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すごく野暮なことはわかってるんだけど短歌の解説してもいいかい

岡本真帆さんの、『水上バス浅草行き』という詩集を読んだ。素敵な表現が並んでいるから、言葉に飢えている人は読んでみてほしい。帯の紹介にもあるが、Twitterでも度々見かける「本当にあたしでいいの?ズボラだし、傘もこんなにたくさんあるし」という短歌を書いた方の詩集だ。

収録されている短歌ももちろんだし、紙の選び方や装丁、読者カードなどの細かい文章も本当に素晴らしい。なんとなくこれはずっと手元に置いておきたい本。

ワインのように毎晩ゆっくり少しずつ読もうと思っていたのだけど、気づいたら次の言葉を求めてページをめくり続けていた。

読み終わったわたしの脳内は短歌脳。今日は本を読んでから思いついたいくつかの短歌を掲載する。あと、せっかく作った作品なので解説をさせてほしい。

いやほんとにわたしは自分の短歌の解説をしてしまうのか・・・?ちょっとここに来てプライドが邪魔をしてくる。が、みなさんもぜひ想像を膨らませて、自分の想定と似ていたか、違ったか、そんなところも楽しんでいただけたら嬉しい。

すごく野暮なことはわかってるんだけど短歌の解説してもいいかい

これはそのままの気持ちを5-7-5-7-7で並べた短歌。だけど、実際の文章の前半の区切りは5-7-5のリズムではなく、すごく(3)-野暮なことは(6)-わかってるんだけど(9)と、イレギュラーな区切り方をしている。5-7-5のリズムで読むなら、すごく野暮(5)-なことはわかって(8)-るんだけど(5)となる。

ため息をついて漂う幸せを遊ばせてからもう一度吸う

よく、「ため息をつくと幸せが逃げるよ」なんていうが、それをテーマにした短歌だ。ため息をつくと幸せが逃げるなら、ため息そのものが幸せなのだろうか。それとも、ため息と一緒に体の内側から出てくる別のエネルギーなのだろうか。答えはわからないが、幸せのエネルギーはため息をついたすぐは顔の前をもやもやと漂っているはず。

ならば、出したため息を拡散してしまう前にすぐに吸い込めば、幸せをもう一度体内に取り込める。しかし、せっかく外の世界に出てこれた幸せだ、どうせならそのまま外の世界を旅するのも悪くない。吸い込まずに幸せは幸せとして自由に生きていけばいいじゃないか、なんてことも考える。

それでも結局、自己中心的に迷信を信じてしまう自分は、ため息を吸い込んでしまうんだけど、折衷案としてすぐに吸い込むのではなく、少し空気中を漂わせて自由に遊ばせてあげる。少し遊んでリフレッシュして、また自分のところへ帰っておいで。

というようなことを、不意にため息をついた瞬間に考えている短歌。


嬉しくてなんでもいいから歌にする デジタルカメラ持った気分だ

デジタルカメラを持ったことがある人なら、いや、スマートフォンを持ったことがある人ならわかることかもしれないが、最初のうちはとにかくなんでもパシャパシャと写真を撮りたくなる。デジタルだから、撮っても撮ってもフィルムが足りなくなるなんてことはない。アナログなら吟味するべき構図やシチュエーションも、デジタルになり何も考えずに写真を撮る。

岡本真帆さんの詩集を読んだ自分も、まさにそういう気分。新しいデジカメを手に入れて、なんでも写真にしたくなっているという気分。作品としての出来は気にせず、思いついたことをどんどん表現する。

短歌を書くというデジカメを手に入れて、テーマも完成度もなんでもいいから、5-7-5-7-7の歌にする。出来を吟味せずに楽しく世に出せるのはビギナーの特権だ。

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