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8歳女児短編集⑤

俺はポルノ中毒すぎる。

日常の楽しい瞬間は下のページを見ている時かもしれない。
 

好みのエロ画像が見つかりますように(七夕)


ロリポルノの見過ぎだろうか。
最近はもう、そういうのを初めて見た時の、こんな!いたいけな子供に性欲を抱いていいんだ!(※駄目です)みたいな、スリルと背徳を含んだ感動が薄れていって、生半可なロリを見ても福利厚生かよ…って気持ちを抱く。
 

福利厚生なガキ

 
こんなのを見ても俺の心は満たされねぇよ。


満足のいくポルノ画像が出るまでオススメをリロードする。
麻雀でド高め狙ってる時のような、圧倒的欲望で……!
 


喰いタン・役牌のみで流さない。
むしろ親のダブルリーチを役満でブッ倒す。


3.5頭身(3翻)      猫耳(1藩)
マイクロビキニ(2藩)   肉球手袋(2翻)
ランドセル(3藩)    リコーダー(1藩)
ニーソックス(1藩)




罪対子(ズイトイツ).


 

意味と価値、世界と存在 最終決着編


完全に理解した。

それらの概念は長らく俺を苦しめ、精神に少しでも余裕が出来ればその隙間に思考として入り込み、楽しめる記事にするつもりの短編集にさえ影を落として「これもう長編集だろ」って感じがしていたが、ついに”納得”出来た。
 

”納得” 

 

まず、
「意味」は「絶対評価」
「価値」は「相対評価」である。

分かりやすく具体例を出して説明しよう。
 

これを初めて見た時の絶望は後述

 
この俳句は伊藤園が公募している俳句賞に紛れ込んだ”異物”で淫夢語録をもじっただけの俳句だ。しかし審査員はそんなこと知らないので勝手に意味を読み取り選評までしている。

つまり、「意味」を考える上での「絶対評価」とは己の基準で意味を定める手段のことを指す。
仮に他人の基準を知ったことで読み取った意味に変化が生じたとしても、その意味は変化した己の基準によるものだ。

 

そしてこの審査員は色んな俳句を見て、その全てに対して勝手に意味を読み取り、その上でこの淫夢俳句を最も優れた———「意味」が際立っていると感じて評価し、選評を与えた。

つまり、「価値」を考える上での「相対評価」とは「絶対評価」により導出した「意味」を比較して、その差に「価値」を見出す手段のことを指す。
「相対評価」の元になっているのは「絶対評価」による「意味」であるからして、価値さえも己の基準で定められている。
 


 

この淫夢俳句を見ちゃった時、偉そうな人がこんなホモがホモに難癖付けた時のセリフを改変しただけのものを評価していることに絶望して文学って無価値なんじゃないかと思ったりしたが、それは間違っていて、「価値の所在」を誤って認識していたことに起因する。
 

「価値の所在」
価値が何処から生い出づるのか

当たり前だが、それは人間というものから生まれている。

 
結局のところ「意味」とか「価値」ってのは無形信仰だ。
無いものが在ると信じ、信じることで定めている。

そういう信仰心を失ってしまえば、途端に世界は無意味・無価値になる。

無形信仰という土俵において、「意味」と「価値」には下限はあれども上限はない。それを決めているのは人間で、人間次第で無にも無限にもなる。

人間が「心」や「記憶」を頼りに信じて、定めているのだ。

 

しかしながら、「心」と「記憶」は変容する。
少しでも心理学の本を読めば解る通りに、本当に些細なことで。

暖かいものに触っているとリラックスし、
冷たいものであれば孤独を感じる。心はいつだって定かでは無い。

誰も世界5分前仮説を否定できず、実際に人間に虚記憶という現象があるように、記憶さえも定かでは無い。

 

そのようなもので定められるものが、定まるわけがない。
「意味」や「価値」は決して、変化から逃れることが出来ない。
 

『無形で不確かなものによって定められる、無形で不確かなもの』

それこそが本当の姿で、
人間が観測する世界はそのようなもので成り立っている。

世界は不確かで、永遠の「意味」や「価値」なんて存在しない。
 


 

そう納得出来た。
 

どうして「価値」は変わってしまうんだろうと考えていて、どれだけ大事に思っていたとしてもそれが持続しないというか。ずっと変わらないものがあればそんな悩みも必要なかったんだけど。

 
俺はやっぱりずっと変わらないものが好きで、不変的な「意味」と「価値」を有した永遠のお花畑めいたものがあると嬉しかったけれど、世界の在り方はその存在を認めないらしい。世界は変わるし、自分も変わる。
 

 

それならそれで、前進しなければ生きられないわけで。
俺が求めた至上の価値が無いならば、別の道を手繰る必要がある。

 

そうやって考えていた時、いやそうやって考えているからか。
この世界においてたったひとつだけ、確かなものがあると思い出した。

これだけは絶対確実なもの。
俺が今、存在しているということ。

自分が存在しているということは、絶対に確かな事実だ。
 


 

誰もが知っている「我思う、ゆえに我あり」という命題がある。

『いかに自分の存在を疑おうとも、その瞬間には疑っている「心」が事実として存在する。「心」が存在するということは、「心」を思考している自分も存在する。』

というロジックだ。

つまり自身と、瞬間の「心」疑いようがなく存在している
 

疑いようがない「心」、これは人が「魂」と呼んでいるものだろうか。
知らないが、俺はこれを「魂」と定義する。
 

 

「魂」こそが「価値の所在」
これが価値が何処から生い出づるのかの答えだった。
 

「意味」があるとか、「価値」があるとかって、俺たち人間はそれを存在に備わっている性質のように語ってきたけれど、「楽しい」とか「嬉しい」とかと一緒で、人間の内より染み出る「心」の一種なんだよな。

例の俳句画像を思い出そう。あの俳句は淫夢を知ってる人間からすると文学的な「価値」をあまり感じないものではあるが、選評者は選評を書くほどにアレによって「心」を染み出させられたらしい。

逆に言えば、人間はそういう自分の「心」を染み出させるようなものに芸術的な「価値」があると考えてきたんだろう。だから価値のある文学はある
 

眠れない夜にフルチンで外出
夜空に向かって舌をチロチロしたらそれはもう星空クンニだな

あ 流れ星

全員死にますように

俺が思う、価値のある文学
(とあるツイッタラーの呟き)

 

じゃあ、俺が求める至上の価値ってのはそういう、疑いようがなく湧いてきてしまった「心」、自分の「魂」を自覚した瞬間にこそあるんじゃねぇか。

永遠の「価値」ではなくて、疑いようがない「心」を抱いた瞬間
 

 
そういった「魂」を自覚するような瞬間こそが「負けない価値」だと。

後ろ向きに連続性を確認するのではなく、「価値」のある瞬間瞬間に立ち会い続けることで「魂」を繋いでいく。

変わってほしくないものが変わってしまうことや、永遠なんて存在しないことを受け止め、「意味」や「価値」を含んだ「心」が最も際立つ瞬間を繋いでいくことが、「心」なんてものを持った人間の宿命なのだろう。

 

それでも、その営みの中でもこのツイートみたいに過去と現在を繋ぐ連続性を確認出来たら、素敵だ。
 

 

人生は楽しかったり、虚しかったりするのは
瞬間の「心」が至上で、その瞬間から遠ざかるほどに「意味」と「価値」が際立ちを無くしていくからなのかもしれない。

俺達人間は「無限大の価値」を持つ「魂」から「心」を、「意味」と「価値」を瞬間ごとに引き出しているのか。

だから「心」が動いた対象に「価値」があるように感じると。

 

だから「人生は楽しんだもん勝ち」って、そういうことなんだろうな。

 
そんなこと世間一般では当たり前の法則だし、人間が生きていく上でもっとも大事なものは「魂」だ、なんて俺自身が散々言ってきたはずだったんだけど、やっと魂からではなく、魂へと向けて”理解”できたのかもしれない。
 

"納得”

「心」に価値があるということが解れば、全てが楽しめる。苦しみから逃れることだけを考えて「心」に凪をつくる人生よりも、それが苦しみによるものだろうと「心」を波立たせる人生の方が「価値」がある。

 
人生は瞬間瞬間の「魂」に従って、良い状況だろうが悪い状況だろうが、そこに全てを賭けてこそって事だよな。

 

ポルノ中毒状態の俺はこうだ。
 

Q.この世界に価値は?

ありません!

Q.エロにも?

エロにはあります!

 

賢者状態の俺はこうだ。
 

Q.この世界に価値は?

ありますね。動物たちが住む自然や森を護りたい。

Q.エロには?

ない…… ですかね……

 

この全てが「俺」、ということなんだな。
 


 

これで決着したと思っている。
 

実は、この「全て俺」という結論に辿り着きたくて、ずっと小難しいことを考えて、それを記事に書いていました。

過去の自分と現在の自分の差異により生まれてくる自己矛盾の解消が出来なくて、自分と世界の「意味」や「価値」がよくわかんなくなって。
前の短編集で話したけど、「俺は何者なんだよ」って感じ。
 


詳しく話すと、
 

ロリコン1本でかましてきたはずの「俺」を構成するものが増えたり、ロリを好んでいた理由を深く知ることでロリ自体に感じていた「意味」とか「価値」が変わってしまって、少しずつ思考が変化して、ロリコンとして生きたいのに、もはや俺はファッションロリコンになってしまったのではないのか……みたいな認知的不協和。

全てが否応が無しにうつろいゆく世界、それに対して如何に「俺」を持ち続ければいいのだろうか……みたいな話だったんよね。以前に俺は、俺からロリコンを抜けばゴミになると書いたが、それを恐れていた。
(世間的には燃えるゴミが燃えないゴミになるだけだろう)
 

俺はファッションロリコンじゃない!という気持ちがあったけど、それも含めて「俺」なんだな。それでもpixivとかでロリに興奮してる瞬間の「俺」が居る限りはロリコンでもあるって事やね。
 

ペルソナ4か?

 

価値の大放出編

 
今まで秘匿していたものがいくつかある。

「それらを俺だけの価値があるものにしておきたかった」
という、余りにも己が「魂」が弱かったことに起因するものだったのだけれど、もはやそれをする必要がなくなったので放出していくことにする。

そんな女々しい自分の精神性を護る必要はもう無くて。
そんなものよりも、「🐶」とか「🌳」を護るべきだと思う。

 

①1番面白いnote記事

読んだら分かる。楽しんでるのが解るし、読んでて楽しい。

オタクが好む、オタクの文学って感じで、
無駄なく面白くて、素直で、気持ちと現実の対比が上手すぎる。
1番面白かった記事であることは疑いようがない。

 

②1番良い3Dロリポルノ動画

良かった!!

個人的に詳細を聞いて頂ければお答え致す。
下手に情報を広げすぎるとロリポルノは消されちゃうから…

「🐶」とか「🌳」より、
こういうものを護っていくことで「世界」は良くなっていくと思わないか?

 

③1番可愛い3Dモデル

 まめふれんずシリーズ
キプフェル
 

”良い”

何回見ても初恋の女の子に一目惚れした瞬間みたいな情動を感じる。
これが俺の「魂」が好む造形なのか。これが本当の自分ってやつなのか。

ついに掴んだ。
 

 
 

亜麻色の髪が好き、なんとなく緑色が好き、っていう自分の「魂」は理解していたんだけど、それと萌えガキが合わさるとこうなっちまうんだな。

しかもこれ、VRChatなら自分がこの姿になれると。


なりてぇ~。
自分の目じゃなくて、キプフェルちゃんの目を通して見た世界はもっと美しいと思うから、キプフェルちゃんになりたすぎる。
 

なったぁ!

 
やっぱロリアバター着てると目線がクッソ低くなるのが”良い”ね。
結構な頻度で上を向かなきゃいけないので首が痛くなるという。

だけど、その痛みが嬉しいんだよなぁ。
「あ、今お腹蹴った♡」と同じ理屈の幸せだと思う。
 

人の見た目、身体的スペックって変わってほしいように変わってくれないものだと思うんだけど、そのせいで学習性無気力みたいになっちゃって、自己表現をする時の自由度が損なわれてるような気がするんだよな。
 

けれどVR空間だと自由なアバターを選択することで実質的に肉体という「枷」から解き放たれて、本当の自分になれるというか。

日本人が美少女になりたがる理由はそこにあると思っている。
 

みんな美少女になってるせいで逆に精神的スペックがめちゃくちゃ重要になってるってのはあるんだけどね。全員が行動や発言に美少女バフつけてるから、”誰が”という「意味」から生まれる「価値」は無いに等しいし、楽しもうとしない限り楽しめないゲーム性をしてるから、「心」を生み出す能力が重要な世界だ。


俺はてんで駄目だな。面白い話は出来ねェし、unityも出来ねェ。
女の声が聞こえてきたらスッとその場を離れる。

仲間が居ねぇとこの世界でやっていけない自信がある!

 
俺と一緒に””世界””をひっくり返さねぇか?

 

 
強くなりてぇ

 
 

④1番面白い遊戯王動画シリーズ


面白ければ何をやってもいいを極めた、ありえん自由な動画シリーズ。DLsiteから文明社会が芽生えたら日常会話はこうなると思う。

この動画のおかげで俺はアンチ気味だった「メスガキ」と「オホ声」に感じていた「心」が変わったね。


メスガキのオホ声はみんなを笑顔にする為に。

 

萌え座談会


noteの知り合いに誘われて、ひたすら萌えについて話し合う座談会に参加してきました。

俺が以前に書いた萌え記事を読んでくれた人が企画して、俺が萌え記事を書くきっかけになった同人誌に寄稿した人を呼んで、3人で「萌えって結局のところ何なんだよ、これからどうなるんだよ」みたいな話をしています。

俺は俺なんだ。

 

もはや古今東西を巡り、あらゆる萌えを網羅してやる!みたいな情動も無ければ、当時のようなプリミティブな感動も無いんだけれど、それでも萌えを感じる瞬間があると嬉しいか。

 
パチンコメーカーが急に出した萌え萌え宣伝キャラクターを見た時には

真実マジ!?” 暴走族神”ゾクガミが…!!?
"幻想"ユメじゃねぇよな…!
オレ達の"黄金時代"オウゴンが還ってくる…!!

みたいな気持ちになったし。
 

ビジュアル💯
Xアカウントはパチスロの収支報告をやめろ

 
この記事より1か月くらい前に行った座談会で、俺が”最終決着”する前なので「意味」とか「価値」までは踏み込めてはいないのですが、そもそも

「萌え」→「意味」や「価値」→「心」→「魂」

みたいな流れで発狂した文章を書き続けていたので、座談会で語っている内容は全ての始まりになった思考の流れ何ですよね。

今なら、萌えって日常にある小さなスペクタル、魂を感じる瞬間みたいなもので、オタクと二次元存在の間だけに発生する特別な「価値」だったんじゃないかって思うな。

55歳の男性が「萌えとは人生の彩り」と答えてるのを見た時は何言ってるんだコイツって感じで、お洒落ぶってんじゃねぇぞと思っていたんだけど、今はなんだか解るような気がしている。

やっぱり、俺消えるのか?
 

萌えとは人生の彩りなり

 

人と会話するのには慣れていない。だから文字を書いてるみたいなとこがあるんだけど、そんな俺の喋りはこんな感じだった。
 

企画が送ってきた俺の声.wav(のjpeg)

 
「🤓」すぎる、「🤓」すぎるな……
 

録音データの俺の音声聴いても、この画像を見ても、基本ボソボソ喋ってるのに急にデカい声出してる「🤓」すぎる。

けど文字起こしした文章を見ると、俺が「🥸」に見えて良かった。
 
「🤓」でも「🥸」になれるという「希望」があるね。
 

萌えに興味がある・興味がないをおいて、
そういうものも感じ取ってくれたら嬉しいと思った。

ロリコンと萌えの話も語ることが出来たし、小難しい話もできたし。
「俺」として、「価値」を残せたんじゃないだろうか。 

多分、萌えの考察は今後しないと思うので最後に読んでやって下さい。
 


ロリコンを楽しもう編

 

 
discordサーバーを建てました。

凍結の恐れなく
(重要)、ロリコンたちが集まって楽しいことが出来たり、情報の共有が出来たら良いなって思います。
 

取り敢えず人が集まれば『こどものじかん』の視聴会をやる予定です。
ネットには規制版しか無くて、映像も音声も飛び飛びだから第6感が無いと内容が理解できないので。
 

ニュータイプ専用ロリアニメ

 

メンバー募集は随時していく。
こっそり募集していく。

ロリコンを楽しめたらいいと思ってるし、きっと楽しめる。
楽しむつって、1番活発な場所が此処にならないで欲しいけれど。
 

 



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