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なんか生きんのてしんどい思たけどな、ぜんぜん気のせいやったわ①

こんにちは 翡翠です😊

スピリチュアルでは、生まれる前にしてきた契約というものがあるとよく言われますよね

だから乗り越えられるとかなんとか

乗り越えられるんじゃなくて、必死のパッチで乗り越えるんですけどね😆

私はどうやら盛りだくさんの契約をしてきちゃってるようでね
ちょっとギューギューに詰め過ぎちゃうん?
と、物申したいくらいに様々なミッションを現在も進行中です🫡

そもそも、身体が弱い
もぉ、なんなん?😗

今はだいぶ丈夫になった方ですが
子どもの頃からしょっちゅう熱を出したり病気になったり

そして暫く体調良いな、と思えば怪我ね🤕

不注意とかでは決して無いと自分では思っています

これは今もですが、外でも家の中でも何故かびっくりするような大きな怪我をしてしまうので、周りも私自身もすっかり慣れっこ

でも子どもの頃は、本気で呪われていると思っていました

いや、ほんまに😗

怪我だけでも全部書き出すとかなりの日数がかかっちゃうので、大きな転機となった出来事を何回かに分けてUPしたいと思います

自分自身の整理の為と、ご覧になってくださった方の何かしらの励みになれたら幸いです🤗

エントリーNo.1

約10年前に高速道路で単独事故を起こし、今も左足と右手に後遺症があります

高速に乗った記憶はなんとかあるのですが、事故に至った経緯を覚えていません

アホやから忘れたとかちゃうからね?

当時、1番上の子どもが東海地方の高校の寮に入っていました

帰省していた子どもを車で京都から寮まで送り、帰りに最寄りのインターから高速に乗ったところまではギリ覚えています

後から警察から聞いたところ、インターから事故現場までは30分ぐらいの距離があり、記憶が無くなるような持病もないのですが、その間の記憶がスッポリと消えていて未だに戻っていません

警察の綿密な調査の上、単独事故と断定されたのでそうなのでしょう😆

その時に、所謂、臨死体験をしました

CTに横たわる自分を見下ろしていたのです

テレビで見たんとおんなじやん
とか
あちゃー、死んでしもた
とか
怖いにゃけどー!
とかもなく

感情はないけど穏やかさだけが存在し、あれが「無」というものなのだと思います

しばらく見ていたら、ブワッと限りなく白に近い明るい白銀の光のチューブ状のものに抵抗する事もなく当然のように吸い込まれました

「無」から「幸福感」のようなものを薄ら覚えた時

チューブ状の何かの外側に、若くして亡くなった友達と、見覚えのあるような気もする顔が見えたのです

誰だか思い出しそうになったところでハッ!となり、何故かクシャミが出て、目を開けたらCTの部屋の天井が見えました

目覚めて発した最初の言葉は
「あぁ……寒っ」

私ね、時間を巻き戻せるようになったらココのセリフを変えます😗

医師によると、救急車で病院に搬送されている途中に瞳孔が散大
到着時には、助けられない、ダメだと思った、と

頭部及び全身打撲、肋骨骨折八箇所、横突起骨折十数箇所、そして頚椎と脊椎の損傷

七百メートル余りの距離を跳ねるように横転していたであろう道路の痕跡
車種の原型をとどめない車体
天地が逆になり、ガソリンも漏れ、髪や身体のあちこちが歪んだ車体と部品に挟まれたまま、意識も無く容易に動かせない身体

救助に駆け付けた誰もが厳しい顔になったと聞きました
そして救出までに相当な時間もかかったそうです

後の現場検証の際に、警察の方が不思議そうに首を傾げながらこう尋ねました

「ひとつ関係のない事を聞きたいんだけど、あの状態でどうやって自分で救急車呼んだの?」

私が自分で、私の声で携帯電話から通報した記録があるらしいのですが、近くに携帯電話は無かったそうです

怖ない?この話🙀

そして搬送時に瞳孔が散大し、必死で救急隊員が話しかけていた時には、寮にいる子どもの名前と携帯番号を伝えたそうです

ヤバない?この話🙀

それから京都の病院へ転院し、数回の手術と長期の入院

生涯介助が必要になると告げられていました

自分以外のものがくっついているとさえ錯覚する痛みも感覚も無い身体に、まるで思考と肉体が分離されたような違和感が常につきまとう

尿意も便意も感じず、オムツで自分の知らないうちに用を足してしまう事よりも、オムツを自分で履けない事に悔しさを感じました

そして思うようにいかないリハビリ

数え切れないくらい癇癪を起こしましたが、その度に涙をこらえて口元を歪ませながら寄り添ってくれた理学療法士の卵がいました

彼女の国家試験前には、テキストを見ながら私の動かない筋肉の名前を教えてくれ、リハビリから病室に戻ってからもその筋肉の名前を念仏のように唱えられ、夢に出てきた事もあります😆

試験に合格した、と私服で報告しに来てくれた彼女の笑顔は私の宝物になりました

彼女だけではなく、そんな人に囲まれていたから絶望感はなく
ただ、足で重力を感じたい
ご飯を作りたい
それだけでした

退院し、自宅に戻ってからはリハビリセンターに通いました
その頃にはひとりで車椅子に乗れるようになっていたのですが、筋肉は痩せ、体力も落ちていました

歩行者信号が青になり、赤に変わってもまだ渡り終えていなくて、親切な腰の曲がった年輩の方が手伝ってくれた事もあります

本格的なリハビリで、疲れ果てて家に帰れないんじゃないかと思う日々
行くのを躊躇した時もありましたが、それを支えたのは、右を見ても左を見てもセンターにイケメンがたくさんいたからでした

幻ちゃうからね?😗

元気になったんだと実感しました

今はクラッチという素晴らしくカッコいい杖を使用していますが、右脚はほとんど以前と変わらない迄に機能しています

手も握力はほぼ計測不能ではありますが、特に困る事もありませんし、尿意も便意もその他もしっかり感じます🤭


痛みや痺れは後遺症ではなく、存在する証明

携わって頂いた全ての方と、周囲の方の日々の配慮
に感謝致します☺️



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