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老人と海

学校帰りに、実家の近くのスーパーの2階にあるTSUTAYAに通い、「旧作5本が1週間で1000円」と銘打たれたCDを、毎週火曜日に借りることを楽しみにしていた高校時代。
「いいものを聞いた!!」と思うのは、その5本のうち1枚か2枚くらいだった。
勝負と呼ぶには低すぎる勝率だが、その当時の私はその5枚に、毎週賭けていた。
そして、その低すぎる勝率でも、充分に満足していたのだろう。
勝てると思っていないからこそ、勝ったと感じた瞬間に興奮した。
かっこいいバンドを見つけたら、それを友人に勧めるのが楽しかった。
きっと1枚も面白いと思うCDがなかった週もあっただろうが、
そんなことは今となっては覚えていない。

最近、動物写真を撮ったり、天体写真を撮ったりしている私だが、
自分のことはカメラマンではなく、バンドマンだと思っている。
高校時代に軽音部で組んだバンドだって、もう10年以上まともに活動していないが、解散だってしてはいない。
今は歌ってないが、狭い我が家には数本のギターと真っ赤なAC30があり、
自意識だけはいつまでもギタリストのままである。
故に、人の話をほとんど聞いてこなかった私も、
かっこいいと思うバンドマンの言うことだけは、大人しく聞くのだ。

a flood of circleのVo.佐々木亮介は、とあるライブのMCで、
「ここに来るまでの飛行機の中で、『老人と海』を読んだ。」と言った。
そして、実際に読んでいた文庫本を手にして、
「これ欲しい人いる?」と言い、手を挙げた最前列の女性に手渡した後に、
そのライブの対バン相手であったバンド、WOMCADOLEのVo.樋口侑希を、
「年下なのに、老人の海の『老人』のような男だと思った。」と言った。WOMCADOLEを見るのは、その日が初めてだった。
a flood of circleを観たいだけの私にとって、
その前に演奏をするWOMCADOLEには、何の期待もしていなかった。
演奏前には、「前座はいいから、さっさとa flood of circleを見せろ!」と思っていた。
好きなバンドのライブの、対バンで現れたバンド。
名も知らぬ、泥臭いバンド。
TSUTAYAで言うところの5枚借りなければいけないうちの5枚目みたいな存在に、期待などしていなかった。
だが、彼らの最後の曲が終わる頃には、
「物販で何か買わなければいけない。もう一度帯広に来てほしい。」と思わせるほどに、心を震わせるパフォーマンスだった。
本当にかっこいいロックバンドとしか形容しえない。
そして、それをそれたらしめるものが、Vo.樋口侑希だった。

そんなパフォーマンスを見た後に、佐々木亮介が示した「老人と海の登場人物」と似た樋口侑希。
これを読むためには充分な動機だった。

老人と海は、海の上の小舟で老人が一人でいる描写が続く。
故に、物語のほとんどが、独り言のような言葉たちでできている。
その独り言のような言葉たちの中のひとつに、
「だが、人間、負けるようにはできてねえ。ぶちのめされたって負けることはねえ」という言葉がある。
これは、海の上に一人、大きな困難を倒したにも関わらず、新たな困難と格闘し続ける老人自身の強さのようにも聞こえるが、それは違うのだと気づく。
老人は海の上で一人だが、一方で老人には彼を慕う「少年」がいた。
老人は師として、少年に見せるべき理想的な姿を自身の中に持っていた。
それを維持するために、自身を鼓舞する。
だが、長期戦の中で気力がすり減ると、
「あの子がいてくれたらな」と言う弱音も吐き始める。


中高で同じ軽音部で活動していた友人が亡くなった。
その葬儀の帰りの飛行機で、これを書いている。
言葉を選ばずに故人を偲ばせてもらうが、
彼は、歌が下手で、泣き虫で、バカなくせにいじっぱりだった。
だが、誰かに何を言われても、いいかえすことはできなくても、
絶対に打ち負けなかった。
彼もまた老人のような男だったのかもしれない。

亡くなって気づくことだったなんてまた切ない話だが、
彼には人と人を繋ぐ才能があった。
うち負けない強さゆえだが、争い事が起きても、人と人を繋ぎ止める力があった。
いつか、「あいつがいてくれれば」なんて思い返す日が来ると思う。
「老人は岸にもどれば、少年が待っている。」ということが妬ましい。

彼の病気のことを私が知ったのは、だいぶ病が進行してからだった。
彼もきっとこのバンドが気にいると思うから、もっと話せばよかったと思う。
洒落た髭を蓄えた姿の遺影も、長い闘病生活を物語る相貌も、
連絡が18歳の頃で止まっていたせいで、私の知らない彼の姿だった。
本当にもっと話すべきだった。

どうか安らかに。



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