《ティムナ》に《憎悪》は入らない ~統率者ダメージの話と、殴り統率者の美学~
今日も今日とて統率者戦がしたい。
昨日統率者戦をしていたとしても今日もしたいし、遊び終わって帰り道の段階で既に統率者がしたくなっている筆者こと、こんにちは。84gです。
今回は殴り統率者に関する雑感と、あとは割りに曖昧に覚えている人の多い「統率者ダメージとはなんぞや」の話となります。
身内で遊んでいたり、交流会とかで「これってどうだっけ?」みたいに出た話のまとめになるマニアックな事例を挙げていますので、予習・復習のつもりでお付き合いくださいませ。
また、統率者のルールは根本的に変わることがごくまれにありますので、2023年7月現在のルールである旨、ご留意ください。
また、画像はMTG日本の公式ホームページより引用しています。
第一部・【統率者ダメージとは?】
統率者戦は4人対戦で、自分以外に3人いる対戦相手のそれぞれがライフ40点を持つため、120点を殴って勝つゲームです。
もちろん、フェッチランドからショックインして3点とか、Φマナなり《意志の力》なりで減りますが、ライフゲインギミックも多いので、120点削ると考えていた方が良いでしょうが、普段のMTGでは20点削るのに苦労しているのに6倍だそうです。ひえええ。
それを大幅に短縮できるのが、統率者ダメージルール。
同一統率者からの戦闘ダメージの累積21点で勝利となり、筆者が知る限り、この累積点数は“ゲームが終わるまで”減らすことができません。
仮に無限ライフに突入している相手がいたとしても21点のダメージで勝利となるので、無限ライフでも普通にゲームが続行されやすいのもEDHならではの現象ですね。
一説によると、初期統率者戦の考案チームで、EDH=エルダードラゴンハイランダーと呼ばれていた頃、《ニコル・ボーラス》のパワー7で三回パンチで勝てる点数として設定されたとかなんとか。
20だとパワー5で4回、パワー4で5回でひとりノックアウトできる勘定なんですが、21点だとパワー7とパワー3だけが恩恵を受ける数字。
3が7回パンチするのは無限ターンやロックが掛かっている場面以外ではさすがに現実的ではないでしょうし、それなら1でも2でも大差なし。
実質パワー7だけが恩恵を受ける数字とみて良さそう。
個人的にはパワー10が冷遇されてるし、キリが悪いから20点で良いと思うけどね。
あとは注意点とかザックリとまとめます。
・統率者ダメージはあくまでも戦闘ダメージのみ。
統率者本人の効果であったとしても、それは21点の内には入らない。
・異なる統率者を複数持つ場合、それらは別個にカウントする。
統率者はそれぞれに別個の21点を計上しなければならず、複数の統率者を持っていても累積での21点ではない。
《アキリ》も《スラーク》も殴り統率者としての適性が高い共闘統率者であるものの、例えば《アキリ》が12点、《スラーク》が10点をひとりの対戦相手に与えているとしても、ライフが尽きていなければまだそのプレイヤーは敗北しない。
そのため、各対戦相手が共闘持ち統率者であった場合、6つの統率者ダメージを勘定しなければならない。
じゃあ6が最大値かというと、更に自分の統率者を奪われて殴られた場合、それも計上する。
四人対戦で自分も対戦相手も全員共闘持ちを使っていれば統率者は最大で8体まで存在するため、統率者ダメージは最大で8個カウントしなければならない。
そのルールを応用する統率者も存在する。
誰がコントロールしているかも関係なく、《ターンガース》や《スライサー》は他のプレイヤーに任せて殴り続けるデザインとなっています。
つまるところ、統率者とは「同じカードであること」が必須条件と覚えると良いですね。
それを踏まえて、次へ。
・同一の統率者であるかは「同じカードであるか」をチェックする。
例えばAプレイヤーとBプレイヤーが同じカード名の統率者を指定していたとしても、それは別個の21点で計上されます。
というか、「統率者であること」においてカード名は関係ないと思った方が良いです。
《ヴァレンティン》を統率者として指名した場合、裏面の《リセッテ》も参照するため、固有色は緑黒のコマンダーとなるものの、同一のカードであるため統率者税は2枚共通で掛かってしまいます。
ここまでは基本でここから本題。
例えば《ヴァレンティン》が17点の戦闘ダメージをプレイヤーAに与え、その後、なんらかの手段で《リセッテ》に裏返ってから4点のダメージをプレイヤーAに与えた場合、それは同一統率者による21点とみなされ、Aは敗北します。
別のカードによるダメージのようにも感じられますが、似たイメージのカードとして《ケンリスの変身》があります。
これの効果で統率者が能力を失って鹿になったとしても、統率者でなくなったわけではないので攻撃すれば鹿になる前と同じ統率者として計上できます。
なので、例えばプライチカウンターがたくさん乗るタイプの統率者にこれを打ったりすると。
プライチカウンターは鹿になっても消えないので、15/15の統率者となり、元のパワー6の《ポルクラノス》でプレイヤーBを一発殴ったあとに、鹿ポルクラノスでもう一回Bを殴れば、6+15=21でちゃんとBさんはご臨終です。
他のカードのコピーになったり、みんな大好き変容を使ったりしてカード名が変わったとしても関係なくそのカードは【統率者である】情報が消えないため、元の状態と同じ統率者として統率者ダメージを合算できます。
逆に他のカードが統率者のコピーとなったしても統率者であるという情報は【コピー可能な値】ではないため、何点ダメージを与えても勘定されません。
・クリーチャーではない統率者が生物化してもそれはダメージとして勘定する。
統率者にはクリーチャーではなくても統率者になることができるカードが多々あります。
普通はあまり考慮しなくていいんだけど、こういうカードでも何らかの手段でクリーチャー化し、そのダメージが21点累積した場合、そのまま敗北させることができます。
現実的な勝ち手段かは別として、ルール上は21点計算されます。
また、背景選択のクリーチャーと背景エンチャントの組み合わせは前項で述べた通り別の統率者であるため合算はしません。
んで。応用問題。
反転の前後を問わず同一カード。
つまり、《呪之尾》が《本質》になり、その《本質》がクリーチャー化して戦闘ダメージを与えた場合、合算して21点で倒せます。
前項の全ての条件を合わせたようなカード事例。
《エシカ》状態で与えたダメージと、クリーチャー化した《虹色の橋》が与えた戦闘ダメージは合算します。
まとめとしては、「1枚のカードとして同一のカードであればそれは同じ統率者」ってこと。
それはカード名や位相、クリーチャーであるかを問わず、1枚のカードとしてまとまっているかを見る。
第二部・【殴り統率者ってどんなのがあんの?】
・パワー11以上なら2回殴れば倒せるという算数フェイズ!
・自身の効果でパワーアップ!
・装備やオーラを使いこなせ!
どれもリアルに使われたことがあり、着地されると来たか……!と吐きそうになります。
(《ヤーグルとムルタニ》は僕が使用)
その統率者が盤面にいる間、その攻撃対象が誰になるかでゲームの行方が変わります。
殴り統率者は着地するだけで独特の威圧感を持ち、ゲームの中心に立つ特性があるのです。
第三部・【最強カード《憎悪》?】
で。
実はどんな統率者でも手軽に一撃必殺統率者になれるカードがあります。それがこちら。
21点で勝ちということは、統率者パワー+ライフルーズ=21になるだけで勝ち。
例えば、パワー5なら16点ライフルーズすればひとり倒せます。
もちろん16点というのは40点あるゲームでも小さくはないのですが、固有色に黒の入る統率者なら絆魂もあります。
絆魂持ちなら払ったライフがそのまま帰って来るので、手軽に人が死にます。
固有色に黒が入り、絆魂のある統率者ってなにがあったか……。
そう。アレです。
これなら殴るついでにライフを払い、更にドローまでできるので手札も減らず、実質5マナだけでひとりが死にます。
更に《憎悪》は大人気MTGコミック、『すべての人類を破壊する、それは再生できない』でも主人公が印象的なシーンでフィニッシャーとして使っており、遊戯王でいうところのブラック・マジシャン的なカード。
しかも《憎悪》は再録禁止カード、つまり今後流通枚数の増えることがなく、《ティムナ》の必須カードならば、数万円、いやもしや十万円とかなるのでは……!?
……あれ?
安価というわけではないし、高額は高額ですが、超強力な再録禁止カードの値段ではないです。
どういうことかというとコレ、《ティムナ》の優勝リストなんかを見ると、ほぼほぼ入っていないです。
あれぇ……?
・《憎悪》はなぜ最強カードではないのか?
例えばコレが有っても、ブロッカーがいれば止まってしまいますし、もちろん《ティムナ》に除去を撃たれようもんなら憤死です。
つまり、このカードの必殺条件は、
1:ブロッカーがいないか回避能力を付与できる。
2:ティムナに除去が来ないか、あるいは防護できるカードがある。
3:5マナを払える。
全然簡単じゃない……!?
これをなんとかしようと、回避能力と呪禁付与みたいなカードを揃えたとしましょう。
《ティムナ》・《ビルボの指輪》・《憎悪》の三枚コンボで一人が死ぬ!
統率者領域に置ける《ティムナ》はいつでも手札に有るのと同じだし、実質二枚コンボ! 勝てる!
……うん、けどさ?
統率者においては、2~3枚揃えば必殺、というコンボは多いよね?
通称「ヘリオッドバリスタ」。
お馴染み血コンボ。
血コンボの2枚は単独でも《ティムナ》と相性が良いので、コンボが決まらなくても置いておくだけで仕事をします。
そもそも《ティムナ》が盤面に定着しているならリソース補充もできていて有利なはずですし、《ティムナ》が立っているなら相手からしたらブロッカーを立たせる動機として十分。
更に、そこまでやって得られるのが【ひとり離脱するだけ】という現実。
統率者においては対戦相手の敗北は自分の勝利とイコールではなく、いうなれば三分の一の勝利に過ぎないのです。
この三分の一の勝利とは、自分から見て三人の敵の内のひとりが倒れたという三分の一であり、かつ自分を含む残り三人で分け合っている勝利という意味でもあります。
自分が苦労してひとりを倒したのに、残りふたりも同じ報酬を得ているのです。
《ティムナ》にとっては5マナでひとりをノックアウトできるかもしれないカード、よりも、5マナで3人全員に優位になれるカード、の方が価値が高くなりやすい。
MTGの歴史の中にはそういうカードがいくらでもあります。
そして統率者は100枚ハイランダーとはいえ半分程度はマナソースなので、歴代から50枚程度の最強カードの束になることとなりますが、《ティムナ》の固有色的に、《悪魔の教示者》・《敵対工作員》・《剣を鋤に》・《ドラニスの判事》といったカードが高確率で椅子を取ります。
更に共闘持ちとなれば、赤・緑・青の定番カードも入ります。
そうこうしている内に50の椅子の少なくない割合を定番カードが占め、更に必殺コンボを搭載すると《憎悪》は51位以下のカードになり、不採用となっている印象があります。
第四部・【殴り統率者の哲学】
この辺りがよく言われる、「殴り統率者は弱い」にも繋がってきます。
ガチ統率者と呼ばれる卓で少なくなる辺り、それは一定の事実なのでしょう。
ですが、それでは殴り統率者とは存在意義のないものなのか。それは断固として否である。
まず、先ほどの《憎悪》&《ティムナ》は、本人の特性を生かしていない勝ちパターンであること。
《ティムナ》はリソース補充により中・長期戦に勝り、かつ3マナと軽量であることから早期着地が狙える上、相手の除去の的になるのが強み。
いうなれば、他のカードを強く使う統率者であり、本人がゴールを決めるのはそのスタイルからは逸脱しているのだ。
もちろん《憎悪》との相性そのものは悪くないし、回避能力や除去耐性の付与はドロー能力の強化にも繋がる。
だが、それはもう別のデッキであり、大会で入賞しているようなリストからは別軸の新たな地平なのだ。
(それはそれで見てみたい気はする)
《ティムナ》&《憎悪》で8マナと多く掛かっているのも問題といえば問題だしね。
前述した統率者たち、《ガルタ》や《アイスー》は何度除去されてもマナ軽減や土地加速から再度盤面に展開することができる。
《カスリル》は速攻や呪禁の付与から除去される前に仕事をする確率が高いし、《アリクスメテス》は盤面が揃うまで土地として仕事をしつつ全体除去からも隠れていることができる。
《トレラッサーラ》は元が軽いから再キャストも楽だし、占術によってパーツを集める仕事もしている。
速攻付与の容易い赤の装備系である《バトルハンマー》なら出た瞬間に仕事もできるし、墓地からも拾える《ブルーナ》なら再キャスト時に再び最強生物にできる。
《エーデリン》なら本体が倒されてもトークンが残っているし、全除去を食らったとしても1:1交換にしかなってないから損していない。
《コジレック》は手札の補充と打消しによって簡単には倒されない。
そしてもちろん、僕の愛用の《ヤーグルとムルタニ》は……えーっと……その……グルルシャーガルルガフゲコだぜ!
殴り統率者とは、毎ターン、アタック宣言という他のリソースを消耗せずに行える権利を行使するのみで他プレイヤーの脅威となりうる統率者のことを指すのだ。
そういう意味で《憎悪》で5マナ払って統率者ダメージ21点を与えるというのは、結果だけみれば統率者ダメージで倒してこそいるものの、本質的に殴り統率者の挙動ではないのだ。
・殴り統率者からしか得られない栄養素がある。
統率者をしていて、統率者の絡まない無限コンボ、例えば青黒の統率者が《汚れた契約》と《タッサの神託者》コンボで勝った。
そこに至るまでに打消し合戦、盤面の構築、サーチを通すタイミング、様々なやりとりがあり、熱戦の末の勝利。
統率者の最高の瞬間です。
多人数戦の純文学。ガチガチ硬派な無駄のない積み重ね。
それは正に研鑽された語彙によって張り巡らされた伏線と行間の果てに有る至高。
それに対して、殴り統率者は、
「はいドーン! パワー20ゥだゴルァ!」
「1点足りてねーwwww」
「ひとり殴って殺せるわ。誰を殺すかな」
「ハチヨンさんの盤面ヤバイっすよ! 卓の平和のためにあそこっす!」
「僕じゃねぇよ! ジーくんの盤面こそリーチ掛かってるから、そっちからだって!」
「……面倒だからダイス振るわ。1・2だったらハチヨンさんで、3・4だったらジーさんで……ああ、5だからエイトフォーくんにアタック」
「儂、土地止まってるんじゃが!? 全然何もしてな、っぐはあぁっ!」
「パワー二倍にして、二段攻撃と追加コンバットで統率者ダメージ40点っす!」
「それ、統率者ダメージ関係ねええええええ!」
「で、ハチヨンさんにアタックっす」
「トランプル無いよね、じゃあこれでチャンプブロッ……」
「付いてるっす。トランプルあるある。これの効果で付いてるっす」
「じゃあ死ぬしかないんだが?????」
(ライフカウンターのスマホをマイナス方面に連打しだす)
コンボ系統率者のやりとりをMTGの純文学とするなら、殴り統率者は、MTGの四コマ漫画!
もちろん、大雑把に見えるゲーム展開の中に複雑なコンバット計算、ヘイトコントロール、政治交渉が絡むので、難易度は下がりません。
むしろ、誰から殴るか、統率者ダメージで落とすべき対戦相手と、それ以外のライフを攻めて落とすべき対戦相手で別の計算を必要とするため、常に算数しています。
その辺りも含めてたった四コマの中にコミカルながら銀河を作る四コマ漫画!
複雑なビート計算の中、小学生の俺が叫ぶのです。
「デカイ! 強い! カッコいい! 硬い! 究極! 強靭! 無敵! 最強! 滅びの爆裂疾風弾!」
……あ、これ、小学生じゃねえわ。俺の中の某社長だわ。
視覚的に分かりやすい「ぼくのかんがえた最強生物」である統率者を着地させてブン殴らせる、その挙動に本能的にボルテージが上がって精神年齢が原始人にタイムスリップします。
この辺り、パーティーゲームとしてのEDHのある種のオリジンな気がしています。
筆者は無限コンボや2枚リーサルコンボで勝つことも普通にありますが、自分の選んだお気に入り統率者の攻撃で友達の必殺カードを粉砕していく快感に代わるものではありません。
個人的には装備やエンチャントをゴチャゴチャ付けたて、《ティムナ》と《アキリ》とかで組んでマルドゥアーティファクトみたいなビートデッキもアリだと思う。
《アキリ》で殴るはずなのになぜか《ティムナ》が究極生物になったり。
あとよく言われるのは例えば《汚れた契約》&《タッサの神託者》の場合、関係なく三人倒せる。
しかしながら殴り統率者の場合、誰から倒すかを自分が決めないといけない。
殴り統率者を使っていてよくあるのが、対戦相手A、対戦相手B、対戦相手Cの誰でもひとり倒すことができる盤面で対戦相手Aを倒したが、実はその段階でBが必殺コンボを揃えており、次のターンに負けるパターン。
コレはなんといっても盤面を見れていない自分の未熟、そして選び抜いたカードたちの性能を引き出せなかったことへの悔しさに打ちひしがれつつも、最高に楽しい瞬間である。
統率者は多人数との交流が醍醐味であり、明確にゲームの分岐点に自分が立っていたという実感がある。
自分の生き死にを決められる感触というか、盤面をよく見てブラフを掛ける、ボードゲーム的な難しさ、もどかしさ。
それらはEDHでしか得られないものなのである。
一番自分が燃えるカードでブン殴れ!
殴り先は普段の3倍! ライフは6倍! ガンガン行こうぜ!
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画像はMTG日本公式より引用しています。
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