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"言葉にできる"はあなたを助ける

コミュニケーション上の話に限らず、つまり、

上司や同僚との関係や、学校のクラスメートとの「人間関係」に限らず、むしろ自分自身のために、

「言葉にできる」ということは、あなた自身を救う、という話です。


何でも思ったこと、そのまま言っちゃうと、ただもめごとが増えるので、そういう意味でもないです。


お母さんが車に小さな男の子を乗せて、こんな話をしています。

「いい? 今から病院に行って、先生とお話するけど、その時、あなたは何も心配しなくていいの。

その時間は全部、あなたのもの、あなたのための時間なのだから、あなたが疑問に思ったことは、何でも先生に質問するんですよ? そしたらちゃんと教えてくれますからね」

そして、男の子は、白衣の先生の前で、臆することなく、落ち着いた態度で、何でも思ったことや感じたことは伝え、分からないことは質問できた。

というエピソードなんですけど、

この男の子もお母さんも黒人、そうエピソードに付記されていたことは申し添えます。


「言葉にする」

めちゃくちゃ大切なことだと、誰もが言います。

言わないと伝わらない。

分からないまま黙っていたら、どんどん授業で置いて行かれるから、手を挙げて質問しましょう。

なんてことも言われます。


でも、ほとんどの人が、質問が得意ではないです。

質問どころか、自分の気持ちを言葉にすることすら、苦手です。

そういう風に、育てられています。


親や教員の、「言ってることと、実際やってることが違うから」です。


思ったことを言うと、馬鹿にされ、否定され、叱られ、最悪さらしものにまでされ、徹底的に侮辱される。

またそうされる、同じ年くらいの子…「見せしめ」として、そうされるのを見せられてるからですね。

さっきの黒人の男の子とは、環境がどえらい違いですな。


大人になったところ同じで、納得いかないから納得いかないと、言ったところで、

「桜を見る会の明細書はどこにあるんですか」

「16兆円ほど使途不明金があるらしいですけど」

「郵政民営化で、郵便局のサービスが悪くなることはないと聞いていたのですが」

「IR事業に税金をつぎ込むことはないと聞いていましたが」

「USJ以上の集客が見込めるという算段は?」

どうせ、連中、まともに説明しないだろうこともわかっていますし。


言葉にするためには、言葉にしたって何のトラブルも起こらないという安心が必要です。

その安心があるから、何度も言葉にして、実地練習を積むことができて、ますます言葉にできるようになる。

でも、「モノ言えば、唇寒し…」じゃ、安心して何か言うことはできません。


これ、次世代まで、同じやり方続けます?

それとも、違う道、行きますか?


違う道を行くために、まずは、自分自身、ありのままの気持ちや疑問を否定しないことを、練習した方がいいですね。

自分の本音にYES!、OK!

そう言えるようになるのは、私もまだまだ練習が足りない。


noteを書くことは、この練習の一環です。


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