死にたいの対処

「死にたい」の対処として、生きるという「意思や行動」ではなく、生きてるという「状態」にフォーカスするように、試みている。

前者では、当然、疑問や絶望が生まれるけれど、後者は「せやな」で終わる。それでそこから何か紡がれることは無い。

特に私は、死の際にいるわけでも、死に瀕しているわけでもないから、生きてるという状態はもう反問の余地が無い。そして「生きてる」というのは問いですら無い。

きっと、「働いてる」とか「食べてる」になると、こうはならないけど、今は生きてるだけだから。無風だ。

病院は、指定していた医師がどっか行ってしまって、行く気が無かったけど、それらしいものを見つけたから、今度行く。
それまでは生きてる。

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