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Go To ユートピア


旅行中の、常に何か食べとかないと損みたいな空気が苦手だ。

自分の臓器でフォアグラ作らされてる気分になる。

朝食を食えばランチを探し、ランチを終えればデザートを探し、ディナーを平らげたと思ったら夜食を求め最終日にはお土産屋を彷徨う、観光客とはそんな生き物だ。
冬眠でもするつもりか。

旅行の目的なんて半分くらいは特産品を食うためなのだから仕方ないとしても、そのせいで胃もたれしてたら本末転倒である。

じゃあ何も食わずに旅館で待ってろという話だが、それはそれで寂しい。

なんかもっとこう、ちょうどいい感じで楽しめないのだろうか。




こんなややこしい苦悩に苛まれる原因は「せっかくだから」という気持ちでしかない。

せっかく遠くまで来たんだから多少無理してでも色んなものを食べたい。
その「無理」が嫌なら不完全燃焼を認めるしかない。
でもやっぱりせっかくの旅行に心残りが生まれるのはごめんだ。

うわあああああああ。





そもそも、我々は産まれた瞬間から「せっかく生まれてきたんだから」を理由に多様な経験を強いられている。

色んな人に会わないと損だよ。
色んな場所に行かないと損だよ。
色んなことにチャレンジしないと損だよ。
色んな大人に色んな形で言われてきた。

エントリーした記憶はないが、確かに我々は1億分の1のレースをくぐり抜けてこの世に生を受けている。
すでに選ばれし存在である。

その奇跡を無駄にしないよう、辛酸含めてこの世界を食べ尽くすべきなのであろう。

とはいえ、毎日そんな生活してたら確実に胃もたれを起こしてしまう。

だから現実逃避が必要で、旅行はその手段の1つなのに、なんで旅先でまたグルメに追われなきゃならないのだ。

「ここでしか食べられない〇〇!」って何だ。
俺だってここでしか会えないぞ。

観光地はいつも「京都来たなら金閣寺行っとくべきどすえ」なんて強迫観念を煽ってくる。
全人類が共通して行っとくべき所なんて歯医者さんくらいしかないはずだ。

どこに行けば「せっかくだから」の呪縛から逃げられるのか。




結局、桃源郷は限界まで「せっかくだから」をクリアし尽くした先にしかないのだろう。

何の罪悪感もなくのんびりしたいんだったらその前に出された料理を食べ切らなければならない。

旅館の部屋と窓の間のスペースが愛されているのは、あそこが散々名所を巡って疲れ果てた人が行き着く場所だからだ。

旅行の目的のもう半分はああいう空間で思う存分疲れを癒すことだと思う。
それを達成するためにも、吐きそうになるまで食べ歩きを続けるべきなのだ。




散々駄文を書き連ねてきたが、結局は色んな大人の言う通りだった。

動くか動かないかだったら動いた方がいい。

何もかも面倒だからって引きこもるのはせっかくの人生を無駄にしている。

毎日1つは新しい挑戦でもして刺激を得ろってこった。


あ~あ。



また限定を理由に変な味のポテチを買ってしまった。









でも、意外と美味しかった。






















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