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大好きなあの人は少し先の未来から手招く

 人に迷惑をかけている自覚がある。
 バイトでは上司に気を遣わせ怒らせ、友達には言わなくていいことを言って空気を凍らせたり。どうすればいいかわからなくて道端で「どうしよう!」と叫んでしまった時周りにいた人にだって。そうやってたくさん迷惑をかけている。

 誰にだってできないことはある。私にだって苦手なことはある。と上司が慰めてくれた。確かにそうだ。わたしにだって運動や会話みたいに、仕事以外で苦手なこともたくさんある。でも、だからってわたしができないことで呆れられていることもわかる。あの人、今わたしのこと見放したな。そんなふうにわかる瞬間が一番つらいのだ。

 あまりにも何もできないから迷惑をかけてごめんなさいと謝った。上司は「それが私たちの仕事だから迷惑だとか思わなくていいよ」と言ってくれた。だからって、それに甘えてふんぞり返っていてはいけないと思う。なぜって、罪悪感で押しつぶされるから。世のため人のためとかそんなものはなくて、結局全部自分のために行動しているだけだということにやっと気がついた。

 大好きな人は、歌声だけでわたしを救ってくれる。

 自然と、生きててくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとうの気持ちを精一杯伝えたいと思う。まばゆいあの姿を思い浮かべて。

 つらい時、優しい歌声が傷ついた心を癒すように包み込んでくれる。わたしがここにいる意味がわからなくなって今すぐ消えちゃってもいいやって思っても、そこにいていいんだよ、怖いままでいいんだよって大好きな人は等身大のまま、少し先の未来から呼びかけてくれる。

 どこまでも自己中心的で救いようのない脳みそを持っているけど、結局そんなわたしだって毎日起きて働きに行かなきゃいけないし、普通に就職するために大学にだって通わなきゃならない。いわゆる“普通”のレールから外れることはできなくて、明日もこうやって生きていかなきゃいけない。だから少しでも無意味な人生に意味を与えたくて、好きな人の背中を追っていたくて、声を聞いて、写真を見て、あの日見上げた彼の姿を反芻しながら暮らす。また次に会える時までお互い元気でいようね、大好きだよって思いながら。

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