ユリ内職

「なんか、手伝ってもらうの、悪い気がしてきた」
「いやいやいや、いいんだって、実際あのノート見してもらえなかったら単位死んでたし」
 大学が夏休みになった直後のよく晴れた平日、私は学部の友人であるユリの下宿にいた。
 部屋には私とユリと、巨大な段ボール箱が3つ鎮座している。
「こういう内職っぽい内職って私も初めてだなあ」
「うん……」
 学業の恩義を果たすため、私はユリの内職を手伝うことになった。夏休みなんだから普通に短期のバイトでも入れたほうが手っ取り早い気もするが、インドア派でバイトの経験もないユリは、とにかく「労働をしてお金をもらう」というところから始めたいのだという。
 そういうことならなおさら手伝って差し上げよう、と心優しい私は思ったのだ。
「でユリ、私らはどういう作業をするんすかね」
「箱に説明書きが入ってるらしいんだけど、開けてみようか」
「そうしましょう」
 3つの段ボール箱にはマジックで1、2、3と番号がふってあった。私が手近にあった2の箱を開けようとした途端、ユリから待ったがかかった。番号の順に開けていきたいのだという。
 ユリに従い、まず1の箱から開けた。中には割り箸がギチギチに詰まっていた。ビニールで一膳ずつ包装されている、コンビニでもらえるタイプの箸だ。
 2の箱には、爪楊枝の詰まった円筒状のケースが、これまたびっしりと並んでいた。
「あー」
 私はわかったようなわからないような声を出した。
 残った3の箱をユリがたどたどしく開けた。中にはペラ紙が1枚と、宅配用の用紙。ユリがペラ紙を手に取り、文面を読み上げる。
「えーと、1の箱に入った個包装の割り箸袋の中に、2の箱の爪楊枝を1本ずつ入れて下さい。出来上がったものを3の箱に入れ、同梱の宅配用紙を貼り付けて返送してください、だって……」
「へえー、つまようじ入りの割り箸って内職で作るんだ、細かい作業だねえ」
 私はそう言いながら、箱から割り箸を1膳手にとってみた。
 そしてその瞬間、あることに気づいた。
「ん、あれ? 待って待ってユリ、これさ、これ、ピタってなってるけど」
「ピタって何?」
「いやだから、もうちゃんと封がしてあるっていうか、これ、どこからつまようじ入れんの?」
 1の箱からランダムに10膳ほど箸を取り出して確認してみたが、どれも袋にぴっちりと封がしてある。爪楊枝の入口がどこにもないのだ。
 ユリも私の手元を覗き込み、ほーん、という顔をした。
「ねえユリ、どうすんの、これ? 穴あけちゃっていいのかな? 紙になんか書いてない?」
「注意書きがあるよ……えっと、※袋には絶対に穴をあけないでください」
「そりゃそうだわ、じゃあどうすんのっつう話よ」
「注意書きまだある」
「なんて」
「※ひとつの箸に楊枝を1本いれてください。2本は多すぎます」
「あー知ってる、他には」
「※楊枝の尖った方には触らないでください、汚いので」
「他には!」
「※割り箸を使う方の笑顔こそが何よりの報酬です、頑張りましょう」
「報酬は金だろ、バーーーカ!!!!」

 正午を過ぎた。窓からの日差しがあまりに強いのでカーテンを半分閉める。
 ユリとふたりで舐めまわすように何度も割り箸をチェックしたが、やはり爪楊枝の入る場所はどこにもない。段ボール箱をあさってみても、作業用の器具などは入っていなかった。
 私たちは額に汗をにじませながら、じっとりと途方に暮れていた。
「ユリさん、どうすんのこれ」
「うん」
「うんでなくて」
「どうしよう」
「どうしようね」
 しばしの沈黙の後、ユリが突然、ぱん、と手を叩いた。
「そうだ、あの、茹でる、っていうのはどうかな」
「なんだと」
 そういうわけで、茹でてみることにした。
 鍋に熱湯を沸かし、袋のまま割り箸を投入する。20秒ほどで引き上げ、爪楊枝を突き刺す。茹でることで袋が柔らかくなっているので、爪楊枝は抵抗なく入っていった。
 爪楊枝を入れたら今度は箸を氷水に浸す。これによって袋が収縮し、突き刺した穴が閉じるという寸法だ。
「あ、いけるね、これ、いける」
 ユリの声は弾んでいた。
「袋の中にガンガン水入るけどね、変形するし」私はユリの方を見ずに言った。
「え……あ、本当だ」
「使う前から濡れてる割り箸って、けっこう最悪だと思う」
「そうだよね……うん」
 ユリがあからさまにしょげてしまったので、私は自分の態度を反省した。ユリにとってはこれが初めての労働なのだ。なんとか成功させてあげるのが私の仕事だろう。
「まあ、次の方法を考えようよ。きっと何かさ、シンプルで意外な方法があるんだって。あそうだ、ネットで検索してみればいいんじゃん」
 私はポケットから携帯を取り出し、手早く操作を始めた。
「なんて検索すればいいんだろ……『割り箸 入れる 方法』でいいかな……あーダメだ、なんかエロいサイトしか出てこない、ユリも見る?」
「ううん、いい」
 つよつよ、つよつよと画面にふれているうちに、私はどんどん検索に没頭していった。携帯をいじり出すと途端に視野が狭くなるのが私の悪い癖だ。
 鼻をフンフン言わせながら情報収集してるあいだ、ユリが何をしているのかなんて、全く気づけなかったのだ。
「……ダメだあ! それらしい情報ゼロ! 割り箸の内職なんてどこも募集してないや!」
 そう叫んで私は久しぶりにユリの方を見た。ユリは床にちょこんと正座し、1膳の割り箸を両手に乗せてしげしげと見つめていた。
「どうしたのユリ、なんかあっ……ああーーー! 入ってるじゃん!!」
 ユリの持つ割り箸の袋には、爪楊枝が1本、当然の様に入っていた。浸水してないし、茹でた形跡もない。
 何らかの新しい方法で、ユリは内職に成功したのだ。
「すごいユリ、どうやったのこれ!? 完璧じゃん!!」
「え、あ、うん」
「やり方教えてよ、私携帯見ててユリの方見てなかった!」
「やり方っていうか、その、えっと」
 ユリの顔から首にかけてが、みるみる真っ赤になった。照れているのだろうか……何に?
「ちがうの、なんていうか、確認のために、一応、やってみただけだから」
 真っ赤なままのユリがたどたどしく何かを言い始めた。
「え?どういうこと?」
「だから、その、あ、本当はこうやるんだな、っていうのを試しておきたくて」
「え、え? 意味わかんない。本当はこうやるって、何? ユリは割り箸につまようじ入れる正解を知ってたってこと?」
「正解、じゃないけど……その」
「でも現につまようじは成功してるじゃん。穴あけてないんでしょ? なんで知ってるのに教えてくれなかったの?」
 だんだん語気が強くなっているのを自覚していた。ユリを責めたくはないのに。
「……うん、まあいいやユリ、じゃあさ、とにかくやり方教えてよ、早く一緒にやっちゃお」
 ユリの返事はなかった。
 長い、長い沈黙。窓の外から子供の遊ぶ声が聞こえる。ユリの鎖骨のあたりに汗が流れているのを見て、私も自分が汗だくになっていることに気づいた。
 手の中の割り箸をぎゅっと握り締めて、ユリが何度か深呼吸をした。そしてようやく、彼女の口から正解が漏れ聞こえた。
「………サイコキネシス」
「えっ」
「サイコキネシス、私、エスパーだから」
「えっ」
 お互いアタマがいかれてしまったのだと思った。しかし、涙目のユリにふざけた様子はない。
「……ユリ、エスパーなの? エスパーって、いるの?」
「サイコキネシス使ってみたらね、爪楊枝、すんなり入った」
「いや、もうつまようじはどうでもいいわ、つまようじはどうでもいいわ!!!!! ……ユリさん、サイコキネシスいける人なの??」
「うん、ほら、名前もユリでしょ」
「ユリ……あ、ゲラーのユリなの!?」
「そうみたい」
「スプーン曲げれんの?」
「レンゲもいけるよ」

 その後の作業は、ユリが持ち前のサイコキネシスで割り箸の袋に楊枝を入れ、私がその周りをせかせか動いてサポートする構えとなった。
 念を高めるにはかなりの集中力が必要らしく、基本的にユリは一歩も動けない。私は割り箸をスタンバイしたり、麦茶にストローを挿して持ってきたり、ユリの額の汗を拭ったりと、甲斐甲斐しいアシスタントに徹した。
 なんというか、私たちによく似合っている労働形態だと感じた。
 いつの間にか日が傾き、部屋には黄色に染まった光が差し込んでいた。
「どうにか今日中に終わりそうだね」
「うん」
「体調しんどくない? サイコキネシスのことはよくわからないけど、ラクじゃないでしょ」
「まだ全然、大丈夫だよ」
 私はユリの後ろに膝立ちして、ユリの首筋の汗を冷えたタオルで優しく拭き上げた。
「にしてもさユリ、エスパーなら最初っからそう言ってくれれば、あんな茹でたりとか苦労しなくてよかったのに……まさか、エスパーバレしたら、私に引かれると思った?」
「うん……いままでずっとそうだったから、友達とか、先輩とか」
「そんなん私は知らんよー! ユリのことは依然として大事な友達だからね」
「……ありがとう」
 私のいる位置からはユリの後頭部しか見えなかったが、ユリの表情を想像すると、なんだか私まで照れくさくなった。
「っていうか、サイコキネシス使うのが正解ってことは、元々これエスパー向けの内職なんだよね?」
「うん、エスパー向けに募集してた」
「あの、別にいいんだけどね、いっこ、素朴な疑問。私さ、なんで呼ばれたのかな?」
 おどけた質問のはずが、そうはいかなかった。ユリがぴくん、と作業の手を止め、握っていた割り箸をおずおずと床に置いた。そしてそのおずおずを維持したまま、首元へ手を伸ばし、タオルを持った私の手を柔らかく握った。ユリの手は、とても熱かった。
「どしたのユリ、具合悪いの」
「……行っちゃうでしょ」
「えっ」
「来週から、サークルの合宿、行くんでしょ」
「うん……合宿、行くけど」
 聞かれるがまま答えた瞬間、ユリは私の手をきゅっと握りしめ、こちらに振り返った。
 顔と顔が向かい合う。ユリの睫毛がしっとりと震えている。
「合宿行ったら……」
 ユリは一度言いよどみ、大きく息を吸い込んだ。そして早口で一気に、
「合宿行ったら、もうしばらく会えないから、その前に、ふたりでいっしょにいる時間が、どうしても欲しかった」
「ユリ……?」
「ごめんっ」
「うそっ」
 ユリはぎゅっと目をつぶり、すがりつくように私に抱きついてきた。冷やしタオルが手から離れ、床に落ちる。
 ユリの額の汗と私の胸元の汗がつながって、ぴた、と音を立てた。
「ユリ、どしたの、ユリ」
「ごめんね、ごめんね」
 ユリに押されるまま私の上体は倒され、背中が床につき、とうとう仰向けに寝そべってしまった。
 ユリの潤んだ目がすぐそこにある。たぶん、私の目も潤んでいるのだろう。
「待って、ユリ、えっ」
「ごめんね、ごめんね」
「うそ、あっ、待って、ダメだから」
「ごめんね、ごめんね」
「ダメだって、ほら、内職、おわらせないと、ユリ、ねえって」
「ごめんね、ごめんね」
「ねえ、内職、ユリってば、ねえ……あっ」
「……ごめんね」
「やだ、ユリ、待って……サイコキネシスは……使わないで」

「※絶対に穴をあけないでください」と、注意書きが必要だったかもしれない。



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