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嘘と友達と白兎

友達が多いことのメリットのひとつに、なんとなく嫌な誘いを「友達と遊ぶ」ことを理由に断れるというものがある。

完全に偏見だが、「友達と遊ぶ」と言って断るときの3割くらいはウソだと思っている。

ただ僕はそれを「ウソつけ!」と言うことはできない。なぜなら、証拠がないからである。
「別のサークルの友達と~」とか「学部の友達と~」とか、自分とは違うコミュニティの人の名前を出されたら真偽の調べようがない。

一方僕は友達がサークルにしかいないので、「学部の友達と遊ぶから無理だわ!」と言っても一発でウソだとばれる。


こうなると、先の予定を断るときの言い訳を見つけるのは非常に難しい。

「TOEICだから…」とかは日付を調べられればウソがばれるし、こういう試験は意外と午前中にすぐ終わることが多い。

バイトを言い訳にするのも限界がある。シフト提出は2週間おきとかなので、それより先の予定は断れない。

一応引き受けておいて当日に体調不良だということもできるが、さすがにドタキャンは人に迷惑がかかるので避けたい。

こうして、結局嫌な誘いも受けてしまう。


これは少し不公平ではないだろうか?

言ってしまえば、友達多い人が友達と遊んでる間に僕がそのケツをぬぐっている状態だ。

本当は一人でネットサーフィンをしていたいのに。


ここでひとつ提案がある。

ネットや本やテレビを「友達」としてカウントすることはできないだろうか?

「娯楽」という意味では同じである。

僕の友達はインターネットなので、ある意味ネットサーフィンは「友達と遊ぶ」行為である。

本だって僕に色んな事を教えてくれる友達だし、テレビは僕をめちゃくちゃに笑わせてくれる大親友だ。


しかし、「(人間の)友達と遊ぶ」ことが言い訳として成立する理由には「その友達にも迷惑がかかるから」というのがある。

物体には人格がないので「今日は本を読むので休みます」と言っても「いやお前が違う時間に読めばいいだろ」と論破されてしまう。


なら、人間以外で人格があるものを使うのはどうだろう。


例えば、ぬいぐるみ。

実際ぬいぐるみに人格はないが、本とかパソコンとかの物質よりは感情移入することができる。

相手に思い切り感情移入させれば、ぬいぐるみにも人格が生まれると思う。



「その日はぬいぐるみと遊ぶ予定なんで…」

「ぬいぐるみとなんていつでも遊べるだろ」

「いや、ぬいぐるみと約束したんです。ドタキャンしたらぬいぐるみが悲しむんです。小さい時に母が買ってくれた、大切なぬいぐるみなんです!!

(松任谷由実「春よ、来い」を流す)

あれは15年前、冬も終わりに近づいたころの話でした。

母とデパートに行ったときに偶然見つけた、やさしい顔をした白いウサギのぬいぐるみ。
僕は彼に、呼ばれているような気がしました。とても不思議な感覚でした。

僕は駄々をこねてそのぬいぐるみを買ってもらい、ピョンタと名付けました。

僕はどこに行く時もピョンタを連れていき、毎晩一緒に寝ていました。

ピョンタとの初めての外出は、お花見でした。ピョンタと僕は、大きな桜の木の下で、『僕が20歳になった年のこの日、また一緒にお花見をしてお酒を飲もうね』と約束しました。

楽しい時もつらい時も、僕はピョンタといました。
ピョンタは僕の、一番の親友になりました。

しかしいつからか、僕はピョンタと遊ばなくなりました。
ぬいぐるみと遊んでいる自分が恥ずかしくなっていました。

地元を離れて都会の大学に進学し、自分の将来を見つめなおす時期。

僕は自暴自棄になっていました。

自分のやりたいことがわからずもがき苦しむ自分を、慣れない都会の空気が押しつぶそうとしているように感じました。

そばには友達も家族もおらず、何の支えもない毎日。

そんなとき、実家から謎の荷物が届きました。


段ボールを開けると、そこには、ピョンタがいました。

(「春よ、来い」がサビに突入する)


ピョンタはいつものやさしい顔で座っていました。

長い間タンスの奥で眠っていたせいか、真っ白だった体はだいぶ茶色くなっていました。

気づかないうちに、涙が止まらなくなっていました。

そこで僕は、あの約束を思い出したんです。

今年、僕は20歳を迎えます。

不思議と”その日”は忘れていませんでした。

ピョンタが、待っているんです。


なので、その日は空けられません。」



もう二度と誘われなくなる気がするからこれはやめよう。



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