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「笑顔だった」ということ

知り合いがすっごい笑顔で『「奇跡」が起きるんだって思った!』って話されていて、この件についてなんとなく知っていたので、表現難しいけどあたたかな気持ちというか、本当の意味のステキなことだなぁと。

何ヶ月か前、普段何気なく通っている道で知り合いがいて、ちょっと話もしたくもありコーヒーを買った。そのコーヒー屋さんはお弁当なんかも販売してる時期があって時々コーヒーを購入したりお弁当買ったり♪ちょっとした会話でご機嫌になる場所。

あってほしいし、あるのが普通に思えていた場所。

昨日、劇場的でないという言葉があり、すごく腑に落ちた。

意味は全然違うことで使っていたんだけど、私が感じたのは大きく反対したり、声をあげたりって簡単だけど、もっと根底というか「なぜ」そうしたくて、誰にとってそこが大事と思えてるか、そのことをそっと伴走したり調整したりしてくれる存在。

それはそれは超黒子だし、一見するとわからないけど、本当に守りたいと感じていた人にはそれが叶ったのはどうしてか「わかる」から・・・

途中からだったり断片的に知ったり部分的に知った人は「結果どうなったの? 権利権は?」みたいな話になりがちなんだけど、もっと叙情的というか・・・それを加味して分解して「何が大事?」って聞いてくれているような・・・

自分は何もしてなくて、遠くで見てたんだけど、その舞台に上がってくれた方々も本当にありがたい存在でこの時間のことは意外と一生にうちで忘れがたい印象的な一日になったように思えたので久しぶりに8で書いてみた。

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