法律相談へ

今日は、沖縄県女性財団単発で行われる無料法律相談がありました。予約をしていたのですが、今朝、キャンセルの電話を入れた私。理由は、今月使えるお金がもう3,000円しか残っておらず、それは残り約10日間の通勤のガソリン代。今日、片道1時間もかかる那覇まで運転して更に託児の費用を払うことはどうしてもできず、正直にそれを伝え、電話かリモートで利用することが出来ないかを相談したのでした。その場での返答は、リモートは不可とのこと。今日は諦めてまた別の機関の無料相談に予約を入れよう。と思った時、予想しない事を言われました。

「まずは電話窓口にて内容を詳しく聞かせて頂き、それを踏まえて、弁護士の先生へどういった相談の仕方ができるかを確認しませんか」。その後、同じ建物内にあると思われる電話相談の窓口から電話を頂いたのです。私の声や状況から、以前も私の匿名の電話を取ったことがある、と相談員さん。詳細を話すと、支援できる方法や道が沢山あるとの事で「ガソリン代をお渡しできる様に手配するので、今日の法律相談に、来ませんか?」と、仰って頂いたのです。

私の聞きたかったことは、簡単にまとめてこの4つ。①離婚調停に来ない可能性がある。②来ても話がまとまらず、調停が終了する可能性がある。③親権においては、私が掃除をしない、料理もレンチンばかりなどと言う事を主張されるだろう。④全額で無くても良いが、支払われなかった生活費を少しでも請求することはできるのか。

弁護士の先生は男性の方でした。相手が調停にさえ来れば、生活費を支払う様にと約束をさせられる可能性ができ、調停での決め事を破った際には、差押え等の強制執行もできる。ただ、離婚調停のみでは、相手が調停に来なかった場合はそのまま終了してしまう懸念がある、と先生も仰いました。それに対し勧められたのが、「婚姻費用分担請求の申し立て」。端的に離婚だけだと性格の不一致等もあり調停では介入し難いところだが、婚姻費用が支払われない事は生活に支障があると見做される為、調停の場に来なければ強制執行が適用されるのだそうです。①と②、そして④に関しては、婚姻費用分担請求の申し立てで解決の方向に向かわせられるだろうという事でした。③において、掃除などは不利になる要因ではなく、例えば県外出身嫁で、地元に帰ってしまうとなると子どもが父親に会わせて貰えなくなることが懸念事項となり不利になる事ならばあるそうで、私の場合は仕事もある為今のところは帰る予定はなくそれで不利にはなる事もないね、との事でした。

他者(この場合従兄弟)の名前を使って私からお金を借りて行ったり、会社の同僚にも同じ手口でお金を借りようとした事などはかなり悪質で、従兄弟からの証言は期待できないにしても、私に自白した時の音声の証拠は有力だそうです。

弁護士の先生とのお話はとても有意義で、婚姻費用分担請求の申し立ての為の書式をダウンロードし書類の準備、そして連休明けには家裁へ連絡のし書類の送付をする事となりました。

その後、キッズルームで子どもたちと一緒に相談員さんとお話をする時間も頂けました。年齢は母くらいのようにも見える、女性の相談員さん。今朝、私のキャンセルの連絡を受け、「もしかしてあの相談の人かも?」と思われ気になって連絡をくださったのだそう。相談はする側もされる側も匿名の為、「今後状況が進んだり変わったりしたら、あなたの名前を言ってくれたら私に繋がるようにするからね」と仰ってくれました。たくさんのお菓子や食材、保存食、そしてお米。お米は父から送られて来たし、私よりももっと必要な方にあげてくださいと断りましたが、「どれも腐る物ではないから、子どもたちの為に貰っておいて。元気を出して、良い仕事をするのよ。人の幸せをお手伝いするお仕事、あなた自身が幸せでなくちゃ勤まらないでしょう。」更には、もっと早く知れれば野菜もあったんだけどねー等と。「もしも、住居を移る事を考えるなら、那覇市や沖縄市等であれば手厚いサポートが整っているし母子寮だってある。調停も大事だけど、一刻も早く離婚を成立させたその後に自身を自立させる事も考えて」と仰っていました。私の住んでいる地域に女性が1人で暮らせる不動産屋をしている方もいるのだとか。
そして朝のお電話ではガソリンカードをあげるからとの事でしたが、食材の荷物の中には現金1万円が…。慌てて返そうとするも、「これはNPO法人からの小口だから、気にせずにもらっていいのよ。いつか自分に余裕ができたら返してくれてもいいし、返さなくても全然いいの」と。この時私は、お金まで頂くなんて、と申し訳なさと情けなさでいっぱいでした。ましてや私は、すぐに引き出せないにしても貯金は少しならある。もっと必要な人は他にいるはずなのに。しかし、生活費を貰えない日々、無意識に「助けて…」と呟くこともあった。頼っていい。今頼らなきゃダメ、と相談員さんは言いました。あなたはただ、好きで一緒になったかもしれないけど、違ったってだけ。でも子どもたちの人生は長い。あなたは我慢して良くても子どもたちの将来、それが悪い方に転じてしまう。その言葉が私の脳裏に響いた。

いつか返したい。この恩とお金も。そう思いお名前を尋ねるも、「相談員は言えないルールだから」と教えては貰えませんでした。必ず良い報告をしますと言って、私たちは帰宅しました。

帰りながら、「ママ、今日は何をしにここへ来たの?」と尋ねてくる娘。
「ママは、勉強をしにきたの。大人になってもわからないことって、たくさんあるんだね。今日は勉強になったよ。」
そのとおり、初めて聞いた言葉に、考え方。
私はこれまで、[子どものために]という呪文に縛られて我慢に我慢を重ねてきたけど、それを普通だと思い込んで娘がそんな人生を歩んだら?息子が嫁にそんな思いをさせたりしたら?
自分の目の前の道を信じて進もう。ひとつの生き方として私が作ろう。そう強く思った、那覇からの帰り道でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?