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『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』

先日友人との話しの中で、自分の親は毒親だったからさ。。なんて話が上がったのだけれど、そう皆んな其々多くを語らずとも色々な環境で状況にもまれながらもこうして大人になって、いつしか幼かった自分が親と人として向き合う年齢になったのだなぁとしんみり感じた。

映画東京タワーは、原作は当時飛びついて直ぐに読んだしいわずもがな号泣したのだけれど、主人公のボクが母に対して向ける感情や思いに胸を打たれるというより、1人の母として子供に愛を与え続けるという形の在り方、1人の女という人間から母になる人格の強さと美しさが私にとってはひたすら眩しい映画だ。
だけれど、何処かユーモアがあり、セリフがふんわりと暖かい。脚本の松尾スズキさんは昔から好きな方だけれど、原作とは印象が違う魅力がある。言葉を巧妙に使っているというかむしろその時々人は 大して上手い言葉も気の利いた事も言ってあげられないのが日常で現実的ではないかと思える瞬間が多々あってとても良い。おかんが治療で苦しみもがく時「かわいそうだ」としか息子として言えないリアル。がある。

好きなシーンは、矢張りおかんが亡くなった通夜の日、亡骸となったおかんの横でその日も原稿を書きあげ、世界一哀しい夜に生前のおかんが言っていた思いを貫こうと、世界一面白い話を考え仕事を全うする場面。何回観ても私はあのシーンで泣してしまう。言葉にはならない想いが募る。
これは私の主観でしかないけれど、この映画は話しのやま場やクライマックスがあるわけじゃなくて、寧ろ人間のあらゆる感情をギリギリまで抑えているようで。だからこそ観終わるといつも色んな感情が所々でいつの間にかちょっとずつ積み重なっている感じ。人生は刺激的な何かやドラマチックな展開から生まれる感動ばかりが全てではないなぁと思えてくる。

好きな言葉(セリフ)は、息子と別れてしまった恋人に、まだその事実を知らぬままおかんが元恋人に大事にしていた指輪をあげてしまい、困惑した元恋人が戸惑い打ち明けるシーンで、息子は「それは はめる時と、はめない時があっていいから 貰って欲しい」という台詞。

そう、ちょっと話は逸れるけど、元来指輪というものはずっとはめていて欲しいから渡すものだろう。例えば、婚約指輪や結婚指輪を渡すとしたらこんなセリフを吐いたら大問題なんでしょう。2人は元恋人でしかなく、そこに愛はないからだと言ってしまえばそれまでだけれど、私にはとても優しい言葉だと思えるセリフ。
「これはおかんの形見だ!絶対大事にして欲しい」とか「君はもう何の関係でもないんだから返して欲しい」でもよかったはずだ。

このセリフの解釈は色々あって当然なんだけど、親として息子が人を愛している事を心から喜んでいたおかんの気持ちと、男として今も彼女への愛しさを拭えない切なさみたいなものを勝手に想像してしまう。勝手に。妄想癖。

そもそも何でこんな昔の映画を弄り観返したかというと、つい先日自分の母に心の底のわだかまりをつい口にしてしまった事がシコリになってしまったから。私自身は、母親をリスペクトしているとか尊敬しているとか言わなくなったけれど、改めて2回目の東京タワーを鑑賞して自分の母と重なったのは、母も何だかんだ私を見捨てる事はしない人だなぁという事。私にとっては忘れたい存在だけれど、母は父をずっと愛しているんだという事。もうここ何年と自分が母を支えている立場ではあるけれど、母という生き物は何処迄も母なんだよなぁと。そしてこの東京タワーのおかんや、自分の母の気持ちというのは、矢張り自分が母親になってみて気付き感謝して行くのかも知れないけれど結婚の予定も母になる可能性もない。ごめん母よ。けどお互い生きてるうちに出来るだけ一緒に笑おう。近々大好きなみたらしを買って行こうと決めた。ねぇ、ずっと生きていて欲しいよ。

#映画 #親子

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