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おつかれさま医療者

3/13からマスクについて
個人の選択を尊重し
個人の判断に委ねることになりました

とのこと。

僕は花粉症かつ医療者なので
これからもしばらくマスクをしていますが

マスクについての報道を聞いてなんとなくとはいえ自分の中でコロナについて「一区切りついた」とやっと初めて感じることができました。

とはいえ実家では数日前に親が感染していて大変だったのでまだまだコロナに感染する可能性はあります。

でもこれを機会に一度頑張ってきた自分を医療者を労う日にしてもいいかなと思うのです。

何するかって
ただ「お疲れ様、大変だったよね、頑張ったよね。」
「今までありがとうございました。すごく大変でしたよね。お疲れ様です。」
って心の中で想うだけです。
ぜひちょっと想ってあげてください。

コロナが病院にやってきたときのこと

当時僕は救命救急センターで働いていました。一般病棟から異動して2年くらい経っていた頃で、全然知識がなかったので必死に勉強しながら仕事をしていました。

ニュースでコロナの話をみて、当時は怖いなと思いつつ「どこか自分には縁のないもの」とも感じていました。

ある日仕事に行ったら「コロナ疑いがいるよ」と同僚に言われて、救命センター内の集中治療室の窓を覗いたら人工呼吸器に繋がれた患者さんがいました。
そのときも怖いなと思いつつ「結核がたまたま酷くなった感じかな」と考えていました。空気感染するっぽい、呼吸器感染症みたいな。
そんなことはないもっと、もっと怖いものだった。
後に患者さんはコロナの指定病院に転院していきました。当時はまだ感染した人は少なかったので専門の病院に行っていたんですね。なので新しい病気はまだわからないことがたくさんあるから餅は餅屋が対応するのが1番と思っていました。
それは僕は対応する頻度の高い疾患や治療の勉強がまだ不十分だったので勉強を、情報を知ろうとするのを後回しにする言い訳にすぎません。

コロナはめちゃくちゃヤバいものかもしれない

相変わらずホットライン(救急車に乗ってくる人がどんな人かを知らせる連絡)では足があらぬ方向に折れてる人だとか、薬を大量に飲んで自殺を図る人だとか、心臓が止まってる人とかがランダムに救命されに救急車で運ばれてきていました。どんな人がくるのかわからない、死ぬのか生きるのかもわからない。僕はただ役目を全うするために必死でした。コロナどころじゃない。

仕事が終わったあとは、運ばれてきた患者さんの状態、検査データ、治療、そして自分の動きを振り返ってどうしたらよかったのか何が足りないのかを、ガイドラインや文献を読んで頭に叩き込んでいました。
夜勤明けはそのまま疲れてキーボードに頭を乗せて寝て画面が大変なことになっていたりしました。コロナどころじゃない。

ある日、仕事開始時にボスが「コロナの対策について毎日情報が更新されるから読んでから仕事をするように」とファイルを持って話していました。もちろん院内のPCでも回覧は見れるよと。
内容を見てみると「まぁコロナけっこうヤバいけどとりあえず発熱患者は統一して完全防護してね」みたいに書いてあって、そこで「もしかしたらけっこうヤバいのかもしれない……」と危機感を感じてネットで調べるようになりました。

地震が起きた時にヤバいと思いつつ「まぁ大丈夫でしょう」と自分に言い聞かせて引き続きテレビ見つづけたりするようなやつ。
自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりするという認知バイアスで「正常バイアス」といいます。覚えておこう。

コロナめちゃくちゃ怖い

仕事に行くたびにコロナ対応の回覧の量は増えるし、ニュースでは増えてきてる広がってるみたいな情報が流れていました。

でもコロナが増えてるからって他の怪我、病気は減りません。僕は相変わらず救急車のサイレンを聞きながらどういう状態で何の評価をしたらいいんだ何の点滴を用意したらいいんだどのタイミングでCTいくんだ生きるのか死ぬのかとぐるぐる考えていてコロナ怖いと思いつつ仕事失敗したらどうしようという自分の状況の方を怖がっていたりしました。(当時の自分仕事に余裕がなさすぎるな…)

そして発熱患者がいれば完全防護、もうご存知と思いますがN95マスクだとか、ガウンを着て対応します。時にはその状態で心臓マッサージしたり。心臓マッサージ、骨がゴキュゴキュ砕けていく音がするときがあってけっこう手に、耳にその感覚が残る。

んで、当時はコロナめちゃくちゃ早く悪化するんですよ。びっくりするくらいあっという間に人工呼吸器も、エクモも使うようになる。他の病気でも人工呼吸器もエクモも使うんですよ。でもだんだん悪くなって、使うしか…って感じで使ったりするイメージなんですけど「えっえっ」って感じであっという間に悪化する。
怖かったし、そのとき「もしかして、コロナ…N95マスクすり抜けるかもしれない」という不安を感じたのを覚えています。目の前で人工呼吸器に、エクモに繋がれている患者さん、もしかしたら未来の僕かもしれない。

マスクが麻薬に並んで金庫管理になる

「マスクを盗む人がいるので金庫管理にします」

ある日朝の申し送りでボスが言っていました。
「いやいや新しいの発注しろよ!」
とはならず、
「そりゃ管理しないとなくなるでしょうがよ」
という雰囲気でした。

コロナが流行って数週間後。マスクを使う人が増えて需要と供給のバランスが崩れてマスク不足になっていました。

コロナ前の医療現場は感染の可能性がある時以外では処置をするとき、排泄などのケア、ICUなど特別な場所以外では表情がわからないので一般病棟なんかでははずすようにとか言われたりしたこともありました。
そしてマスクをする場面では一つ処置が終われば手袋はじめエプロンやマスクなどを全ず捨てて新しく付け直して次の処置をしたりします。
日によっては一日10枚くらいマスクを使うことがありました。

それがコロナのご時世になって「なるべく使わないでね」からはじまり「一日一枚」「紙袋に入れて数日置くと使えるから交換して使いましょう」とありえない頻度になっていきました。
このときSNSではたくさんの医療者がコロナのヤバさを発信していました。共感することもあれば「あなたの周りはそんなにヨユーなの?!何故?!もう国が違うのでは?!」「いやもっとやばいやん大丈夫?!自分のところだったら無理」
と思いながら見ていました。
僕は「コロナのことは絶対Twitterや InstagramなどSNSで呟かん」と心に決めていました。これは割とずっと守れたし、それでよかったと思っています。結構地域差、施設(病院)差が大きかった。特定につながるし、なにより大切な公的機関の情報よりも早く目につき、そして必要な情報が埋もれていったのです。SNSだけで情報を拾うのも間違っているのですが、身近なのでどうしても縋りたくなる。そんな世界でした。
でもやっぱりみんな発信してるとちょっと伝えたくなったりしました。だから発信してるのは悪くはないのです。そうしたくなる、それがSNS……

退職した

僕はもともと3月で救命センターを退職して、転職予定でした。それはもう一年前くらいから周りの人に伝えていて「辞めるから、もうこの一年は、全力で頑張る」と決めていました。だから仕事が終わった後もたくさん勉強したり、新人さんに自分ができる分野(呼吸療法認定士だったので呼吸関連)の指導をしたりそりゃあもう自分のできる全力で走っていました。
そして辞めるぜ!というときにコロナがやってきました。
「人がいないから有給あげられません」と言われました。

僕の 40日の 有給

でもコロナがヤバすぎる中で辞めることへの罪悪感が有給をなかったことにして、相殺できるのではと思っていました。
当時の自分意味わからなすぎる。有給はもらえ。

転職した

野戦病院みたいなところにきました。
すごい、モノがない。激アツです。
そんなところはコロナの補助金を少しでも足しにしようとするのかコロナを積極的にみるような体制にしようとしていました。実際足しにしても儲かってる感じは全然しませんでした。経営頑張れ!!
モノがないと感染の危機と別の危機を感じます。ヒト、モノ、カネとは良く言ったものです。僕はただのヒラスタッフなので自分のできる範囲で医療を全うします。
世の中のマスク不足が改善されてもマスクのSサイズが得られなかったのがめちゃくちゃ辛かった。
自分で買って用意しました。 

高度医療を行う救命救急センターから野戦病院の一般病棟に転職してそりゃあもう激アツな看護師生活です。看護はいいですよ。みんなもやってほしい(ここまで話聞いてやりたい人はいるのか)

おわりに

これはただの看護師のコロナのお気持ちの日記です。
コロナのせいでたくさん頑張って我慢して辛い思いをして、でも看護師はなんだかんだいいなぁという思いは持ち続けていられたのはコロナへのみ憎しみを向けてたからだと思います。
というわけで憎しみ続けていますが
明日で一区切りしようと思います。
頑張ったね、僕、がんばったね医療者、がんばったねライフラインを守ってくれている皆様、がんばったねみんな。今まで辛かったけどここまで頑張れてよかった、偉い、すごい。拍手。


勘違いしないでほしいけど、
コロナこれからも絶対許さないかな…!

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