桜咲く季節に思うこと。

ちょうど今時期になると、本州から桜の開花が聴こえてくる。

北海道が好きで、埼玉から北海道に移住した。
なんの後悔もないし、北海道でしか出会えなかった感覚を知ることできたと思っている。
激しく移ろう季節の中を、懸命に生きる動物たちを間近に観察しながら、
北海道での暮らしを、私は愛しているのだと日々実感している。

ただ、一つだけ北海道移住に感じるネガティブなことがある。
これは、「心残り」とも違うし、「煮え切らない」とも違う。
「腑に落ちない」でもないし、「違和感」とでも言うべきなのか。
これを感じてから今までの十数年間、なんと言うべきなのかわからない感覚である。

世界で一番最初に、日本人の道徳を言語化した新渡戸稲造の著書・武士道の中にも
桜について触れる場面がある。
「武士道とは、日本の象徴である桜花に優るとも劣らない、日本固有の華である」
日本人は、桜の咲いては散る様子に、潔さや儚さを想起し、これを美徳としてきた。
言い換えれば、桜を美しく思うことは日本人としての軸である。

北海道に、ソメイヨシノは咲かない。

北海道には、エゾヤマザクラという桜があるものの、
この木の花弁はピンク色で、開花を待たずに芽がでる。
これは大陸性のサクラの特徴であるらしく、
私の知る桜とはどうも様相が違うのである。

北海道は生き物も文化も気候も、本州とはかけ離れた性質を持っているのに、
方言の少なさが妙に東京的で面白いと思っていたが、
江戸の人間が最も愛した桜が咲かないのは、なかなかに皮肉が効いているなぁと思う。

埼玉生まれの私には、郷土愛というものはない。
「郷土愛」という言葉は、辞書に載っている物であり、
ツチノコとかUFOと変わらない、「単語としての存在はあるが、実態はわからない」というものである。

ただ一つ、郷土愛について、実感を伴うものは、桜なのだと思う。
桜を見て美しいと思う心とその蟠りを感じながら、これからも生きていたい。

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