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世界中が敵になっても俺は俺を愛し続ける

こんばんは!

転職して一年、またもや上司に意見してしまい己の社会不適合性を実感しているINTPです。

(上司に媚び売って好かれておかないと自分が過ごしづらくなる可能性があるっていうのはまあわかる。いやわかりたくない。許さない。理不尽を圧力で押し付けたり間違っていることが見て見ぬ振りされているのは許せない。許されると思うな。いやでも、別に突っかかりたいわけじゃないんですよ。できれば穏便に仲良くしたい。不利益を被った怒りがだんだんおさまってもうめんどくさくなっちゃったとき、なんでこんなことしてるんだろ、何かメリットあったっけ、みたいな気持ちになりますね。)


こんな話がしたかったんじゃないんだ。

INTP-AのA(自己主張型)が69%の私の自己肯定感というものについて書きたい。

私は世間から見て自分はかなりカスだと思ってます。思ってるというか、事実です。

生まれ落ちたその瞬間からコミュ障でした。幼少期から人見知りで、運動もできないし食べるのも遅かったし、マイペースでだらしない。
自分が人と比べて能力的にカスじゃなかった記憶がない。

でも私は自分が存在してはいけないとか一切思わないし、自分ってなんてダメな人間なんだと悲しむことはありません。

社会が私をカスだと思っていたとて、私も社会をカスだと思っているから、一言で言うと私と社会はお互いにカスだと思い合って見下し合っているんですよ。

自己肯定感って「ありのままの自分を肯定する感覚」のことらしいけど、それだけ聞いたらめちゃくちゃ高いですよ私は。
でも自己肯定感高い人の特徴として「自分には生きる価値がある」とか「自分は必要とされていると思う」みたいなのが挙げられてて、これはピンとこないなと思った。

まず生きる価値なんて誰にもないっていうか、人が決めることじゃないしただ生命が続いてるだけだからどうせなら主観のこの肉体を楽しみたいのよ(何言ってる?)
あと「自分は必要とされている」とか、されてなかったとてなんなんですか???必要とされてるかどうかって私が決めることじゃなくて周りが勝手に思ってることであり、そんな他者の思考を都合の良いように捻じ曲げて思い込んでも事実は変わらないのになぜ……

と、このウザ屁理屈を一言でいうと、社会の評価などどうでもいいということです。
社会にとって不必要であっても自分は生命をエンジョイさせてもらうということです。

この思考に至ったのは高校生からです。
経緯を書こうとしたらめちゃくちゃ長くなったので一旦消しました。極力省略して書くので許してください。

どういう気持ちで書いたのか思い出せない絵


中学生までド田舎の過疎地域で過ごし、オタクと出会ったことがなかった。今も昔も変わらず面白い人が好きだが、中学までは「面白い人=クラスのムードメーカー」だと思っていた。つまり、「社会で認められていること」と「魅力的であること」は常にセットであると。

高校で初めて「面白いオタク」(陰キャ)という存在に出会った。ユーモアも芸術センスもとんでもないのに、謙虚で目立とうとしない。友達は少なく、教室の隅でひっそりと話している。魅力的な人は必ず社会に認められているし、自分の魅力は自分の地位向上に利用するのが当たり前だと思っていた。
ド田舎から出てきた世間知らずの私は衝撃を受けた。世界がひっくり返った。この面白いオタク(以下、ISFJと呼ぶ)に夢中になり、ISFJと仲良くなりたくてアニメを見た。オタクになった。

私は高校入学初日に話しかけられたギャルグループに所属していた。その中には、私が朝提出ギリギリの時間にやっている数学の課題を途中で取りあげて自分のプリントに写し始めるジャイアンのような女がいた。
この傍若無人ぶりに最初はキレていたが、だんだんこいつの中身は5歳児なんだ。と思うことにより、なんだか許せるようになってきた。

しかし許せないことが起こった。私の大好きなISFJがいるオタクグループの女子たちに対して、話したこともないくせに陰口を言ってきたのだ。見た目がイケてないというだけで、はじめから友達になる気もない。愚かな人間すぎる!!愚かすぎる!!こいつ愚かすぎる!!!と私はイッッライラして「いやお前より面白いから。話したこともないくせに決めつけて悪口言ってんじゃねえぞ」と、キレ芸のように言った。
このキレ芸で言うっていうのは割とポイント。別に仲違いしたいわけじゃないから。でも本当に思ってるっていうのを伝えないとコイツは改善しない。コイツは5歳児だから私が教育すれば改善するはずって思って言ったんです。

案の定、5歳児はその場で私のキレ芸にウケた後、ISFJに話しかけていた。そして5歳児が「(ISFJ)まじウケる笑笑」とか言っていじってて、ISFJからつっこまれるような仲になっていた。(嫌ないじりではない)これはよかった。
(この前ISFJに「○○(私の名)のおかげで高校生の頃いじめられずに済んだ」って言われてめちゃくちゃ嬉しかった。言ってよかった。やっぱり上司にも間違ってることは意見するべきなんだ)

でも5歳児だけが特例じゃなかったんです。
この高校の人間は大半が、陰キャだと判断したら友達になる気もない、同じ人間だとも思っていないような思考だったんです。そして、そんな人間がスクールカーストの上位なんです。

この高校で過ごして思った。
きっとこういうカスどもが社会で偉そうなツラしてるんだ。みんなと同じように動いて、コミュニケーションに積極的だったり、元気がある人間は結局それだけで評価されるんですよ。クッソおもんないのに。

社会ってカスでは?
こんなカスの評価とか気にする必要ある?私の大好きなISFJが評価されない社会で認められることってそんなに価値のあること?

あと書いてなかったけどISFJだけじゃなくて、私はアニメ漫画ゲームの面白さ、オタクの楽しさにも人生を変えられたのです。オタクって楽し〜〜!!!!!!ってマジで思って、家族とか周りの人間にこの感動を伝えまくった。アニメ漫画はマジで面白いし、この面白さがわかる人と語り合うの楽しすぎるっていろんな人に言った。明るい人とか暗い人とか見た目がどうとか関係なく、同じ作品見てるってだけでこんなに会話が楽しいなんて知らなかったんだと親に話した。
全然理解されなかった。

親とは昔から分かり合えませんでしたが、子供の私が人生の中でもかなり大きな衝撃を受けた出来事を嬉々として語っているのに、オタクに偏見のある両親はただ不快感を示してくるだけでした。

そこそこ近い距離にいた5歳児には指摘したが、さすがの私も全校の人々に「オタクへの偏見やめろ!」とか言う暴走人間ではなかった。そもそも私は男性と話すのがめちゃくちゃ苦手だった。聞こえても聞こえなくてもどうでもいいかのように、オタクの悪口をデカい声で言う男子たちは心底恐ろしかったし大嫌いだったが、何も行動できなかった。そもそも行動して変わるような権力がなかった。こういう時のために権力が欲しいと思う。

この時点で私はもう社会ってカスばっかだなと感じていましたが、社会がカスであることをさらに感じたのは鬼滅の刃ブームでオタクの存在が認められ始めた時期です。

親は「鬼滅面白いよ」と私に言ってきました。
高校生の頃にオタクを馬鹿にしていた連中も、鬼滅や東リベなどの流行ジャンルのアニメを見るようになっていました。
私はこれに対して「オタクが認められた!」と喜びを感じることはありませんでした。
この不快感が何なのか考えて自分の中で言語化してみた。

社会のカスどもが改心して多様性を認めたんじゃない。みんなが見てるから鬼滅を見る。鬼滅ブームにより漫画アニメを見る層が広くなる。つまりオタクが多数派になっただけで、お前らのマイノリティを認めないという価値観が変わったわけじゃない

改めて社会ってカスだなと思いました。

いやわかっている。こんな人だけじゃない。たまたま私の高校にそういう人が多かっただけで、私の親が特殊なだけで、ギャルとオタクが共存して楽しんでる世界もあるはず。(「スキップとローファー」とか「正反対な君と僕」とか大好き)

それと認識が変わった人もいるはず。高校で私が「魅力的なのに社会で魅力をひけらかさないから目立っていない、目立とうともしない人がいる」という事実に衝撃を受けたのと同じように、鬼滅ブームでこれまでの自分の認識が根本から変わった人もいるはず。社会で認知されてないからって、人気者じゃないからって、知りもしないものの価値を社会の評価で決めつけるのは良くないと感じた人。

でも私が高校の頃にアニメ漫画の魅力を語ったときに知ろうともせず否定してきた親、少数派だから知ろうともせず馬鹿にしていた人の考え方は、変わっていないだろうな。

前の会社を思い返してみると、変だと思った社員の秘密を昼休みにみんなの前で面白おかしく喋る女が一番でかいツラしてて、みんなこの女の顔色を窺ってた。

社会って一括りにしてるけど、社会で生きてる一人ひとりに対してカスだと言ってるわけじゃないです。

多数派に所属していない奴はカスだと思ってる人・知ろうともしないような価値観の人にカスだと思われていようがどうでもいいってことです。こんなのがありふれた価値観として存在する終わってる社会の評価に興味ないです。


やばい。この話難解すぎる。
自分で何言ってるのか正直よくわからない。

自分が社会で認められてないと自覚してるのに自己肯定感が高い理由について深く考えたことなくて、このnoteで初めて自己分析してみたので、いろいろ矛盾してたり自分のことを棚に上げて喋ってたりするのかもしれない。

そもそも自己肯定感と何の関係もないのかもしれない。自己肯定感というものが、社会との繋がりをもとに生まれるもののことならば、もうなんか… 自己肯定感という概念が……私の中にないのか………?


何もわからなくなりました。
もうこのnoteの意味を考えることにも飽きて集中力が切れて、自分自身も何もわかってないのでわかる方がいたら教えてください。終わり人間ゆえ、自覚がないだけでめちゃくちゃ最低なこと書いててまた人を傷つけていたら本当に申し訳ないです。


社会で会う人会う人、カスだと思ってるわけじゃないです。最初から何も期待してないだけで、いい人だったらラッキーって感じ。私に勝手に期待して失望されても、ドンマイって感じです。


オレを…助けてくれ タケミっち




東リベの推し 柴八戒くん

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