不意に「ラストエンペラー」を聴かせないで

夫と久々に外食。天ぷら屋に入った。
店内BGMで、ショッピングモールにありがちな人気曲の琴アレンジが流れている。

天ぷら蕎麦の定食が運ばれてきたとき、ちょうど坂本龍一の「ラスト・エンペラー」が流れ始めた。

「ラスト・エンペラー」のDVDを借りて家で見たのは、もう20年前になるだろうか。ストーリーも美術も音楽も俳優陣も、全てが色の濃い、製作者の「力入ってます」感を全てにおいて惜しみなく出し尽くされた作品は、観る者にも「力入ってます」感を必要とする。
とにかく打ちのめされた。
20年経つというのに、今でも思い出せるシーンが幾つもある。

そしてそのことをすっかり忘れて、呑気に休日のお出かけ気分で天ぷら蕎麦をすすろうとしていたのに、清王朝最後の皇帝、ラスト・エンペラー溥儀の人生が、ドカンとのしかかってきた。
これには面食らった。麺も食らっていた。

坂本龍一が遺した名曲はあまりにも多いが、中でも私はおそらく「ラスト・エンペラー」が一番好きだ。
好きだとかいう問題ではなく、偉大すぎるのだ。
映画の世界観を表している、いや表しているだけでなく世界観を形作る強固な柱となっており映画の世界観がこの音楽に寄りかかることで作品全体を名作たらしめている、だけでなく、この音楽にはこの世の人間の全てが凝縮されている。

卑劣と高潔。無垢と傲慢。微細であり、大胆。か細く、そして雄大。悲しくて目も当てられないのだが、しかし美しくて目を見張る。
そんな「ラスト・エンペラー」の物語が、いや、この映画が描いた、人類の歴史の美醜の全てが、この一曲に込められている。そのくらい、1人の人間の人生というものは筆舌に尽くしがたく、儚くも深く、取るに足らないと同時に何よりも尊い。

最後の壮大なユニゾンを聴くと、この曲のあまりの「大きさ」に、私は完全に打ち負かされてしまうのだ。と同時に、鼓舞され、励まされ、慰められるのだ。

そんな気持ちで天ぷら蕎麦を食べた。
「ラスト・エンペラー」は、久石譲みたいに琴アレンジで和食屋で気軽に流していい曲ではない。天ぷらの味が変わるから。

帰ってから、YouTubeで動画を探してコンサート映像を視聴し、ベコベコに打たれて夜が眠れなかった。

数十年ぶりにまた映画を見返したいが、配信には載っていない。
できるならどこかの劇場でリバイバル上映をしてくれないだろうか。
私は劇場から生きて出ることができるだろうか。

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