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励ましのサイエンス 其の10 宮城治男さんの場合

1993年の設立以来、多くの社会起業家を輩出してきたNPO法人ETIC.。2021年6月、創立以来28年間代表を務めてきた宮城治男さんの退任の発表は各界に衝撃をもって受け止められました。多くの社会起業家を見守り、育ててきた宮城さんにとって「励まし」とは? そして退任の背景にあるものは?

励ましたり励まされた体験を思い出してみるのですが、どれか特定のエピソードというよりも、私が経営してきたETIC.という組織は、そもそもたくさんの人たちの励ましで成り立っていると感じます。

なにかメリットがあるわけでもないのに純粋に応援してくださる方たちもそうだし、スタッフにしても、高給がもらえるわけでもなければ将来安泰でもない。親や友達に自慢もできないのに、わざわざ選んで参画してくれる。そのこと自体に自分はいつも励まされてきました。

だからというわけでもありませんが、私の場合、励ます時にも励まされる時にも、相手によって軽重をつけないことはずっと意識してきたように思います。

そもそも私にとって励ますことは、落ち込んでいる人を引き上げるというより、その人自身の力で立ち上がれるはずだという信頼をもって向き合おうとしている、というだけなのかもしれません。

その人がやりたいと思うことならば、必ず意味があるはず。その前提に立って話を聞きます。それは「すべての人に価値がある」という自分なりの哲学もありますが、自分がそのように話を聞いてもらったり 信じてもらえると嬉しいから、人に対しても常にそのように接しようとしてきた、というだけなのかもと思います。

励ましに軽重がつけられないというのは、NPO法人という組織形態とも関連しているかもしれません。

たとえば株式会社が10億円の出資を受けたら、1億円の出資者と同じというわけにはいかない。経営権も保有比率に応じて配分することになりますから、おのずと権力ヒエラルキーが発生します。

でもNPO法人は、もちろん寄付もいただきますが、一方で、新しいサービスの最初のお客さまになってくれたり、ただ話を真剣に聞いてくれたこととかが、その人、その時にとってかけがえのない思いに支えられて成り立っていて、そこに軽重をつけられない、という思いがあります。お金のように明確な物差しでははかれない、様々な、まさに目に見えない資本によって励まされ続けて、今があります。

私はETIC.の代表を退任しましたが、たとえばもし株式会社なら、創業者が保有する株式の一部を手放して経営への関与を減らし、スタッフや応援いただくみなさんとシェアしていく選択もあり得たかもしれません。資本主義という仕組みの中では、株式の保有比率で明確にオーナーシップが決まるからです。でもNPOという組織の特性上もあり、30年近く創業代表として務めてきた私が、特定して譲ることのできない多くのものを握り過ぎてしまっていたというのも、今回の決断の背景にありました。

やなさわ:少し前に『ティール組織 ― マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』という本が話題になりました。僕もブログで解説してみましたが、軍隊型組織や家族型組織を経て、ヒエラルキーのほとんどない自律的な組織に進化するのだと。

先ほど「ETIC.という組織が励ましによって成り立っている」とおっしゃいましたが、それは、言ってみれば金銭や序列に制約されない究極のティール組織ですよね。

僕たち株式会社も、それを取り入れることができるのでしょうか。それとも組織の特性上、どうしても「励まし」や貢献に序列をつけざるを得ないのでしょうか。

宮城:極論を言えば、組織形態がどうであれ、自分たちの信念や目指す組織文化に基づいた運営はできるはずだとは思います。ただ人間、どうしても組織の形態、構造やそれを背景にした事情に影響されることは否めません。そういう意味では、究極のティール組織を実現するには、それに相応しい法人格、場合によってはまったく新しい法人格が望ましいのかもしれませんし、あるいは法人格という概念自体がそぐわないのかもしれません。

NPO法人は比較的フラットと思われていますが、法律上、代表理事や理事を置かなければなりませんから、やはり権力のヒエラルキーは前提になります。その法人格のルールの中で本当の意味でのティール組織を実現するのは、たとえNPOであってもいろいろ意図的に調整し、工夫する必要がありました。今回ETIC.が採用したスタッフによる当番制的な権力のない理事会の仕組みも、そのような背景に基づいての新しい試みになります。

我々は資本主義の概念に知らず知らず影響を受けて生きています。例えば株式会社においては株式の所有比率によって経営権が制約されることも、取締役を置かなければならないことも、なかなか回避しにくい無意識のバイアスを生みます。自覚できないからこそバイアスなので「自分たちはティール組織だ」と思っても、いつの間にか法人格の事情や既成概念に囚われているかもしれない。

それでも既存の枠組みの中で、権力のヒエラルキー構造のない自主経営組織を実現しようと思ったら、ETIC.という、理念だけで集っているような背景と特殊なキャラクターをもった組織では、一旦創業代表である私が握っていたものを手放すことでリセットしたいと思いました。ただ、みなさんが同じ選択をする必要はまったくないと思います。いまはまだまだ実験の途上ですし、それぞれの場所から試みつつ、組織の目的や状況にマッチしたあるべきかたちを模索していく時期ですよね。今の時代、外側に答えはなく、まず組織や自らの、在り方そのものに向き合い、アップデートしないと前に進めない。

やなさわ:これからのETIC.の挑戦次第では、出資比率や序列という資本主義的な組織のヒエラルキーに囚われない、ステークホルダーの励ましだけで成り立つまったく新しい組織ができるかもしれないということですね。

宮城:はい。いま、まだそのチャレンジを始めたところですね。今のETIC.のメンバーたちは、先の見えない試みにほんとに果敢に挑んでくれると思うし、既にいろんな進化が起きていると聞いています。ぜひみなさんの視点や協力をいただきながら、ひとつのモデルというか、事例となればという願いはあります。


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