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母、母であること、母になること

母が帰っていった。産前から2ヶ月弱、我が家に居てくれた。
最近までほとんど全部の家事をしてくれたし、子どもの世話もものすごくサポートしてくれた。夜は息子と私、母の3人で寝ていて、息子が寝ぐずりしたときは母が寝かしつけてくれた。私では全然寝なくても、母が抱っこするといつのまにか寝ていた。

あんまりいろいろやってくれるものだから心配で、夜中に息子が泣いても母がイビキをかいて寝ていると安心したし、可笑しくて和んだ。
私はすぐ動きたがるので、いつも休むように促してくれた。

精神的にすごく助けられた。
感覚が似ている人がいつでも近くにいることは精神安定になるのだと知った。
実家に住んでいたときは気づかなかったから、私の感覚が母に近づいたのかもしれないし、大人になったからかもしれない。

私は夫にツンケン当たってしまう悪癖があるのだけど、母をみていて、人に優しくするやり方を知った。母と過ごして、夫に優しくできるよう、接し方を考え直した。

息子への接し方も母を見て学んだ。
息子が激しく泣いたとき、「おーおー、かなしいね〜」「いやになっちゃったね〜」と声がけしていて、なるほど代弁してあげたらいいのかと、ここでも優しい接し方を知った。

授乳のときドタバタ動いてなかなか吸いつけない姿を見て「可笑しいね」と母が笑うので、私もおもしろくなってきて、それからドタバタされても焦らなくなった。
1人だったら滅入るようなことも、母と可笑しがって楽しめた。何にも辛くなかった。

寝かしつけるとき「眠れんとね、ふーん」「寝らんね(寝なさいな、という意味)」と声がけしながら、辛抱強く胸元をトントンしているのを見て、あぁ私たち兄妹もこんな風に育てられたのかと思いながら、私が先に眠ってしまった。

母が帰った日は一日中涙腺が崩壊していた。
これからの不安と、それより単純に寂しくて仕方なかった。
あー今これを書いててもまた泣きそう笑。
泣かないで〜と笑われ、夫にも宥められながら見送った。不器用な夫が協力してくれるのかも不安で、涙の勢いで夫に八つ当たりしてしまった。結局プチ喧嘩。完全に私が悪い。

見送りの後、夫がとても優しく、これからのことも冷静に話せたので安心。夫になんでもかんでもぶつけて、彼の姿勢に自分の機嫌を委ねるの、本当よくない。やめないとなあ。

3人で寝てた寝室に行ってまた涙。ここまでは寂しさの涙。

授乳のため息子を抱いた時、ふと
"この子が元気に産まれたのは私の身体が元気だったからで、
私の身体が元気なのは母が一生懸命育ててくれたからで、その母が元気なのは祖母が育ててくれたから……"
と思いを巡らせ、なんだか感動して泣いた。

その後、寝ない息子を抱っこして家をうろうろ。最近はまん丸な目で、よく人の顔を見つめるようになった。
その日は初夏のような暑さで、窓から入ってくる風が気持ちよかった。

なんだか幸せだなぁ、と思った。
「あなたがいるだけで幸せ」
歌詞みたいな言葉が、滲み出るようにじんわり、心の中に湧いてきた。

母もこんなふうに幸せな気持ちになってくれていたのかな、
今私が息子にハラハラするように、ひとつひとつを心配してくれてたのかなと思うともう泣けて泣けて仕方ない。

夫に心配され、「あまりに幸せで…」と言うと、今度は幸せで泣くの!と笑われた。
3月なのに汗ばむようなお天気で、涼しい風が吹き込んだ日。息子のご機嫌なお顔と丸み、重さと幸せは、ずっと忘れない。

いまだに自分のことを「ママ」というのに違和感がある。本当に母親なのかなと思う。母性って何だろうと考えるけどまだよく分からない。
でも、この子は私のお腹にずっといて、どうやら私から産まれて、またずっと一緒にいてくれている。
それを母子というらしい。

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