祖母の話

こんばんは、闇と光の伝道師、愛を叫ぶじゅにーです。

今からもう何年も前の話なんですが、今の現況を憂いて思い返したことがあります。

感傷的なお話ですが、少々お付き合い下さいませ。



母方の実家は福島にあるんです。私は大阪なので、そんなに頻繁に行けるわけではない。数年に一度くらいでした。

そして、私が大学に通い出してからは更に疎遠になっていました。

社会人になり、そこそこ経過したとある夏、祖母が入院したのを切っ掛けに母、弟と一緒に帰省しました。

元々実家で長男夫婦が介護をしていたので、入院になるということはそんなに長くないのではないかと、母の他の兄弟達も合わせて帰省していました。

そして、孫総出で祖母のお見舞いに行ったんです。

そこで見た祖母は…




とても元気そうでした。

訛りが強いのであまり聞き取れないけれど、受け答えもしっかりしている。

ご飯ももりもり食べている。

杞憂だったのかな、とその時は元気な祖母を見て一同安心しながら帰りました。


それから、2週間も経たないうちに、祖母の訃報を聞きました。

その時は「どうして?」という思いで一杯でしたが、あとから聞いた話によると、元々祖母はだいぶ弱っていたんだそうです。

食事も取らない、発語もない。

ベッドにほぼ寝たきりでどんどん弱っていっていたのだと。

そこへ、何年も会っていない孫達が大勢やってくると聞いたときの、そして実際に会えたときの祖母の気持ちは、どれほど嬉しかったのだろうか。

普段は2割も食べなかった食事をおかわりまでして食べて、元気に動き、よく喋る。

その時だけは、祖母は元気な時の姿を体現できていました。

そして、孫が帰ったあとは寂しさを感じながら、それでももう思い残すことはないと幸せに天に召されたのではないかと思います。



もしかしたら、祖母は無理したことによって死期が速まったかもしれない。

でも、どちらの方が祖母にとって幸せだったかと思えば、孫に囲まれてたとえ一時でも元気に過ごせた方が幸せだったのではないかと。

病院に勤めていると、盆や正月に入院中の方がお亡くなりになることをよく見掛けます。

最初は本当にお迎えが来たのかななんて思ってました。

でもきっと違う。盆や年末年始に家族が会いに来てくれたから、幸せと共に召されるのだろうと。

孫や子ども達と会える、話せる、触れ合える。先の見えない入院生活において、きっと掛け替えのない喜び。

そんな喜びを分かち合える事がままならぬ現在。

今は亡き祖母の事を思いながら、そんなささやかな幸せが戻って来る日が、いち早く訪れますようにと願った日でありました。



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