「愛する意味」×自分らしさと向き合う
インドのコロナウィルス拡大、第二波があり、
5月から日本に一時帰国しておりました。
今インドは随分落ち着いてきておりますが、日本が感染拡大中ですね。
日常でのインドの思わず怒らず笑ってしまうような、
トラブル感は味わえませんが日本にいるおかげで、
ペーパブックが読めるのでこちらにいる間は本で心の栄養補給してます。
そこで今回は、最近読んで心に響いた本と、私の恋愛観について
話をしていきたいと思います。
これまであまりヒトに恋愛の話をすることって多くなかったけど、
語りたくなったので書いてみます。
きーちゃんって恋愛をこんな風に思ってるんだっていう、
そういう側面も知ってもらえたら嬉しいです。お手柔らかに
「愛する意味」光文社新書 上田紀行
紹介されて読んでみたけど、心に響く内容が多い。
短いし、さらっと読める。
普段小説ばかり読む私でも、楽しめる内容だった。
自分事に置き換えてみると見方も面白い。
本の引用をしながら、自分の感じたことを書いていきたい。
本の面白いところはヒトによって、感じることも、
イメージすることも、
受け取り方も違って、正解が無いところだと思う。
楽しみ方は無限大ってこと。
素敵な出会いがないと嘆いている人、
そんな人に読んでみて欲しい本です。
恋愛というものの遠さ
正直、自分の人生に恋愛というものが登場したのは随分遅かったように思う。
無関心だったというか、縁がなかったというか。
そもそもそういう話しをする機会もなかったように思える。
言ってしまえば、自分が恋愛するなんて、気持ち悪いとまで言えるくらいほど遠い分野だったかな。
結論から言うと、紹介する本はただただ「愛」について語っているわけではなくて、人生における自分らしさの追求だと思う。だからこそ納得感があるのかもしれない。
物心ついたころからベリーショートヘアで、ズボンをはいていた私は、
ピンクより水色が好きだった。(今だって、赤より青が好き。)
中学生、高校生になって公共のトイレに入るときに、二度見されることもしばしばあった。
身長も平均より高くて、がりがりだったからどう見ても男の子だった。
そんな自分を嫌いではなかったけど。
むしろ、そんな自分が私服でスカートをはいたりすることは
想像もしたくなかった。
そんな中でも「女の子らしくなる」ことへの関心は思春期の
女の子にもあった。
最近思い返していて、その出来事が自分へどれだけ大きな影響を与えて、
自分の恋愛観を抑えつけてきたか思い知った。
中学生の頃のエピソードだけど、今でも鮮明に覚えている。ここは割愛する。
そんなこんなで私が恋愛に本格的に触れ始めるのは、
随分遅くて大学生からになる。
大切なヒトと出会える確率
恋愛での相手とのかかわり方と、日常でのヒトとのかかわり方って意外と共通することがあると思う。
本当に近くなりたい人に、どれだけ素の自分を見せていけるか。
お互いに大切な存在になれるか。
それは過ごした期間だけでは測れない、直感的な結びつきもあると思う。
たった10日連続で昼夜一緒に生活しただけで、ソウルメイトになりえることもあるわけだし。
よく考えてみて欲しい
小学生の頃からカウントして、何人の人と今でもやり取りしているか。
1クラス30人×5クラスで150人。
それが小学校、中学校、高校と続いたとして、450人と関わる中で
今でも連絡を取り合うひと、さらに信頼を置けて大切な時に相談できる人。
私は片手で収まるくらいになる。
信頼できない、というわけではなくてそれだけウマが合う人に出会う確率の話。
単純計算で、学校を舞台にしていること自体正しいかはわからないけど
それだけ自分をさらけ出したい人と出会えるのは奇跡的なんだと思う。
だから、そもそも恋愛できないとか、素敵な人と全然出会えないとか
マッチングアプリでいい出会いが無いとか嘆くのは、不思議なことだ。
だって、そんな奇跡的な出会いを巻き起こそうとしてるんだもん。
親友を作れない!と、嘆いているのと置き換えてみると、もっとわかりやすい。
社会人になり、友達を作るのは益々難しくなる。
ある程度価値観が固まって、自分の仕事があり、職場があり、生活があると
そこから新しい出会いを作るのは至難の業。
今のワタシのように好奇心旺盛で、新しいことに物怖じしないタイプであれば
出会いはありそうなものだけど、なかなかそうは上手くいかないものだと思う。
つまりは、出会いは奇跡的なことである。ということを言いたい。
自分を開示することへの抵抗
「愛は最初から自分の中にはっきりとあるものではなく、流出させてみて初めて自分の中にそういう愛があったと気が付くもの」
29歳目前になって、やっとこのことに納得感が得られるようになった。
私の初めての恋人は大学に入ってから。
ほぼ恋愛経験0の自分には右も左も分からないし、そもそも「好き」って何?次元。
雰囲気にのまれ、流され。
過去に後悔はしたくないけど、自分が無知なばかりに、経験が無いが故に
相手を傷つけてしまったことも多々あったと思う。
「承認された」という感覚
一つ大きな気持ちの気づきは「人に認められた」という感覚だった。
自分なんかを好きになってくれる人が世の中にいるのだ、という発見。
それに対しての感動は今でも覚えている。
ただ、そこから先に進むことはできなかったように思う。
大きな壁になっていたのは、自分をさらけ出すということ。
甘えるのが苦手で、女の子らしいことが気恥ずかしかった。
これは、中学でのトラウマも大きく影響しているけど、自分が形成してきた性格も
少なからず影響していると思う。
まあ、つまり中学生のような恋愛感覚を、大学でも持っていたということですね。
「自分を愛し、人を愛するということ」
これを壊してくれたのは、大学卒業後に付き合った彼だった。
言葉の壁もあったけど、それ以上に惜しみない愛情表現をしてくれたことを覚えている。
全部受け入れてくれる感覚だった。
お国柄、自己愛が強く、他者への愛情も惜しみない。
私を大きく変えてくれた出会いだった。
自分も自分を出していいんだ、自分を見せていいんだ。そういうハードルの低さを感じられた。
プラスのエネルギーを持ち合う関係、切磋琢磨する関係
「自分を変える力を持っている人の近くにいたほうが幸せになる」
恋愛だけでなく、失敗もたくさんして、それでも前に進み続ける人は魅力的。
インドに渡り、本当に多くの人と関わったし、自分自身の軸も見つめなおしてきた。
その中で感じるのは、関わる人を選んでいくということ。
自分を人格形成に大きく影響するものとして、
「関わる人×住む場所×仕事」と言われることがある。
まさにこのことで、関わる人によって
自分は大きくいいようにも悪いようにも変わると思う。
ワクワクするヒトと過ごせば、ワクワクが伝染する。
愚痴ばかりの集団に居れば、きっと気分は下落、素敵な笑顔とは程遠い。
だから、私は自分自身もプラスのエネルギーを持ち、磨き続けたいし、
そういう人たちと面白いことをしたい。
欲を言えば、ワクワクできていない人をワクワクに巻き込みたい。
自分の意見を持つ、主張すること
「どんな話を開示するのかということではなく、その話をする自分が開示されているのだと考える」
意見を言ったり、自己主張することに今まで抵抗があった。
これは大学途中までの自分のこと。できるだけ、目立ちたくなかったし
波風立てずに過ごせれば平和だという考えから、そうしていたと思う。
大学でのタイ留学を経て、自分を伝えていくことの大事さを知った。
フィリピンで、自己開示の楽しさを知った。夢を語ることの楽しさを知った。
インドに渡り、自分の軸を模索していった。
自分の言葉は、自分自身の言語化だと思うし、自分を言葉で外に伝達している。
だから、自分の想いはどんな形でも表現すべき。
まだまだ道半ば、でもそうしていかないと本当の自分を知ってもらうのは到底無理な話だ。
飾った自分ではなく、自分が自分だと周りに認識されるために。
だから時々こうして、恥ずかしいことも、くさいセリフも発信していく。
「らしさ」の最大化と、自分の軸を知ること
他人からどうやったら好かれる人になるのだろうという発想を切り替えてみて自分はどういう人が好きになるのか、何を愛したいのかという「自分にとって愛とは何なんだろう」というところに立ち返ること。
自分は何に心が動かされていくのか、そのことを考えていくこと、感じていくことが大切だ。「愛すること」「自分は何に心震わせていくのか」ということを自分の側から感じたり、考えていくということは、とりもなおさず「自分自身とは何なのか」、そのことに出会うことだ。
仕事選び、軸探しでも同じことがいえると思う。
自分が一番、興奮して取り組める。熱量もって、向き合えること。
他者からの評価のための、飾った自分を作るのではなく、自分の心と向き合って素直になること。誰かに言われたからやるわけでなく、自主的に、自分事で動けること。
それが情熱であり、心からの原動力であり、「好き」である。
何となく取り組んでいる人とは比にならない熱量、それがその人の「やりたいこと」、「いきがい」だと思う。
本当に自分が「この人とここが共振する」ということを見つけることの方が重要だ。そのことがわからないで、向こうからたくさん来た方がいいと考えてしまうのは、逆に自分自身が何ものだかがわからないということだ。
100の内定をもらえても、入社できるのは1社です。
何のために試験を受けているのか、考えてほしい。
10人に告白されても、結婚するのは1人。
私は1社の内定だけでいい、それが見つかること自体が奇跡だと思うから。
自分を愛せない人は、他人を愛せない
君は何に感動するのか、何に君の琴線は震えるのか。そのことに向き合うこと。それは君から君自身への大きなプレゼントになる。そして、君が自分自身を愛しているということは、他の人を愛することにもつながっていく。
自分の大事にしたいことを明確にすること、それが大事にしたい人と出会える近道になる。
正解はないから、まずはトライすることから始めよう。
自分を信じる
自分の人生で、最も大切にしている判断基準は「直感」だと言い切れる。
私は何か決断する時に、必ず自分の心に素直になるようにしている。
これは運任せとか、神頼みとかではない。
ある意味、これまで磨いてきたものだと位置づけられる。
人生は選択の連続で、その中で正しさなんてないけど
選択したことを後悔しない行動をし続けると、心に決めてる。
誰かの言葉を受けて、参考にすることはある。
でも、大概の場合「参考程度」で止めておく。
判断を人に委ねて、もし嫌なことがあったらその人のせいにしてしまうから
それが一番、怖いから。
自分が自分を信じなければ、誰が信じるんだ。とも思う。
自分がまず、自分の一番の味方になるべき。(いいこと言ったね)
だから、これからも私は自分の直感に曇りなく、素直に従います。
オワリに
インドで自分と向き合い続けて2年が経った。
仕事柄、自己分析や、仕事の意味、生きがいを考える機会も多くあった。
その中で確実に見えてきた自分の軸がある。
それを外に発信していくのも、これからさらに成長するための必要なプロセス。
2年前には想像もできなかった自分がここにいるよ、そう自分に言ってあげたい。
本当に素晴らしい出会いがあるんだよって、伝えたくなる。
そんな日々を過ごしています。
「恋愛」から話が逸れて、結果人生観の話になってしまった。
まあ、それも私らしいと言える。
「愛することへと一歩踏み出そう」