人は死んだら星になるのか

先月末に、大好きな祖父が亡くなった。
母から連絡が来て、祖父宅まで86を走らせる中で、考えたことを書き留めておこうと思う。

祖父は、沢山のカメラを持っていて、多弁で、オタク気質で、大の酒好き。
実に僕の祖父らしい男である。
また、僕にとっては、「口うるさい写真の師匠」でもあった。
僕が、どんな写真を見せても、
「もっとここをこうしろ。」「この写真はここがダメ。」とダメ出しばかりであった。
そして、見たこともないような古いカメラをたくさん持っていたが、
こんなに可愛い孫が「これちょうだい!」と言っても絶対に譲ってくれない頑固ジジイだった。

祖父が一番に気に入ってるカメラは何かと尋ねたときに、見せてくれたのがこのカメラだった。
Nikon S3というRF機だった。
祖父の兄が、祖父にお下がりでくれたものらしい。
祖父は、幼い頃に両親を亡くしており、親戚を盥回しにされて育ったと聞いているので、兄と一緒に過ごせた時間もそこまで長くなかったのではないかと思う。
そんな兄に貰ったカメラだから、ライカよりも大事に持っていたそうだ。

祖父が大事にしていたNikon S3と祖父の手。
祖父の兄が、間違えてS2だと祖父に言った為、祖父はS2だとずっと勘違いしていた。

人が死ぬことを「星になった」と表現することがあるが、嘘だなぁと思う。
いや、50億年後に太陽が爆散して、地球も巻き込んで、元素が全て散り散りなって、またどこかで重力引かれて、新たに星になるかもしれない。
でも、今はまだ星になってないから、事実と異なると思う。

星を見るのは、「過去を見ること」と言われることがある。
夜空に光る星のほとんどは、遥か彼方にある恒星で、
我々の目に届くまでに、何万年〜何億年と掛かっていると言われている。
つまり、今見えているのは、過去の星の姿だ。
無論、そんな遠くにあるものに手が届くわけでもない。
その星に辿り着くことも物理的に不可能だと思う。

故人は、これから何かをすることはないから、
生きている我々は、その人が過去にやってきたことを思い出すことしかできない。
今もこれからも、その人を思い出すことで、身近に感じ続けるだろうし、
きっともう会えないのだと思うと、遠くの星を観てるのと変わらないなぁと感じる。
そう考えたら、星になったと思うのもしっくりくる感じがする。

葬儀が終わって、祖母が「おじいちゃんね、『もう写真の腕は、孫に追い越されちゃったなぁ。』って言ってたんだよ。」とボソッと言った。
じいちゃんが生きてる内に、もう俺教えたいことは、全て教えてくれていたのだと知って、少しホッとした。

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