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推しカプができた

全てが自分語りで構成されている文章です。
少々下品です。


私は出戻り腐女子だ。
出戻りといっても元々同人活動をしていたわけではない。
ROM専(創作物をみるだけ)を経て一般社会人として生きていた。



コロナ下で買い物に行く気にもならない。私は暇で、なんのきなしに録画していたアニメを再生した。

そこでのエピソード。最後に、あふれ出る力が暴走した主人公はぐちゃぐちゃになった自室で呆然としていた。
引きの強い意味深な終わり方をする回だった。
制御不能な大きな力に飲み込まれそうになる。少年漫画の文法として大好物だ。


好奇心をくすぐられるとちょろい。なんでも金の力で解決することが好きな私は原作を大人買いした。
主人公はめちゃくちゃプリチーな男の子で、結論からいうとおちんちんをハメたくなる主人公だった。

圧倒的画力から出力される、苦難に立ち向かう、頑張る主人公の姿は確実に性癖にスマッシュヒットをうっていった。
脳筋的えっちしたい(愛したい)という原始的な本能に則り、心のチンチンはバキバキになった。
誰よりももってないのに勇気を振り絞る姿、だれもが持つ憧れという感情、雄々しくも控えめないじらしい姿。
好感を抱くキャラ造形にメロメロだ。作者は天才なのか?
彼をとりまく人間関係は多種多様だった。湿度の高い感情を抱く男の子たちに囲まれ、BL二次妄想をしないなんていうことはできなかった。

極めて一般的な腐女子の性自認というのはどうなっているんだろう。

元々そこらへんの定義はわりとガバガバだった。
とにかく今はイケてる男になって推しのことを愛でたい。今生頑張るんで来世は俺だけのオメガをくれ。運命の番システム。なんてロマンチックなのか。


大多数がこのカテゴリーに位置するとは思う。推し受けは多い(体感)
推しカプの関係性に萌えるのはもちろんだが、そもそもそそられる受けでなければスタートラインに立つことすら不可能なのだ。
普通に食べても美味しいし、恋慕する受け君が最高の攻め君にNTRれている感覚すら覚える。仄暗い喜びに満ちていた。
誰にも迷惑をかけなければ、性癖なんて人それぞれだ。





腐女子というのも、性癖の一種でしかないと思う。
だからこそ、人によって方向性、深度の深さ、スタンスはそれぞれ違うので、相互理解はなかなか難しい。

ただそんな拗らせた存在が、私も含めて普通の顔をして普通の生活をしていると思うと本当に不思議だ。
よくわからない何かに心を動かされている。
どちらかというと心に栄養を与えている感覚に近い。なんでこんなに惹かれてしまうのか。


子供にしろ、夢にしろ、同人にしろ、憧れにしろ、何らかの好きに基づいた対象が自分にとっての心のよりどころになり、生きがいになる。その心が、欲にまみれた偶像崇拝といっても。



原作を読んでみれば、T君は救われたかのような憧憬にも似た感情で主人公を見ているし、B君なんて何かとネガティブ感情をぶつけていた。
えっめっちゃ主人公意識しすぎでは〜??今は自覚していないがいずれ失って初めて分かってしまうやつだ。
わざわざつっかかってくるなんてもう答え合わせでしかない。私は知っている。
愛情というのは憎しみと表裏一体なのだ。攻め君は絶対に主人公に惚れているだろうということを私は確信していた。受け君もそんな攻め君のことを憎からず思っているのだ。

社会人としての生活が忙しいこと、ROM専としてずっと推していたジャンルで15年越しに推しカプが公式に大大大爆破され心のちんちんがEDとなって以来、もうずっとBL二次創作文化とはさよならしていたのに。
三つ子の魂百まで。人間は変われない。
また腐女子になってしまった。


久しぶりにpixivに行き、推しカプ作品を漁った。
はまったらまず小説を読むタイプのオタクなので小説タブに投稿されている作品を2か月くらいかけてすべて読んだ。
とはいえまだまだ取りこぼしている気もする。なにせ千単位で作品があるのだ。幸せだ。

たまにROM用のアカウントで、ブックマークした作品が消されているのに気づいて悲しくなる。
もちろん作者様の意向に従うしかなく、私にはどうしようもないが、推しカプ作品は知的文化財なのだ。残念。


原作の推しカプを自分なりに咀嚼するのは楽しい。
また、大量の腐女子の集団によって作りあげられたであろう推しカプ解釈。
同調圧力すら感じさせるほどの集団無意識によって作られていく推しカプ像。
とはいえ分かってる女ばかり。全てに同意だった。
全ての創作者に感謝を。ARIGATOUという気持ちでいっぱいだった。



pixiv上で摂取できる推しカプ小説をすべて読み切った後、自分でも創作したくなった。

大好きな小説という選択肢はなかった。自分には絶対できないと思っていた。

小論文はその場のノリでごり押しで描き切り逃げ切ってきたし、勉強なんかいらん。作者の気持ちに寄り添っとけば高得点とれるんだわと自負してきた調子こきの私は、母国語というのをまともに学んだことはなかった。


読むのは好きだが書くのは別だ。
文書を書くことに対する苦手意識は強く、読書感想文なんて、特に浮かぶ感想もなく、泣きながら母親の口から出る音の自動筆記人形をしていた。


私は絵の練習をはじめた。昔から絵をかくことが好きで、遠い昔に才能はなかったと筆を折ってもなお私の萌えの出力方法としては絵だった。
うん何年振りに描く絵は下手くそだった。
それでも諦めたくなかった。
こんなに好きになれるものをここで逃したら、もう一生創作することはないという漠然とした予感が、私の回りでタップダンスを踊っていた。



ずっと創作する側に回ることに強い憧れがあった。
やっている人は学生の頃からしていているのに、その一線を私はどうしても超えられなくて、大きな壁を感じていた。
表現したいものなんてなかったからだ。

だから今はすごく満ち足りている。

ようやく好きなものが手に入れられた。たとえそれが、推しカプのえっちが見てぇな〜という俗物的なものだとしても。

同人を始めるには遅咲きであるが、私が自分らしく生きていくために、ようやくスタートラインに立てたと思った。

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