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愛しきみへ
この楽曲に関しては、あまり多くを語れそうにないです。 私が仮に第三者として、初めてこの楽曲を聴いたとしたら「長くお付き合いした方とお別れしたのかな。未練がまだありそうだから、時間はそう経ってなさそうだな。」と感じると思います。 時間の経過により記憶が美化されることを強く願うと共に、どこかまだもう一度、という気持ちが伝わってくる歌詞の構成になっています。 別の道を歩むことになる、つまり交わることがなくなるとしても、それは悪いことではないと思えるのは、その道が自分とつかず離れず、平行していると感じられるからです。見ている方向が同じという、それだけが唯一残ったその方との共通項なんです。気持ち悪いです。 これも私の恋愛観に強く影響を受けていそうです。お付き合いが終了しても仲良く関係性を保てる方もいらっしゃいますが、私は終わりを考えない分、終わりは終わりなんです。若さも出ていますね。 最後に悲しみの雨を落としたのは、昇華することでまとまった悲しみの雲をいつまでも抱えずにすっきりしたいという想いを込めたからです。 《歌詞》 自分勝手で本当にごめんね お互いの夢のために あの日描いたこの道を2人で一緒に歩き出す どんなに辛い想いだって共に泣き笑いあった日々も ここに忘れたことはないよあの空へ歩ける日々を ずっと待っているよ あの場所で君とまた 高く飛んでゆこう いつまでもいれるように この世界は本当に広いね どこまでも続いている それでも足りないものがある時間と毎日戦ってる そんなに思い悩んだって 交わることはない2人でも それが悪いことでもないよ同じ空を見つめる君と 笑顔で居れるかい?限りない空想の中で 立ち直ることで 懐かしい記憶がほら ああ、こんなにも 幸せな日々を生きる 果てしない空に悲しみの雨が落ちた
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劣等列島 / ヤコビアン
映画「永遠の0」を観たときに感じたことを歌詞にいたしました。とはいえ戦争を扱う映画等の評論は賛否が分かれるモノと理解しておりますので、これはある一つの思想を強く主張するモノではないことだけは、最初に申し上げておきます。 よく「その人には、その人なりの悩みがあるんだよ」という言葉を耳にしたり、使ったりすると思いますが、他者を思いやってもその言葉を受け入れられるか、私は少し疑問を感じます。 「上にいくためには」という言葉も耳にすることがありますが、上とは何でしょう。彼らが見ている世界は上下に構造化されているようです。彼らは全員が同じ思想ではないということに感謝する必要がありそうです。 そして今目の前に見えているモノは確かなモノでしょうか。それも誰かが恣意的に見せているナニカかもしれません。 それでも今この地この時に生きるからには「強く」それだけは忘れずにいて欲しいという想いを込めました。 ※強く:人間の本質的な喜びや幸せを理解し、ブレない自分を持つこと 主張が強く言葉も重かったので、最後の歌詞には、大人になっても0時を回る前には絶対寝たいという私のルールに対して、皮肉を言われたエピソードを込めて〆ました。 《歌詞》 今日を生きることもままならない 人がまだいるってこと知っているのに 今日も僕らは自分の欲求が満たされないことに嘆く もううんざりあれがしたい これがほしい 誰かに認められたいなんて どこまでわがままな自分がいる それでいいのかNo No No 誰が炊いたかもわからない黒い煙まかれ 盲目のまま必死にもがき 上へ上へ 善悪の判断もないままに人を蹴落として 人を愛することすらもう 劣等列島 この世界は荒んでいた 命を繋けて守り抜いてくれた未来 その今がこれで僕らはどんな顔で向き合ったらいい? なんて言い訳したらいいの? 君には何が見える?聞かせて 実態ない世界になにがあって 求める幸せはなんですか? 目の前からもう逃げないで 悲しい顔も喜ぶ顔も全部見せてくれ 格付けされた世の中で 強く強く あたりをよく見渡せるように僕が風になる 吹き飛ばせすべてゼロから 劣等列島 この世界は荒んでいた 命を悪けて守り抜いてくれた未来 この小さな島を空から見渡して 自分の無知さを未熟さを知って 言いたいこと言いたい放題じゃいけないね ただ自分を信じてくれたらいい ああ、もう、こんな時間早く寝なきゃ 子供みたいって?No No No
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負けずぎらい / ヤコビアン
この曲は少し視点が広く、好きなことを好きなだけ取り組むことが、今の日本において難しいと感じたことに対しての、アンチテーゼになります。 昨今でも話題に上がっておりますが、スポーツや勉学をはじめ、あらゆる分野において、過度な実力主義に陥っている側面があると思っています。 私自身もスポーツを通して、そんな実力社会の中に身を置いて活動をしていた時期がありました。そこで「好きなだけでは続けられないんだな」と痛感します。 ところが音楽に出会い、好きなだけで、うまい下手は関係なく楽しんでいる人たちを見て、こんな素敵な世界があるんだと、気づくことができました。 そんな中、相も変わらず実力社会に身を置いている一つ下の弟を見て、尊敬すると共に、かつて私も居たそちら側の社会では気づくことができなかったことを、応援歌のつもりで、歌にのせて届けたいと思い制作したのがこの曲です。 皆さまの中でも、どこか「やりたい」と「できない」を結び付けてしまっていることはないでしょうか。そんな時は視点を変えて、好きなだけで、好きだからこそ、続けられるんだと、そんな気持ちの後押しができたら嬉しいです。 そしてそれができるということは、好きなことから逃げない「負けずぎらい」な気持ちがあるのかなと思い、本楽曲のタイトルとしました。 《歌詞》 どうしてそんなに不安げな顔をしてるの?僕から見た君の歩んできた道は まっすぐで太く枝別れのない強く確かなものなのに あの頃抱いてた夢もいつの間にかあきらめてた大人になるってそういうこと? でもきっとあるはずさ君にも消えることのない一つの希望(ひかり) やりたいことはわかってる本当はね 叶えられないものなんだって目をそらしているんだ 他人(ひと)の目気にせずただひたすらすすむだけ 君にしかできないことさぜったい! 好きなだけじゃ続けられないそんなことはわかってるけど 好きだからこそ続けられること 僕がこれから魅せてあげる こんなにたくさんの思い出が君のことを支えて励まして背中押してるのに 今の君は僕が知ってた頃の輝きを失ってしまったの? できないことから逃げずに前を向いてみよう 次に手と足を交互に前に出してみるんだ 少しずつでいいただひたすら進むだけ あの日の夢叶えるんだ さあ! この世界中どこにいたって あなたを想う人がここに いるってことだけは忘れないで前を向け走れ あの空へと 好きなだけじゃ続けられない?そんなことはわかりたくもない 好きだからこそ続けられること 僕と君とで魅せてあげよう
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パステル・クレーン・カントリー / ヤコビアン
私が下宿生として過ごした大学生活をふりかえって、卒業時に制作したのがこの楽曲です。 察しの良い方は、曲名から日本のどこで歌っているのか、わかるかもしれません。ヒントは「クレーン=鶴」ということです。実は歌詞にも連想できるような表現を用いているので、見つけたらこっそり連絡ください。笑 私が大学生活でもっとも感じたのは、自分という者の確立です。夢や希望を持って生きてきたそれまでの学生時代から一変し、大学に入学すると一気に現実味を帯びると共に、自分が何者なのかを考え直す必要がありました。 教師や親、友人等の人間関係、所属する組織といった制約条件が、自分の居場所やアイデンティティを構築していたことを痛感したのです。これが座標となり、いつでも戻ってこられる場所でした。しかし大学はとても開けており、クラスの関わりは希薄で、サークルも自分の意志で入る、そして授業すら自ら選択するのです。地元を離れてきた私は特に、友人等の人間関係もそこにはありません。 ただしこれらの問題は時間が解決してくれました。同じ授業を取る仲間から友人が増え、サークルや部活に所属するようになり、生活のためのバイトを始め、交友関係が広がり、第2とふるさととも言える居心地の良い環境に変わりました。 そこで生まれたのが、自分という者の確立です。それぞれのコミュニティにおける自分の言動に違いがあることに気づき始め、本当の自分は?と思い始めました。この悩みを抱えている方は少なくないと思っています。しかし私は幸運なことに、ある先輩から「分人」という素敵な言葉をいただき、すべてが解決しました。これは、それぞれが、それぞれで、本当の自分であり、違いがあることを認めていい、ということだと私は理解しました。 このような人格の違いを、色を用いて歌詞に込めました。人は個人として様々な色を持っており、そのこと自体を楽しめるようにと、歌いました。 《歌詞》 何物にもなり切って 心別物になったって 強いて言えば ねぇ ブラック 私にないものをって 君に求めると言ったって 顔に出るくらいじゃあ ムラサキ 忘れたいことがあって 不意に山とかに行ったって 暗くないうちにでも オレンジ 楽しいことだけじゃきっと 満足しきれないんだって 色とりさ 赤いパンツ 黄金色 ミドリムシ 青いコスモ カブトムシ 交換しよう エンパイヤローズ 響きだけ クレヨンヌ 熱い心 俺たちにくれるのさ 紅い大地 白い風 鶴が舞う 青い空に 羽ばたいて どこまでも 明日こそは 明日こそは 信じよう 七色づく この國に 昇る太陽