枯渇⑥

 2016年5月。春先の怒涛の繁忙期を乗り越えた私には思いもよらない、まさかのふたりめ妊娠だった。こんなことは絶対に息子本人には言えないが、身に覚えの無い妊娠ってこういうことか、と思った。無いといえば無い、有るといえば有る…。毎日3件の式を施行し、いつも寝る時間にようやく帰ってきて、ソファで朝まで寝過ごす程ヘトヘトだった。夫が側に来ても避ける気力が無く、とにかく寝ていたかったのは記憶にある。

 この先のことを思うと不安でしかなかった。なにせ、夫は職業訓練生。これから資格を取って就活をしなければならない身。私は、一体いつまで働ける…?とはいえ、娘がお姉ちゃんになることを喜んでいるし、それは私も嬉しい。そして会社がとても協力的で、できるだけ負担の少ない業務を振ってくれるし皆気遣ってくれる。最初の妊娠の時を思うと今回はとても有り難く、心穏やかな気持ちで初期を過ごせた。

 6月末。ようやく待ちに待った夫の職業訓練の手当が入った頃、突然、職場に夫が来た。「手当の入った通帳とカードを訓練校に提出する必要がある」とかで仕事中に電話が来たのだが、言ってることがよくわからないがそれなら口座番号の書いてあるページのコピーで良いはずでは、と私が返答したものだから、「通帳とカードって言ってるだろ!」とわざわざ取りに来たのである。職場の駐車場でどんなに話しても、通帳とカードを持ってこいの一点張り。言い合いの果てに、お前の鞄はどこだと、お客様のいるブライダルサロンの中まで入ろうとしてきた。そして「嘘だと思うならおかー(夫の母)に今すぐ聞いてこい!!」と言い、なぜここでおかーが出てくるのかも不思議に思いながら、これ以上ここで騒ぐわけにいかない為、すぐに鞄を取って戻り、「なんで通帳とカードが必要なのか今すぐ聞くわ!!」と、そのまま休憩をもらい、車で1分の夫の実家へ移動した。

 義母は突然の私たちの訪問に驚き、事態を把握できない様子。そりゃそうだろう。私自身もさっぱり把握できないのだから。そもそもなぜ訓練校に、なぜコピーでなく通帳とカードそのものが必要なのか。尋ねても、先生がそう言ったからとか支離滅裂なトンチンカンな答えばかりで平行線、やがてポロポロと、通学のガソリン代が無いだとか、お弁当代が無いだとかを漏らし始め、つまりそういうことである。すると義母はたちまち「そりゃお昼代は必要でしょうよ」等と言い出し、通帳とカードを渡す様私に要求してきた。私だって日々のお弁当はつわりと戦いながら自分でおにぎりを作って持参しているのだ。自分で訓練校に行くことを決めたのなら、必要な経費は自分でどうにかしろと思う。そう言っても伝わらず、呆れて通帳を渡さずに車に乗り込もうとすると、物凄い剣幕で追ってきて車のドアを掴み、無理やりこじ開けようとする夫。車のドアを蹴ろうとする仕草もあり、壊されるかの様な恐怖感に涙が溢れてきた。私たちのその様子を見て義母は一言、「家の前で騒がないで!近所迷惑だから出て行きなさい」

 確かに近所迷惑ですよね、あなたの息子が。私が預かるから渡しなさい、という義母に通帳を渡し失意に陥りながら職場へ。車の中で目の腫れが引くのを待ってからサロンへ戻った。

 会社では、これまでの様にお客様満足も大切だが、売り上げを上げることにも注力していこうと、特定の商品にインセンティブを付ける取り組みを始めた。次第にこれまでの様な式の施行ができなくなってきた私は、座ってできるお打ち合わせをメインに割り振られる様になり、故に販売のチャンスも多く与えられた。そしてやってきた10月、11月の繁忙期には、これまでの売り上げの倍以上とも言える成果を出した。販売のチャンスを与えてくれ、産休に入るギリギリまで働かせてくれた、上司と職場の皆には感謝しかなかった。頂いたインセンティブはおよそひと月分の給与ほどだった。産休に入っても何とかしばらくは暮らせる。

 そして、12月。産休に入ってほどなくしてから、繁忙期の最中に受けた登用試験に合格したとの知らせを上司から受けた。莫大な売り上げを出した事で表彰もされ、その賞金と、冬季賞与の査定でもかなり高い評価を頂けたそうで、契約社員としては高いボーナスを支給された事も聞いた。この時の上司からの「復帰したら晴れて正社員だから。安心して産休をとりなさい」という言葉は、今でも全身に染み渡るほど鮮明に思い出す。この会社に入社できた時には夢が叶ったと喜んだが、正社員になることができたこの日は、子どものこと以外で、自分のことであれ以上に幸せな事がこの世にあったのかと、嬉しくて信じられない気持ちでいっぱいだった。



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