「わたし」レンズ
少し前に、年上の女性2人(40代と50代、既婚、お子さんあり)と田舎町に遠出したことがあった。
帰りの電車に乗る前に、お手洗いを済ませておこうという事になり3人で女子トイレへ。
個室は3つ。
二人ともパっと見渡しそれぞれ、手前と奥のドアへさっと入っていった。
私は一番最後に残った個室へ。
用を済まし、何の気なしにドアを開けて他の2つの個室を見たときにハッとした。
その2つは和式で、私の入った個室は洋式。
偶然かもしれないが、私の知る2人はすごく優しくて思いやりがあるので、きっと洋式を私に譲ってくださったんだと思う。
いたく感動したと共に、こういうさりげない気遣い、利他の精神が私には欠けている…と落ち込んだ。
2人は、当然、
「洋式を譲ってやったぜ」みたいな顔をすることもなく(笑)出ていった。
私はこういうことが出来て初めて「大人」と言えるのでは?と最近考えている。
お2人は子育て経験があるからだろうか?
私より10年、20年も先を歩んでらっしゃるから?
兄妹がいるから?(私はひとりっ子)
いや、違う気がする。このまま私が年を重ねても出来そうにない…
このままでは、ただの「歳取ったひとりっ子おばさん」である。
もう1人、別の年上の女性のエピソード。
2人で大きな国立公園に行った際の、またもやお手洗いでの出来事である。
用を済ませ、洗面台に向かうと、小学生の女の子2人が手を洗っていた。
私は(遠足かなぁ…)と思っただけで、そのまま隣の空いている台で手を洗い、入口付近で友人が出てくるのを待っていた。
友人がほどなくして個室から出て、その小学生の横へ来たとき。
友人「どうしたのー!!それ!」と小学生に話しかけた。
私も小学生2人も、びっくりした。
友人「足んとこ、泥だらけじゃない!大丈夫??」
私は少し離れたところから慌てて、その内の1人の子の足を見た。
確かに泥だらけだった。(気づかなかった…)
小学生は驚きながらも、水たまりにこけてしまったことを友人に話をして元気に出ていった。
私はまたも自己嫌悪に陥った…
私は、なにも見えていない。見えているのに見えていない、
まるで「私」というレンズを通してでしか世界を見ていない気がした。
もっと、いろんなレンズが欲しい。
もう、「私」フィルターは充分味わった。
私は新しいレンズを、これから手に入れられるだろうか…?
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