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体の傷は癒えても、心の傷は消せない

私が中学生だったころ。
不思議なご縁からソフトボール部に入部した。

これは、まだまだ弱小校で、
練習試合さえなかなか組んでもらえず、
道具さえも満足にそろっていない環境で、
必死にグラウンドを走り回って、白球を追いかけていた時のお話。

はじめての練習試合は、忘れたくても忘れられない。
私たちのデビュー戦は「47対0」と言う惨敗から始まった。

その時の感想と言えば、
「試合とは、こんなにもつらいものなのか?」
中学生にして、苦行を味わっている気持になった。

しかし、私たちの良さは「明るくひたむき」なところ。
どんなに周りから、笑われるような試合をしても、
馬鹿にされても、諦めることなく練習に励んだ。
雨の日も雪の日も、炎天下の下でも、休みなく。

大人になった今、子供だからこその純粋さかだったのか、
それとも全員の根性が座っていたのか、と思うほど
本当にあきらめが悪かった。

それでも、毎日必死に練習しても、
休みの日に公園に集合してみんなで自主練しても、
なかなか試合で結果が残せずに、
チーム全体の士気が下がってしまったことがあった。

「明るさ」だけが取り柄の私たちが
まるで火が消えたかのようにしょんぼりとした
雰囲気になってしまった時があったのだ。

その週末の練習試合は点差はそこまで開かなかったものの、
やっぱり負け試合だった。
しかも、その時自分たちでは気が付かなかったが、
とても雰囲気が沈んでいたのだ。

試合の後の反省会。
その時、顧問の先生から、
私たちは縮み上がるほどの檄を飛ばされた。

「お前たちは、何しにここに来たのだ!!!!!」

あまりの鬼のような剣幕に、私たちは一言も発することが出来ない。
しゃべるどころか、息をすることさえ忘れそうだ。
とにかく、空気がピリピリと痛いし、
まるで重力がいつもの倍かかっているようだ。
喜怒哀楽のはっきりした方だったが、この時は
まるで、閻魔様が乗り移ったかのようだった。
とにかく、恐い。

やっとの思いで、部長が絞り出すような涙声で
「すみませんでした。。」

しかし、先生の怒りは収まらない。

「お前たちは、試合をしてもらっているにもかかわらず、真剣に向き合わなかった。それがどれだけの人たちに失礼なことなのか、よく考えてみろ!!!」

返す言葉がなかった。
確かに、気持ちが沈んできちんと目の前のことに集中できていなかったかもしれない…

相手のチームに、応援しに足を運んでくれた親たちに、先生に、そして頑張っていた過去の自分を裏切ったことに、心の中で謝った。

「時間と言うものは巻き戻すことはできない。だから、いつでも全力でやり切るのだ!!たとえ下手くそで、すりむいたり体に傷を作ったところで、お前ら若いんだから傷はそのうち治る。けどな、心に傷を残したら、直すのは難しい。毎日、後悔しないくらいしっかりやれ!!!」

半分以上が下を向いて泣いていた。
だって、怒った顔があまりにも恐かった。

先生は、容赦ないので、そのあとも半分泣きながら
私たちは練習をした。日が暮れるまで。

あの時の出来事は、
ある意味で「心の傷」かもしれないと思っている。

私は、心にできる傷は2種類あると思う。
1つは、後悔と言う名の傷で、時間を超えて心を苦しめる。

もう一つは、勲章となる傷。
こちらは、苦い思い出だとしても、
心は軽く、学びに変わってくれる傷だ。

大人になり、グラウンドに立つことはなくなった。
しかしみんなそれぞれの場所で、人生と言うフィールドに立っている。

どんなに歳を重ねても、間違うことはあるし
頑張れない時だってあるだろう。

でも、時間の流れは、決して止まってはくれない。

私たちにできることは、たくさんはないのかもしれない。
けれど、後悔と言う名の傷をあまり作ってしまわないように、
心が重くならないように、
一分一秒でも長く、本気で向き合っていきたい。

あなたの「傷」はどっちだろう?

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