しばたの恩寵
僕としばたは週に2、3度顔を合わせる関係だが、僕がしばたについて知っていることはとても少ない。
僕の職場から家までの道のりに、1軒だけコンビニエンスストアがある。
仕事帰りに立ち寄ると、レジには必ずしばたが立っているのだ。
しばたは色白でやせ型の男で、あごに大きなほくろがある。後ろ髪や耳周りを綺麗に刈り上げているが、ツーブロックと呼ぶにはあまりに品行方正な髪型だ。ワンサイズ大きい制服のシャツに、ベージュのチノパンとスニーカーを合わせている。胸のネームプレートには「しばた」とのみ書かれており、僕は彼が「柴田」なのか「芝田」なのかさえ知らなかった。
コンビニの自動ドアをくぐると、しばたはいつも「しゃせんばわあ」というベテラン店員用にカスタマイズされた挨拶を発声する。その際彼は決して僕の方を見ない。僕は無闇矢鱈に愛想と威勢の良い店員というのがどうにも苦手なので、しばたの距離感については「正解である」と感じていた。
レジでの精算を行う際も、しばたはポイントカードがどうだの、箸は何膳要るだのとこちらに尋ねてきたことがない。すべてはしばたの判断において淡々と行われ、僕にはそれが心地よかった。
しばたが朴訥とした表情で袋詰めを行っているあいだ、僕は彼のネームプレートを見つめながら、心の中で「しばた!」と叫んでいた。
僕には対峙した店員の名前を無言で連呼するという悪癖があった。それは何の動機もないただただ児戯めいたものだった。
僕はしばたについて何も知らないし、知る術もない(知ろうという意思もさほどない)が、反対にしばたは僕についていろいろなことを把握していると思う。
例えば僕がこのコンビニのサーモンクリームパスタの狂信者であること、モーニングの連載で追いかけている漫画がひとつだけあること、月末にのみスーパードライのロング缶を買う貧乏人であること、冷凍チャーハンを必ず2袋買う馬鹿であること、急な雨が降るたびにビニール傘を買う間抜けであること……その他様々な性格や嗜好を、僕はしばたに無防備にさらけ出している。実にみっともないことだが、僕は客でしばたは店員なのだから仕方がない。
そうだ、そう。
店員という立場になって考えれば、僕はしばたにとってとんでもなくうんざりするタイプの客に違いない。最近、ついにそのことに気づいてしまった。
週に何度も来るレベルの常連客というのは、客としての質の良し悪しにかかわらず、その存在だけで随分と店員の心を塞ぐものだ。
しばたがそうなのかは分からないが、ただその日その日をしのぐための労働をしている身分とすれば、常連客とは「終わりの見えない暗い日常」の象徴的な存在にすらなりうる。付き合いが長くなればなるほど、憎しみのような感情がどうしようもなく湧いてくるものだ。賽の河原で重ねた石を突き崩しに来る鬼の顔を覚えてしまうことがいかに惨めか、それについては僕にも心当たりがあった。
ああ、そうだ、そうなのだ。
しばただって、僕が平日夜八時に来店するたび、顔にも声にも出さぬままため息をついている可能性が大いにあるのだ。申し訳のないことである。今まで随分と鈍感にコンビニを利用していたものだ、と僕は反省した。
しかしだからといって、帰り道に1件しかないコンビニに立ち寄ることをやめることはできなかった。僕には僕の生活リズムというものが、どうしようもなく存在するのだ。
僕が反省した以降も、当然ながらしばたはいつも通りに僕を接客した。僕は多少恐縮しながら、心の中で「しばた……」と言うようになった。
ある日曜日、しばたを街で発見した。
その日僕は友人と街中の映画館に行ったあと、適当な居酒屋でビールをあおり、友人が見つけたというコーヒーのうまいバーに向かうべく繁華街を移動していた。交差点でぼんやりと信号待ちをしていると、短い横断歩道の向こう側、ドラッグストアの巨大な看板の下にしばたが立っていた。
それなりに酒が入っていた僕は、彼の顎のほくろを確認した瞬間、そこそこの声量で「しばただ!」と口に出してしまった。
さすがに横断歩道の対岸まで声は届かなかったようで、しばたに反応はなかった。友人が気の毒そうな顔で僕を見つめたので、「いっつも行くコンビニの人がいてさ」という事実のみを端的に伝えた。
対岸のしばたは、黒いハンチング帽にキャメルのコート、そして首元にワインレッドのスカーフを詰め込むという出鱈目なおしゃれをしていた。そして彼の左腕には、ニコニコと笑顔の女が絡みついていた。
女は決して若くない。恋人にも親子にも兄弟にも見えない不思議なツーショットだ。おそらく金を介した関係なのだろうが、女の容姿は総合的に見て、なんというか、なんというかだった。しばたは女と何か会話をしていて、時折前歯を見せてひどくさわやかに笑っていた。
信号が青に変わったので、僕は顔を伏せ、友人の影に隠れるようにしばたとすれ違った。そして横断歩道を渡りきった瞬間、変てこな笑いが止まらなくなった。
しばたのファッション、しばたの女、しばたの振る舞い、すべてがまったく未知の光景だった。
明けて月曜日、僕は仕事帰りに全くいつもどおりコンビニに入り、そしてその瞬間「しまった」と思った。
街中でプライベートのしばたを知ってしまった現状、僕はどんな顔をしてしばたと対峙すればよいのだろうか。下手をすると「昨日、街で女性と歩いてましたよね?」などと馴れ馴れしく言い出してしまいそうだ。どうしたものか……。
しかしその不安は杞憂に終わった。しばたはレジに立っていなかった。
店内をぐるりと見回してみたが、しばたはどこにもいない。レジには20歳前後の女の店員が立っており、彼女の胸のネームプレートには「よこた」と書かれていた。
次の日、そのまた次の日も、レジにはしばたではなく、よこたが立っていた。
しばたに比べると、よこたは決して手際が良いとは言えなかった。その代わり、よこたは化粧っけのないコケシのような顔で愛想よく振舞うことのできる女性だった。
僕はレジ袋と格闘するよこたの胸のネームプレートを見つめながら、心の中で「しばた……」と呟いていた。うっかり1400円も買い物をしてしまった。
コンビニから家までの数百メートルのあいだ、僕はしばたの消失について考えた。
おそらくは、コンビニという聖域の外でしばたを見つけてしまったせいで、しばたは僕の前から姿を消したのだろう。僕は本気でそう思った。
偶然とはいえ、僕はコンビニ店員ではない――労働者ではないしばたを見てしまった。そしてあまつさえ、その姿を面白がってクフクフと笑ったりもした。
僕は客と店員の関係性のラインを踏み超えてしまったのだ。
あるいは、ひょっとするとあの時しばたは横断歩道の向こうの僕を見つけていたのかもしれない。
週に何日も来る鬱陶しい常連客が、しとどに酔っ払ってへらへらと笑い、おまけに自分の名前を大声で叫んでいる。しばたは客でない僕の、そんな軽蔑すべき姿を見てしまったのだろう。
いずれにせよ、僕たちは聖域の外で会うべきではなかった。
僕はもう二度としばたによる“正解”の接客を受けることはできない。それはとてもシンプルに悲しいことだった。
1ヶ月後にはよこたはレジ前から消えていた。それ以降は短いスパンで沢山の店員が入れ替わり立ち替わりレジを担当していった。僕はその間も変わらずコンビニに通ったが、店員のネームプレートを見るのはいつからかやめてしまった。
半年ほど経った初夏のある日、いつものように仕事帰りにコンビニに寄った。
そういえばもうモーニングの今週号が出ているな、などと考えながら自動ドアを通ると、効きすぎた冷房の冷気のあとに、非常に懐かしい、あのカスタマイズされた挨拶が僕の耳に飛び込んできた。
「しゃせんばわぁ」
レジにはしばたが立っていた。
彼は坊主頭に黒縁のメガネをかけ、顎にはほんのりとヒゲを蓄えていた。そしてどういう方法を使ったのか、もみあげをとんでもなく太くしていた。
容貌こそ様変わりしたものの、挨拶も、佇まいも、まさしくあのしばただった。
しばたは、帰ってきたのだ。
僕は目を丸くしたまま、食べたいものを感情任せにカゴに放り込み、心臓をバクバクと鳴らしながら、ゆっくりレジへと向かった。
しばた! しばた! しばた、しばた、しばた! しばた! しばた! しばた、しばた!
しばた……しばた!! しばたしばたしばたしばたしばた! しばた! しばた! しばた、しばた!
しばた、しばた、しばた、しばた……しばたしばたしばたしばたしばた!!!!!!
しばた……しばた……! しばたしばたしばた! しばた! しばた! しばた!!!!!!
しばた! しばた! しばた! しばた! しばた! しばた! しばた! しばた! しばた…………
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