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ストリートピアノ文化が長続きするために

「ストリートピアノ」という存在がブームになって久しい。2019年4月に設置された「都庁おもいでピアノ」を皮切りに、爆発的に、本当に爆発的に全国的にストリートピアノの文化が普及した。

ストリートピアノが僕は大好きだ。気軽に弾けて、気軽に聴いてくれる人がいて、音楽を通して新たな出会いもある。コンサートホールやライブハウスなど、閉じた空間でずっと演奏してきた自分にとって、開かれた空間でのパフォーマンスというのはとても魅力的だった。

今だから正直に言う。自分は「YouTube上での文脈におけるストリートピアノ」があまり好きではなかった。演奏そのものよりも、演奏に対する観客のリアクションや人の多さなどが重要視される風潮。「人を集める」ことが過剰に目的化した違和感。もちろんそれがストリートピアノの良さではあるのだけれど、なんというか、インターネットのバズに最適化されすぎたコンテンツで溢れ返っている様子がある種のディストピアのように見えて、どこか自分は迎合しきれずにいた。

僕と同じような考えの人が一定数いるであろうことは想像に難くない。そしてそのような考え方を心の奥底に溜めていた人が今、ストリートピアノのマナーという「正義」を振りかざして批判しているように僕には見える。

去年の12月ごろだったか、とあるピアニストと「連弾」をしようということになって、久しぶりに都庁ピアノを弾きにいった。気軽に連弾できるのもストリートピアノの良いところだ。都庁ピアノは1人5分までというルールが定められており、弾きたい人は列に並ぶ。子供だって大人だって、プロだってアマチュアだって、全員が平等に弾いて、周りの人はそれを楽しそうに聴く。そこに上手い下手なんて関係なかった。小4の男の子が僕に話しかけてくれて、一緒に連弾もした。すごく喜んでくれたし、僕も楽しかった。人々は特定の「誰か」を聴いているわけではない。「都庁ピアノ」それ自体を聴いているのだ。僕は感動した。新しいコンサートの形だと思った。

もちろん全てが都庁ピアノのようにはいかない。普通は常駐スタッフは居ないし、人が集まりすぎると通行の邪魔になる場合だってある。一般より少しだけ影響力のある立場の人は、他の人が弾きやすいような配慮や周りに迷惑がかからない配慮は、普通以上に慎重に考えるべきなんだと思う。

けど少なくとも、僕の知り合いのいわゆるストリートピアニストと呼ばれる方達で、自分たちが一般人より優先されるべきなんて思っている人は僕は一人も知らない。マナー違反はもちろん駄目だけど、今回話題になっている(ピアノを占領したと言われている)YouTuberの方も、その意図は無かったことを公言している。真相はわからないが、だからといって、一般人が萎縮してしまうから上手い人は演奏を自粛しろというのは、僕は違うと思う。どんな人だって平等に演奏のチャンスが与えられるのがストリートピアノの良さであるはずで、問題はそこではない。

世のストリートピアノをメインに活動する方々がピアノの市場規模を拡大してくれたのは紛れもない事実で、彼らの存在がなければ、明らかにここまでストリートピアノも流行っていなかった。ピアノに関わっている人は少なからずその恩恵を受けていると思う。インターネットに特化しすぎたコンテンツが少し観る人を選ぶというだけで。

たぶん、ストリートピアノは急に流行りすぎたんだと思う。中身以上に流行が先走ってしまったものは、その崩れたバランスを調整しようと批判する人が必ず生まれる。本来ストリートピアノは多くの人を幸せにするものであるはずで、実際大部分では上手く回っているように思う。このストリートピアノのブームが一過性のものとならず、息の長いコンテンツになってくれることを切に願うばかりです。キーワードは、「公益性」でしょうか。一人一人が、このピアノ業界を盛り上げようという一般意志がある限り、きっと長続きすると信じています。

別に何かを主張したいわけではなく同意してほしいわけでもなく、僕が個人的に感じたことを書き留めておきたかっただけです。全ての人がストリートピアノを楽しめますように!

かてぃん


P.S.  ものすごーーく個人的な話をすると、音の粒をウリの一つにしている自分としてはストリートピアノだと7割くらいの実力しか出せないので、あまり動画には残しません。やっぱり良いピアノと良い録音環境で、満足いくクオリティのものを届けたい。。頑張りますので今後ともよろしくお願いいたします。

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