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自分でも想像しなかった転職

私は、六月生まれである。
そして自分でも信じられないのだが、今年より高齢者の仲間入りをする。
思えばあっという間に過ぎたここまでの人生であった。様々な体験をしてきたと思うし、人生の機微という言葉の意味も分かるようになったと感じる。
母の介護を昨年終えて、自由の身となったはずなのだが何となくうつ状態となった。そんな感傷に浸っていたくないので、思い切って猫を飼うことにした。
直ぐに可愛らしい姿や仕草に心を奪われたのだが、数か月して病気が発覚したのである。『人生は試練の連続』と神様は伝えたいのかしら。
初めてのペットだったので毎日びくびくと観察していたので元気のなさは早めに発見できたのが、救いであった。そして、入院することに。
結果は、医療費が掛かる病気だった。保険も掛けてあるが、治療費は自費である。
何ということだろう。またもや人の為に頑張らざる負えない人生なのかと思う。今回は、人間ではないけれど。

またもや自分でも信じられないことなのであるが、履歴書の写真を撮った。
居宅介護支援事業所を転職することが決まったからである。
写真を撮られるのは得意ではない。「笑って下さい。」と言われて、愛猫を思い浮かべた。
思いの他、どうにか満足できる写真が撮れた。「チロちゃん有難う。」と心の中で言った。
転職なんてこの年齢でするつもりはなかったのに、話がトントン拍子に進んだ。

現在の職場は、以前から私には違和感のある事業所の雰囲気だった。
管理者は、まじめな40代の男性であるが、理系でありパソコンは得意である。自分で立ち上げた事業所なので代表でもあるし、経営手腕は大したものであった。給料も高い。
しかし、人付き合いに興味がない人だった。利用者に対する言葉かけもどこか冷たい感じがする。
前から福祉職に合わない気がしていたのだが。
そんな中、事業所の人員増加の為に新しい職員が採用することになった。
またもや男性職員であった為に女性職員は私一人だった。
新任職員は、介護職が未経験であった。
介護支援専門員の基礎資格のうち柔道整復師があり、介護経験がなくても試験に合格できるのである。
2年近く一緒に仕事をしたが、やはり感覚の違いがある。
今の時代は多様性を求められる時代であるが、なかなかに変わった思考回路をもつ人と感じる。
そして、人とのコミュニケーションが好きと自分でもいって、確かにおしゃべりなのだが、じっくり型ではない。話題がすぐに変わるのが話していて疲れるし、会話をしていると表面的に終了してしまうから、こちらとしては何だか物足りない。
そのような人でもケアマネジャーはできる資格でもある。他のケアマネジャーとは比べられない職業であるからなのかもしれない。
相手が高齢者であるし、初めての介護支援を受ける家族にとっても「ケアマネはそんなものである。」と、付き合う。
そして、利用者からクレームがきてもケアマネ自身が自分には合わないからと、言い逃れができる職種である。

管理者は、自分に合わない人は親切ではないし、クレームがきても自分の中で解決して他の事業所の違うケアマネに交代してしまう。
私たち職員には自分は悪くないように伝えることができる能力を持っていると私は感じてきた。
だから心底尊敬はできなかったし信頼もしていなかったのだと思う。
そこで、改善するために節度ある意見を言ってきたつもりであったのだが、最近は、母の介護が終了したことで心の状態に隙間があったり、愛猫の入院というプライベートの出来事があり、自制できない自分がいたと分析している。
いつもの事業所の方向性の方針につい意見を言ってしまった。
管理者には、内容は兎も角として、私の伝えたい大切な部分の趣旨が分からなかったと思う。

母のケアマネは母が不満を持ってたり、異動だったりして数人の人を依頼した経験がある。最後にお願いしたケアマネは、私の知り合いであった。
明るくて仕事を愛し人間性もパワー溢れる女性である。
モニタリングといい月に1度の訪問は、私が居ない時でも洒落な母の長い話に合わせてお化粧やおしゃれの話をして下さったようだ。
おしゃべりな母とは気があって嬉しかった。
末期癌が分かった以降の2年間も、私も信頼を置いて相談できた。
亡くなる看取り期間も気持ちに寄り添ってくれた。
最後の数日の意識がない時も明るい大きな声をかけたら、母が笑ったのである。意識がなくても、最後まで耳は聞こえるし気持ちは通じることを確信できた出来事だった。
そして、寝たっきりとなった母へ私自身も声を掛けたりマッサージをしたりした。そして、母が何を言っているかわからなかったが喋りかけてくれた。
お陰様で、最期まで後悔のない介護ができたと思う。

その知人のケアマネマネジャーは管理者であり事業所で退職者が丁度出たので転職して同じ事業所で働かないかとのお話を頂いたのである。
今の事業所を辞める決心が直ぐについた。
そんな母との繋がりのご縁であり、母に導かれたような不思議さを感じる。
もし愛猫のチロちゃんが入院しなかったとしたら、今の事業所の職員として割り切って仕事をしていたのではないかと想像した。

そして、鬱傾向は改善をした。
定年は75歳という今度の事業所で、もう少し元気で社会の役に立ちたいという意欲が湧いてきている。

自信を持ってどんな環境にも飛び込んでいけるようになるには、日常生活や経験、学び、そういったことから目を逸らさないこと

人と人との繋がりは、何にも変えられないものなので、そこは大切にしたい

三浦春馬珠玉の名言


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