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僕がお酒をどうぞした話

交換日記はじめました

看護師のかげです。

もしもあなたが何かしらの理由で病院に入院したときに
「本日担当させていただきます看護師のかげです。よろしくおねがいします。」
とあいさつして
点滴したり採血したり体拭きしたり
そういう、どこにでもいる看護師のうちの一人なのだが
病院にいないときは
絵を描いたり、文を書くことをしていたりする。

そんな僕に交換日記しましょうとお誘いがあった。

https://note.com/yumikaoru/n/nbb9760f5cf02

テーマはお酒とのこと、
こちらの日記を書いているライターのしらいしさんとは一緒に仕事もさせてもらっているのだが

飲み会でもお呼ばれしたり、ご一緒したことが何度かあるのだけれど日記を読みながら思い出してニンマリしてしまった。それくらいに僕はしらいしさんのパワーを享受している人のひとりなのである。


飲食店で働いていたぼく

僕は2年間くらい飲食店で働いていた。

なぜ飲食店かというと「飲食店で働いたことがある」という体験をしたかっただけなのだ。

何十年後とかに雑誌のインタビューで「飲食店で働いた経験が自分の今を作っていますねアハハ」と言ってみたい。何気ない体験こそがとても大切と腕組みながらクールに言うのだ。

勉強するためにおしゃれな筆記用具を揃える、旅行に行くので『るるぶ』を買うような「カタチから入る」のが好きな僕は「そうだこれだよ」と意気揚々と黒く長い腰エプロンとズボン、白いシャツを受け取った。これがギャルソンとかセルヴ―ズというやつか。おフランスに住むジョセフィーヌとかそういう名前の人たちもきっと「マーヴェラス!」とコーヒー片手に賛美してくれるに違いない。「さぁ最高のおもてなしをしよう」と何のインタビューをされるのかも決まっていないがカタチを整え、おフランスの人なんて来ないであろう夏は光化学スモッグ立ち込める工場地帯のレストランでひたすら酒と食事を提供する仕事を始めた。

働いたレストランはビールの泡の割合とかカクテルの提供の仕方とかが要は「きちんと」していた。

お酒の注文が入るとインカムでお酒の注文が共有される。共有された酒はすかさず空いているスタッフが「行きます」と宣言して作るのである。飲食店のインカムは「1番行ってきます」といってトイレに行くためのものなのではなかったのか、さすがジョセフィーヌはいないがガタイのいいおじさんが「ええお店や」とガハハと笑って賞賛してくれるだけはある。黒く日焼けしたこのおじさんはまるでフランスのブランド店の前に立っているガードマンのような高貴ささえ感じる。大丈夫、おしゃれだと自分に言い聞かせていた。

おいしいビール講座

ビールの黄色い部分と泡の割合、泡の密度、これらがバランスよく注がれたグラスビールはとてもおいしい。

でも僕は濁った濃厚な梅酒とか、フルーツがたくさん入ったサングリアとか、チョコレート系のとろとろしたリキュールとか甘くてこってりしたやつが好きだ。それを少しずつ飲むのがたまらない。

働いていた飲食店ではグラスビールの注文が多かった。ビールをあまり飲まない僕は「みんなよく飲んでいるなぁ」とぼんやり眺めていた。おいしそうに飲む人を眺めるのは「みんな幸せになってくれよ」と良い気分になる。

ある日上司にビールを提供するようにと言ってきた。おフランスで苦しむとは思わなかった。諸君らはこれからビールはジョッキか瓶で頼んでくれなどと思いながらビールっぽい黄色と白の割合でビールを注いだ。

我ながら良い出来なんじゃないかとフフンと満足げにしていたら、こんなものを提供しようとしたのかと僕が注いだビールを上司は目の前で床に流した。床に黄色い液体が広がった。なんだか尿みたいで嫌だったので手に持っていた白いダスターで床を拭いた。

確かに僕が注いだビールの泡の割合が多かったかもしれないが、これは二酸化炭素が溶けているビールの泡という不安定な状態から無事に気化し安定した二酸化炭素として空中に拡散できたものが多いということなのではないだろうか。このように液体が気体になったりすることを相転移というのだが、僕はすこしばかり一次相転移する勢を増やしてしまっただけなのにこの上司はあろうことかビールを亡き者にしてしまったのだ。
僕はただ飲食店で働きたい、あわよくばウン年後有名人になってインタビューで何気ない経験が実を結ぶなどということを悠々と語りたいと思っていただけだったのにどうしてこうなった。全く何気なくない経験である。

しかも拭くという動作でなんだか僕が頭を垂れているような様子になってしまった。度し難い。
上司は「次からはちゃんと確認しろ」的なことを言って去っていった。僕が反省したように感じたのか。それならば完全に観察不足である。

おいおい待て待て僕のビールの注ぎ方、確認してくれんのかい!

交代もせず酒の置いてあるカウンターに僕を置いていくということは「ビールの注ぎ方がへたくそ」という情報だけを知り、何の技術も得なかった僕が作るしかないではないか。上司はさらにビールを亡き者にする気なのか、それともへたくそな注がれ方をしたビールをこれも一興と客に提供するのか。もう僕は何に許せないのかわからなくなってきたが、とにかくこのままでは誰も幸せになれないので近くにいた先輩に教えを請うた。先輩は僕が上司に頭を垂れていた様子を見ていたので気の毒そうに「あの人は厳しいけどいい人だから」と反省して落ち込んでいるように見える僕を慰めたが、僕の頭の中はとにかく世界平和のためにグラスビールの適切な注ぎ方を今すぐご教授願いたいという思いしかなかった。こうしている間にもお客さんは「ビール来ないな」と連れとぼやいているであろう。僕だったらそうする。今まで注文して、注文したものがなかなかこなかったとき「早く来ないかな」と思っていたが、なるほどもしかしたら歴代の来なかった出来事の裏にはこういうエピソードがあるのだな。もしかしたら裏で床を拭いてるのかもしれない。そう思うと優しくできるのである。

お客さんへビールを提供

グラスのビールの注ぎ方を学びお客さんのもとへ向かった。注ぎ方に関しては残念ながら覚えていない。申し訳ないが僕は忘れっぽいのだ。教えてもらってすぐにできたのだから彼女は教え方がうまいことは確かだった。覚えていないけど。

テーブルへ伺うとスーツを着た何やら接待中のサラリーマンたちが「お!ちょうどいい」と一口残ったビールを飲み僕に空いたグラスを渡した。向かいながら待たせてしまったことへの謝罪の言葉を必死に紡いでいたのに、粉のようにさらさらと崩れていった。「ありがとう」彼らはビールやワインを片手にすぐに彼らの会話の世界へ楽しそうに舞い戻っていき、僕は空いたグラスを丸いトレーにのせて戻った。

適材適所

上司は各テーブル一人ひとりのお客さんのお酒の飲むペースを観察し、「ちょうどよい」タイミングでお酒の提案をしていたのだ。会話を邪魔せず、ちょうど飲み終わる頃に合わせて作ることで待たせない。特別な待遇、心地よいお酒の提供を成し遂げていたのだ。

飲食店で働いていると様々な人が酒を飲んでいる。楽しく笑っている人、いますぐにでも泣き出しそうな人、怒っている人……家の方が値段も安く済むしお店より自由に話せる。 そんな人たちがお店で酒を飲むのはこういった『楽しめる空間』『特別感』を無意識に得たいし求めたいからなのではないか。

僕はグラスを合計10個ほど破壊してこの飲食店を辞めた。喧嘩して故意に破壊したのではなくトレーから落としたり洗う時にぶつけた。辞めるとき僕にビールの注ぎ方を教えてくれた先輩が「看護師になったとき経験が生かせるといいわね」と声をかけてくれた。「何気ない経験」とは程遠いし、インタビューで飲食店の出来事の話をすることは来ないと思うが糧になったのは確かだ。
ただ飲食店で働いてビールへの苦手意識は拭えないどころか強まったので僕は甘いお酒を頼ませていただこうと思う。上司にはビールの泡が通常より粗くなる呪いをかけておくことにする。

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