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なんか生きんのんてしんどい思たけどな、ぜんぜん気のせいやったわ④

こんにちは 翡翠です😊

反抗期って皆さんどんなでしたか?
なーんかイライラしたり鬱陶しくなったり

反抗期がなかったと仰る方もたまにいらっしゃいますよね

私が親に反抗したいちばん古い記憶は4歳です
幼稚園に行きたくないと朝っぱらからダダをこね

「そんなんばっか言うんやったら、幼稚園のカバンほかしといで!」

と母親に言われたので、ゴミ箱ではなく家の外の敷地内にあった焼却炉へカバンを投げ入れた時から始まりました


エピソードNo.4


私の父親は七人兄弟の末っ子で、私が生まれた時には他界していた祖父の会社を父の兄弟が継いでいました
所謂「えぇとこのボンボン」だった父は何不自由のない生活をし、母と結婚した時には結婚祝いにと
母に山をポンとプレゼントするような家庭でした

父の長兄が会社を継いでからもそんな暮らしぶりは続いていましたが資金繰りが上手くいかないくなり
私が小学校一年生の時に長兄は父を保証人にし失踪 
山も別荘もいつの間にか無くなって、他の兄弟達も姿を消しました

借金取りがうちに毎日のように取り立てに来ていましたが私はまだ事情が理解できなかったので
顔見知りになった借金取りに

パパのお友達なんやろ?
毎日来るて仲良しやね
パパが帰ってくるまで私が遊んだげるわ

兄には止められましたが、数人の借金取りと仲良く遊んでいました

帰ってきた父は私を人さらいのように横に抱えて家に入り、兄に私から目を離さないように言いました
それから兄は遊びに行く時も必ず私を連れて行き
ひと時も目を離さないようになりました

「底なし沼」と兄と名付けた池で釣りをしたり、普通のカエルを「食用ガエル」と呼んでみたりと名前を付けるのが好きでした
猫もいないのに「猫の小屋」と名付けた材木置き場の屋根に登っては飛び下りるという女の子らしい遊びはありませんでしたが、ワクワクして兄の手を離しませんでした

そして小学校二年生の夏休み
朝から兄は友達と近所の山にクワガタ取りに行っていたので私は母とお留守番していました
夕方に父が帰ってき、それから母と少し何か話をし慌ただしく荷物をバッグや袋に詰め出しました
母は私に

好きなおもちゃ1個だけ取ってき

どこかに出掛けるんだと喜んで「サラ」と名付けていた大好きなお人形を取りに行きました
車に乗り、兄の居る山へ向かい兄も回収
泥んこの兄にクワガタが何匹取れたのかと聞いても兄は下を向いて答えてくれません
父と母も黙ったままで不思議に思っていましたが
車が着いた先は母の姉の家でした

同じ歳の従姉妹に久しぶりに会えたから嬉しくて
着くや否や持って来たお人形で遊びました

次の日になってもまた次の日になっても家に帰る気配はなく、いつ帰るのか母に訊ねると
三学期から従姉妹と同じ小学校になる事を言われました
夜逃げでした

友達にお別れも出来なかったし、お気に入りの水色の自転車もない
たくさんあったおもちゃもサラひとつ
底なし沼や猫の小屋で兄と遊ぶ事はもう出来ないんだと思うと悲しくなり兄にそう言うと

こっちでも遊べるしな
と無理に笑った顔を覚えています

約束通り兄は遊んでくれました
私を自転車の後ろに乗せ、曲がり角で私を振り落としたりと相変わらず女の子らしい遊びはありませんでしたが、それは大きくなっても変わりませんでした

中学を卒業した兄はバイク屋さんに就職をし、なにやら派手なお友達が更に増えました

耳がおかしくなるような音がするバイクの後部座席に私を座らせ、兄は自分が脱いだ上着を私の身体が兄と離れない様に袖を縛り静かに走らせました

翡翠、ちょっとスピード出すけど大丈夫やからな

後ろからパトカーがサイレンを鳴らしていました
そんな英才教育をたくさん受けましたが、私から目を離さない事は同じでした
変わった事はと言えば夜逃げをして以来の両親の仲

母は保証人になった父を責め、父は起きてしまった事をいつまでも言う母を責める

はじめは両親の間に入り止めさせようとしましたが
新しい環境に馴染もうと、子どもなりにしていた努力なんてどうでもいい事だと言わんばかりの度重なる決着が着かない罵りあいに、私はどんどん荒んでしまいました

学校に行っても行かなくても両親は気付きもしませんでしたが、私が皆と同じ様にしない事には敏感で
京都に来てからずっと同じ歳の従姉妹と比較をされ
なぜ従姉妹のように出来ないのかと言われました

皆と同じようにする事に納得が出来る理由があればそうしたかもしれませんが、理由もないのに言う事を聞く性質ではありません

学校へ行くのが当たり前だからとか
先生の言う事を聞くのが当たり前だと言われても
誰を基準にして当たり前になっているのか
学校の朝礼で何故全校生徒が立って並んでなきゃいけないのか
音楽の時間に何故一人ずつリコーダーを吹くのか
そして何故 親も皆もそれを疑問に思わないのか
その事が腹立たしく思えました

中学で髪を茶色にした時もタバコを吸っている事も最初に気付いたのは兄でした
止められる事はありませんでしたが、兄がひとつだけ言った事は

なんでもえぇし、なにしてもかまへん
ただ、俺には直ぐ連絡しろよ

私は兄と一緒に遊ぶ事はしなくなりましたが、その言葉だけはずっと覚えていました


警察学校のグラウンドに原付で入ったら何周目で追いかけられるのか実験している時も
単車に何人乗れるか実験している時も
無免許で捕まったら親に鴨川沿いを引き摺られながら家庭裁判所に行かなきゃならないのか実験している時も
特攻服でハイヒールを履いたらどんな風に見えるのか実験している時も
数十台の単車が集まって仲良く走っている時にパトカーの警察官が早業で出すカメラの写真に写ってしまったらリストに載るのか実験している時も
家出をして警察に捕まった時に捜索願いが出されていたら保護されるのか実験している時も

ずっと覚えていました

兄の彼女は何人も知っていましたが、これまでとは違う顔で紹介された人がいました
とても綺麗な人で、彼女は私の事も兄と同じように大事にしてくれました
いつも二人は一緒に居て、時々は私もドライブに誘ってくれました
その時に彼女は私の気持ちに耳を傾けてくれました

悪い事をしている自覚がある事や、何をしても晴れないモヤモヤにさえも苛立ってもいた
そんな事の全部を彼女は、うんうん、とずっと聞いてくれました

その時に、疑問に思っている事を否定されずに聞いてもらいたかったのかも知れないとボンヤリ思い
それからいろんな事も重なって、気持ちの落ち着きを徐々に取り戻していきました

でも兄は自分の軽率な行動が理由で彼女にフラれてしまい、兄はずっと彼女を忘れられずにいましたが二人は同じ時期にそれぞれ別の人と結婚しました

彼女と私はたまに連絡を取っていたので、彼女が子どもの顔を見せに来てくれた時に兄に連絡をしました
兄はすごく嬉しそうな顔で数年ぶりに見る彼女と長い時間 話をしていました

この二人が結婚していたらな……

そう思った理由のお話はまた次回に😊 


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