年間、いや2年以上、僕を変えてくれたことが今年で終わることを知った。
多くの学びの日々、引っ越しなどの環境の変化、出会いと別れ、そして新たな道への不安・・・。
さすがに気持ちが少し疲れていたのかもしれない。毎日のようにお酒を飲んでいた。そして、今年初めて寒気と高熱が出た。
12月 僕にとっての第1章が終わる。51年の人生で一番激しかったかもしれない。たくさんの人、たくさんの経験。ありがとうございました。
穏やかな日々。やはり少し疲れていたのか、自宅で過ごす日が多くなる。
お酒も続いていた。この一年を振り返り、感謝の気持ちに溢れていた。
もうすぐ12月も終わる。駆け抜けた僕の1年間。充実した1年。迷走ばかりしていたけど、必要な時間だったのかもしれない。
第1章が終わる気持ち。でも、本当の第1章はこれからだ。
全力投球。というほど気持ちは高ぶってこないが、一歩一歩進んで行こうと思う。
多くの人のおかげで、本当になりたい自分が少し分かったこの1年。
日記をつけていたことで、振り返ることもできた。
ありがとう。
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