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踏み切りが開いたら【短編小説】


遮断機の音が聞こえ始めて、赤木はちっと舌打ちをした。
「急いでるときに、あの踏切に引っ掛かったら最悪じゃねぇか」
赤木は、重たい鞄を右手から脇に挟み替え、小走りになった。
こんな時に自分の不摂生が恨めしい。
走ってるようで、足は全く前に回転していない。
赤木が踏切のところまで来た時、片方の遮断機は既に降りていて、片方も下がり始めていた。
くぐってしまおうか
そう思って頭を突き出した時、
隣に立つ手押し車の婆さんと目があった。

あんた、いい歳してそんな分別もないのかい
そう言われているような目付きに、ちっと舌打ちして、赤木はくぐるのを諦めた。
前を向くと夕陽が眩しい。
早く戻って終わらせたい仕事があるのに、と
赤木は再び舌打ちをした。


マスクのせいか、ここ10年足らずで20キロ近く増えたせいか、
赤木は無駄になった息苦しさに、マスクを少し浮かせて、ぜえぜえと荒い息をした。
右から電車が通り過ぎる。

スーツの裾をバタバタと風が騒がしい。

ちっ、と赤木はまた舌打ちをした。
「くぐったら渡り切れたのにな」
心で呟くと言うより、聞こえるくらいの声で赤木は言った。
じろりと横を見ると、婆さんも
じろりと赤木の顔を一瞥し、また前を向いた。
その顔は巻き上げられた砂でぼやけていた。


赤木はイライラしていた。
それはいわゆる『開かずの踏切』に引っかかったからでは無い。
隣の婆さんのせいでもない。
ずっと何かにイライラしているのだ。

一緒に働く者たちが
赤木の仏頂面に辟易してるのは自分でも感じない訳じゃない。
内勤から外勤に、この年で異動になったのは、それも一理あるだろう。
しかし赤木にしてみれば、そんな事は理不尽で長く忠誠を誓った会社からの裏切りでしかない。


「ほれ」
遮断機のカンカンカンと言う音にかき消されて、やっと聞こえた声に赤木は、横の婆さんを見た。
無造作に一つに束ねられた白黒まだらの髪。顔は顔じゅう皺が刻まれ、頭から爪先までくすんで見える。
その婆さんが、「ほれ」と言いながら手を差し出している。
何かと見ると、飴の様だった。

赤木はイラつきながら
「いや、結構です」と即座に目線を線路に戻した。相変わらず左右の矢印は点滅したままだ。

こんなに長く待たせるなら、踏み切り開けろよ。
赤木はチッと舌打ちして、タバコを取り出した。

タバコを吸うにも気を使わなきゃならない。
やれ分煙だ、禁煙だとぬかしやがる。
吸うにも会社にも隅に追い払われて散々だな。

赤木はタバコを指に挟み、
左脇に鞄の重みを感じながら心で悪態を付いた。

「ほれ。そんなもんより身体に良いんだ」
横の婆さんは、
さっきより声を荒げて
ぬっと、飴を突き出したまま言った。

このババアは、しゃにむに俺に飴を食わせたいんだな。踏み切りも開かねぇし、婆さんはしつこいし厄日だな。

赤木はチッと舌打ちし、タバコを仕舞うと
「なら」と手を出し、婆さんの差し出した飴を握った。
後から捨てりゃぁ良いと思った赤木は手のひらの飴を見た。


それは黄金糖だった。
ビニールに包まれたそれは、べったりとビニールにくっ付いている。


婆さんは黄金糖をじっと見る赤木に
「夕陽みたいに綺麗やろう。お天道さんに透かしてみると、更にきらきらするんや。
初めて食べた時は、そりゃあ太陽を食べた様な気がしたもんだ』
そう言いながら、歯をニッと見せて笑った。
「あんたらみたいな若いもんは、見向きもせんだろうがね」

赤木は、自分の手のひらで
べったりとしても、なおキラキラと光る黄金糖を見つめていた。

赤木はカンカンカンカンと言う踏み切りの音が
まるでリズムを取るメトロノームの様に遠くなり
それと引き替えに懐かしい母の声を聞いていた。

『あんたは人一倍苦労した。あんたが我慢してくれたから、弟達は大学に行けたんよ。学歴が無くたって、そんなん気にせんでいい。あんたは私の自慢の息子や』


耳の奥で懐かしく繰り返し聞いた言葉を思い出した。

『あんたは私の宝もんや。自慢の息子や』

母と一緒、畑仕事の帰りに食べた黄金糖。
友人達が大学に行った後も、自分だけは家に残った。
弟達は大学に行き、家を出て行った。
赤木は、地元の小さな町工場の営業マンとして、夏は真っ黒に日焼けし、冬は霜焼けで痒い手足を我慢して働きに働いた。
休みの日は、年老いてゆく母の畑仕事を手伝い、少しの野菜を一緒に育てた。
夕陽の落ちる道を、母と並んで帰ったあの頃。
母は『疲れたろう』と、ポケットから黄金糖を取り出し、ベタベタする飴を帰り道に2人で食べた。

『あんたは私の自慢の息子や。何があっても母ちゃんが言うたる』


そんな母も、だんだん年老いていった。
赤木の勤めていた町工場は業績を伸ばし、さらに大きな会社に吸収合併され、赤木は外回りから、肩書きのある職についた。
赤木の遅い出世を喜んでくれた母も、
弟と名前を間違えたり
鍋を焦がしてボヤ騒ぎを起こしたり
ご飯を食べたかも忘れ、ろくに話が出来なくなってしまった。
畑すら、昔から無かったかの様に
母の記憶からスッポリ消えてしまった。

それでも、母は黄金糖が好きで
買ってくると子どもの様に
「お天道さんみたいやなぁ、綺麗やなぁ」と喜んで口にした。


母が亡くなった時
赤木は結婚と言う時期を
とうに過ぎていた自分を知った。
毎年、弟達から送られてくる年賀状には
増えていく笑顔が印刷されている。

俺は何も出来なかった。

赤木は手のひらの黄金糖を見つめながら
常に自分を取り巻く思いを呟いた。

母が自慢の息子だと言ってくれたのに
家庭も持てず
会社でも爪弾き。
いつの間にか独りきりの暗い家に戻るだけしか出来ない男の自分。


ゴーッという電車の通り過ぎる音と、強風に
ふと赤木は我に帰った。 
開かずの踏切は既に開いていた。


慌てて横を見ると婆さんは居ない。
前を見ると、ガタガタと線路に車輪と足を取られながら
歩く後ろ姿が見えた。

小走りで、婆さんに近づくとお礼を言った。

「黄金糖なんて久しぶりで」と言う赤木に
婆さんはニッと皺だらけの顔で笑った。

「誰の上にもお天道さんはあって、良し悪しも同じさぁ。
踏み切りで足止め食ったとジタバタするか、世知辛い世の中にちょっと休んだか、どっちでも好きに思えば良いさ。誰かにとっては良いことも、人が違えば悪いことにもなる。まぁ、たまたま横に並んだ縁だ」

婆さんの後ろ姿を見ながら
赤木は踏み切りを渡り終えた。
重い鞄をバス停に置くと
黄金糖のべったりとしたビニールを剥がし
飴を口に入れた。


目の前には、母と一緒に畑からみた夕陽が落ちていた。

俺は何も出来なかった訳じゃないよな。


「なぁ、母さん」
赤木は口に出して夕陽を見た。

「俺はまだ母さんの自慢の息子かい」
呟く顔は、夕日に照らされ少し悲しげに笑っていた。
あまじょっばい黄金糖は、口の中でゆっくりと溶けていく。

忘れていたのは、母さんだけじゃない。
俺もだった。
俺は何と競ってる。
俺が生きたいのはこんな俺じゃ無かったはずだ。

赤木は、どすっとバス停に座った。
目の前を、急ぎ足のスーツ姿の男が通り過ぎる。
その次は手を繋いだ母親と幼い子ども。
犬を連れた若い2人。
スーパー帰りの女性。
今までの赤木には見えていなかった世界が、
一気に視界に入ったかの様だった。

赤木はベタベタする飴のビニールを丁寧に畳むと、立ち上がった。
夕陽はもう半分以上、落ちている。
そっと手のひらを開きビニールを見た。

大丈夫。
暗い中も、お天道さんはいつも俺の上にある。


書くと言いながら、書く書く詐欺では嫌なので、えいやっと。


★吐くくらいに緊張しながら書いてみました。まだまだ校正修正が沢山ありますが、とにかく飛ばなくては意味がないので飛んでみました。読んで頂き、ありがとうございます😊



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