今年の今日もまた、向日葵のように生きてた彼を想う。
春がいちばんすきだけど、春がいちばんつらい。
今年もまた、あたりまえに5月22日がやってきて、わたしは彼のことを考える。
いつかまた振り返れるように、今年も一筆残しておこうと思う。
〜〜〜
今日、5月22日は、弟が死んでしまった日。
あまりにも若すぎる死に呆然としたあの日から、もう7年が経つ。
いつもならGW前くらいから彼のことを考えてソワソワするのに、今年はウイルスのパニックにかき消されたのか、例年どおりのソワソワはやってこなかった。
今日だって気分が落ちることなく過ごしているのは、ウイルスに気をとられているのか、それとも時間の経過による慣れなのか。
理由は定かではないけど、ふだんどおり仕事をおえた金曜の夜。
つい2、3年前までは何も手につかず泣いてばかりいたことを思うと、ずいぶん成長したと言える。
それと同時に、こんなに淡々とした気持ちでいいのだろうかと、妙に不安にもなる。
彼が事故にあった19日から、息をひきとった今日、22日。
そして、お別れ会をした25日。
6年経っても、この1週間は誰とも会いたくない。
できるならひとりで静かに過ごしたい。
その気持ちは変わらなかった。
来年は少しでも心持ちが違っていたらいいなと思う反面、
過去と、今と、未来と、向き合う大事な時間だとも思う。
と書いているけど、今年は心持ち変わって「誰とも会いたくない」とは思わなかったし、読み返してみたらまぁ文章はひどくて、いまのほうが(たぶん)まだマシな文章が書ける。
人は意識の向くほうに進むものなんだなぁ。
正直、つくると宣言した『すずらんを贈るよ』はまだ完成に至っていないし、彼がそうだったように向日葵みたいにぱぁっと明るい人間になりたいという目標は叶えられていないけど、少しずつ変わっていっているはず。
成果なんて今日明日ででるものではないし、地味にコツコツやり続ける必要があるのは当然なんだから、とにかくやり続けよう。
そう頭ではわかっているけど、どうにも体がついてこない日が増えてきたなぁ。だらだらしちゃうこと、めっちゃあるもん。
命には限りがあって、しかも、本人の意志とは関係なく突然奪われることもある。だからこそ、命がけで生きたほうがいい。
その真実を語れる身でありながら、サボってるじぶんがいる。
もっとまっすぐ真剣に生きるべきだし、そこんとこ最近あまいんじゃないのって思う。
ってごめん。なんかあつくるしいね。
だけどこれはほんとに思ったことで、今日はこの一年を振り返って「しっかりしなさい!」っておしりを叩く日になったよ。
でもさ、6、7年前の取り乱して泣いてばっかりいた頃からすれば相当な変化だよ。長い目でみたら、ものすごく変わった。
そしてきっと、来年はもっと変わってる。
だからもう、やめようと思うんだよね。
5月22日にこうして長文を書くの。
辛気臭いことなんて、いまだって書こうと思えばいくらでも書けるんだけど、そんなことをいつまでも続けても仕方ない気がするしさ。
来年以降は、ちゃんと作品をだしていく形で彼を想うことにする。
ここから1年、命がけでつくる。
言った。言ったぞ。ちゃんとやるぞ。
というわけで、来年の5月22日は、ひとつ作品を発表します。
もしよかったら見守っててください。
よっしゃ、ねえちゃんがんばる。
追伸
そういえば、いままでこの日にお守りのように聴いてきたさかいゆうさんの『君と僕の挽歌』が、はじめてしっくりこなかった。
大事な曲であることは変わらないんだけど、なんだろう、次のステップに進んだ証なのかな。
めちゃくちゃ大事で、これからもずっと聴き続ける一曲ではあるんだけどね。
でも、今日はこの曲に頼らずに過ごすことができたよ。(いっかいは聴いたけど)
ちなみにこの文章は、藤井風さんの『帰ろう』を流しながら書きました。
さいごの歌詞「あぁ今日からどう生きていこう」が胸に響く。
さいごまで読んでくれてありがとう!うれしいです!🌷