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画鋲に込められた気持ちを忘れない

20代の頃、
オランダ姓の彼を亡くして
日本に一時帰国しました。
彼と生きた景色の中を
1人で生きていくのは耐えられない事でした。

ぼんやりと、
時に虚になってしまう私は
周りの人達にも
社会にも取り残されてしまう様で
英会話の先生のバイトを始めました。

お世辞にも子ども好きとは言えなかった私。
週5日、1日4クラス、
3歳から高校受験までのカリキュラムで、担当する生徒は100人ほど。
規模としては、その英会話教室の中でも大きな方でした。

何か夢や希望があったわけでもなく
ただカリキュラムに沿って毎日のレッスンを行い、子ども達と接する中で、段々と子ども達が可愛く思えたり、教えたフレーズを使える様になるのを見て、『あぁ、なんか楽しいな』と
思い始めていた頃。
先生として3ヶ月を過ぎたくらいから、新しい生徒が入ってきました。

彼は小学校4年生。
典型的な"本人はやる気が全く無いんだけど、親が勝手に申し込み嫌々来てます"な、生徒でした。
彼を入れたクラスは、4年と5年生がいる元気いっぱいなクラス。
それ故に、もともと楽しみも喧嘩も多かったのですが、彼が来たことによって、ガタガタと見事にクラスが崩壊してしまいました。

まず彼は宿題をしない。絶対にやって来ない。
カードゲームが盛んな時代でしたので、クラスにはカードゲームは持ち込まないがルールでしたが、それも無視。
授業が始まっても、お構いなしにカードゲームに興じるのです。
授業中も全然参加しないし、発表すらしない。
なんなら返事もしません。

私は困り果てて、上司に相談してみるのですが
『それくらいの年齢の子は、ダルい、キツいが挨拶みたいなものよ』と言われ、
私は仕方なく、全くルールに沿わない彼を横目にカリキュラムを進めるしか無かったのです。

そんな事が数ヶ月続いて、クラス内の保護者からクレームの電話がありました。
『騒ぐ子が居るせいで、我が子が全く集中出来ないと言っている』
その子も、例の彼と一緒に騒ぐ子だったのですが、塾の成績が下がった理由を彼のせいだと親に話したそうです。

『おたくの子も騒いでますよ』と言いたいのをグッと我慢し、謝罪し、クラス編成も考えていると説明しました。

例の彼の保護者にも、何度も何度も電話をするのですが、全く電話に出られません。
彼に封書を渡しても返事は返って来ません。
私は、来年度はクラス学年を大きく下げてみようかと考えていました。

半年が経った頃、彼は完全にクラスでも浮いた存在になっていました。
一緒に騒いでいた子たちも、進級を前に受験を意識する様になっていたのです。
遊んではいられない、そんな雰囲気になっていましたが、彼だけは違いました。
相変わらず宿題もしない、発表も参加もしない。教室の隅に座って1人、カードゲームを続けていました。

その頃には私も匙を投げていて、
彼はそんなもんだ、と気にもせず
彼を叱る事も無く、注意すらしませんでした。
まるで透明人間でもあるかの様に
意識せずにいたのです。

ある雨の降る夜。
いつも通り、彼の存在はなく
私は淡々とカリキュラムを進めていました。
その日は英検の結果を生徒に返していました。
彼以外の殆どの生徒が英検を受けており
逆に受けないのは、3歳から5歳の問題の日本語の意味がわからないとか、そんな子達しか居ませんでした。
クラスのみんなが合格し、きゃぁきゃぁと喜んでいた時です。

『痛っ』
女の子が急にしゃがみ込みました。
私が慌てて近寄ると、足元に画鋲が落ちています。
教室内の掲示物は、安全面を考慮し画鋲は使用していません。
不思議に思って拾い上げると、
また別の子が『痛っ』としゃがみ込みます。

『みんな動かないで』と大事でみんなを静止させ、床を見ると、いくつかの画鋲が点々と落ちていました。
私は子ども達の間を縫うように、画鋲を拾い集めていた時、私の頭に画鋲がコツンと当たりました。
顔を上げると、彼が教室の隅から画鋲を投げているのが見えました。

私は怒りで彼に近づくと
『画鋲を置いて立ちなさい』と言いました。
彼は私の言葉を無視して、画鋲を投げる動作をしました。

私の中でプツンと切れた音がして、
私は彼の腕を掴み、無理やり立たせ、ドアまで引き摺るように連れて行きました。
それから『クラスから出ていきなさい』と言いました。
彼はヘラヘラと笑っていましたが
私は怒りでいっぱいの力で
彼をドアの外に出しました。
それから彼の保護者、母親の携帯に電話をかけましたが、やっぱり出ません。
緊急連絡先として、祖母の番号が書いてありましたので、そちらに掛けました。
電話に出られた彼の祖母であろう女性に、
教室内で画鋲を投げ、クラスメイトに怪我をさせた事、反省も謝罪もないため、クラスの外に出しており、至急迎えに来て欲しい旨を伝えました。
女性は車が無いので迎えに行けないと言うような事を言いましたが、これまでに授業妨害のクレームが何件も続いている事や、保護者に連絡しても全く話が出来ない経緯を話し、今日はこれ以上、クラスには参加させる事が出来ないと一方的に伝えて電話を切りました。

外は雨が降っていました。
教室には屋根があるので濡れはしないでしょう。
動かない彼の背中がガラス越しに見えました。

私はクラスの子達の怪我を見たり、保護者に連絡したり、バタバタとしている間に、いつのまにか彼の姿は消えていました。

あんなことをして、挨拶も無い、謝りさえしない親も親だし、
子どもも、子どもだわと呆れ果て
レッスン終了後に、本部へ事故の連絡をしました。
その後も彼は休むことなく、教室に通っていましたが、相変わらず私は彼を見る事もせず、約9ヶ月と言う期限付きの先生を終了し、また海外へと出たのです。

正直、彼の事は自分が母になってから
突然思い出しました。
あの時、25歳だった私が、彼の気持ちに全く気がついてなかった事を、6年以上経って理解したのです.
彼は問題児でも何もなかった。
ただ寂しかったんじゃ無いかと、
今は思っています。

レッスンが終わった後、他の子達が足早に迎えの車に乗り込むのを一番最後まで見ていたのは彼でした。
いつかは全てのレッスンが終わってシャッターを閉めようとした時、立ちぼうけの彼に驚いた事がありました。
一体何時間待っていたのか…。

彼が聞きたかったのは、
宿題でも
カードゲームを叱る事でも無く
チャンツでもフォニックスでも無い。
自分に向けた心のある言葉だったんじゃ無いかなって。
挨拶でもいい、たわいもない事でも、
カードゲームの事だってよかったはず。
それは彼の保護者、お母さんも同じで
私からの
クレームに関することでの連絡では無く
女手一つでがむしゃらに働いている気持ちを
何であの時の私は汲み取る事が出来なかったのか。
忙しいには理由があったんだよね。

彼は皆勤賞だった。
彼自身が居場所を探していたとしたら、私は何で酷いことをしたんだろう。

彼の投げた画鋲に込められていたのは
怒りや憎しみじゃなく
自分を、
見て欲しいって気持ちだったんじゃ無いか。

そう思うと胸が痛いのです。
だから自戒を込めて
子ども達に関わる時
誰かと関わる時に自分の言動を考えます。
その人が、画鋲では無く言葉が投げれる様にと
もう間違えたくないなと思うのです。


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