生きていても良いですか?

物心ついた時から、何故か、我が家では、いさかいが絶えませんでした。

何故こんなに揉めるのか?

真面目で、働き者の家族メンバーです。

両親と姉の四人家族です。
私以外の三人は、いつも、ゴタゴタしていました。
何かしら、小さいことから、揉め事が、起きます。

私は、そんな三人を、
少し離れたところから、
冷静に、客観的、理性的に、
眺めて分析するのが、好きでした。生態観察です。
人間観察です。

あれを言ったら、お仕舞いだよなぁ。とか

これは、直ぐ遣らないと、後で、問題になるなぁ。

等々、

私は、三人の、言動を、俯瞰して、観察していました。
黙って、冷静に、でも心の中は、ドキドキ、ハラハラ、していました。
三人の言動を、観察、分析、その後の結末迄、予測することが、日常でした。

そしてそこには、私は、決して介入しない、ダンマリを、決めています。

ウッカリ、素直に、思ったことを、口に出してしまうと、

誰かの、逆鱗に触れてしまいます。

その人の怒り、感情の捌け口とされます。ボコボコにされます。

私は、物心着いた時から、神様とお話したり、ひとりで空想することが、大好きです。

本を読むことが、大好きです。ストーリーを、頭の中で空想してワクワク楽しく過ごしまていました。

外で、草花を見たり、木に登ったり、綺麗な色や形の石を見つけたり、川を見たり、昆虫眺めたり、自然と遊んでいました。

つまり、現実のリアル世界から逃避していました。

揉め事が起きると、父は、物を壊し、怒鳴り、荒れます。
姉は、明らかに、いけないことをした時には、父から殴られます。

母は、父と、揉めると、父に殴られたり、モノを投げつけられ、壊されます。
ぐちゃぐちゃに散らかった家に居たたまれなくなると、母は、私の手を引いて、
夜、寒いなか、我が家から、母の姉つまり、私の伯母の家まで、とぼとぼと歩きました。

私は、母の手をしっかり握りながら歩きます。
母は、必ず、『あんたさえ、生まれなければ、』と、
言います。

私は、生まれてはいけない子どもだったのでしょうか?

五歳上の姉は、私に、

『あんたなんか、生まれた時から、ずっと死ねば良いと、思ってきた!』

と言います。

私が、生まれるまでは、両親の『愛』、『関心』、『注目』を一身に受けていた、姉です。
姉は、私の誕生で、自分の存在、プレゼンスが、脅かされると、不安になったのでしょうか?

私から見える景色では、私がいても、両親は、姉のことを一生懸命に、第一に考えて、生活しているようでした。

姉ほ、ちょうど、七五三や、幼稚園の入園等のイベントの年齢でした。

その為に、両親は、あれやこれや、楽しそうに、仲良く着物や、洋服を、準備していました。

姉は、産湯を浸かっているところから、アルバムに、写真が、残っています。

父が、たくさん写真を撮って、母が、アルバムに貼っていたのです。

私のアルバムには、公園で、ロンパースを着た私がハイハイしている写真、姉の幼稚園の入園の申し込みの為に撮った家族写真に母に抱かれた赤ちゃんの私、から始まっています。

突然、産まれてきた、『妹』という存在に、自分の『プレゼンス』を脅かされたのです。

姉にとって、私という存在は、

厄介者、邪魔者、
可愛くなんかない、
嫌な存在、
いなくなってほしい、
死ねばいい。

という、構図です。

『あんたがストレスだ』とおっしゃいました。
ストレスで、耳が聴こえなくなったとか、
つい三年前から、言います。
孫が、生まれた、姉にまだ、そのように言われております。

私の存在が、彼女のストレスだそうです。

父は、思い通りにならないと、物を壊したり、怒鳴ったりします。

そんな三人と、食卓を共にしたり、週末を過ごすことは、苦痛です。
特に、夏休み、年末年始を、家族四人で、過ごすことが、私にとっては、幼少の頃から、苦痛でした。

年末は、年賀状を書いたり、おせち料理を準備したりしまます。

わが家のお節料理は、全て、手作りです。
家族総出で、母のお手伝いして、おせち料理を、準備します。
些細なことから、揉め事が、始まります。

家族四人集まることは、生産性なく、楽しく無い、苦痛な時を過ごすことは、時間の無駄だと、考えていました。

食事の時間以外は、
なるべく、三人と関わらないように、
私は、自分の関心、興味のある世界に、生きてきました。

母の作るお料理は、美味しくて、私は、母の料理を食べていると嬉しいのです。

父と、母は、毎週土曜日には、築地市場、そして豊洲市場へ食材を、買いに行ってました。

母の一番上の姉である伯母は、
戦争中に、満鉄勤務の、伯父の元に、つまり、満州に、嫁ぎました。戦争中、戦争後、想像もつかない程の、苦労を、重ねて、命からがら、幼児2人連れて帰国しました。そんな伯母は、リーダーシップある、パワフルで、エネルギーで、頭の回転早い、いわゆる、肝っ玉母さんです。
根性の入り方が、違います。
激寒、苛酷、激動、大混乱の中を、生き抜いてきました。
戦後、友の会等で、家事等の改善、効率化等に心を砕いていました。
その中で、伯母は、麻婆豆腐で有名な、陳健一さんのお父様の陳健民さんの恵比寿の中華料理学院の講師をしておりました。
聡明で、社交的、有能な伯母は、中国料理だけではなく、フレンチ、和食、等、ジャンルを越えて、一流の料理人の先生方のお仕事の仕方や、技を、勉強しておられました。

歳を重ねると、彼女は、自宅で、お料理教室を開いていましたのです。

伯母が、私の家の食卓に参加すると、楽しく、有益な時間となりました。

伯父は、父の仕事に、関連する企業におられたのです。

そんな意味からも、伯母は、我が家のご意見番的な、位置にいて下さいました。

4人だけですと、一緒にいて楽しく過ごすことの少ない家族4人です。

だいたい、最後には、揉める家族4人です。
家族4人で、過ごす、夏休みは、暑いからか、みんな不機嫌になります。
家族旅行で、長期のお休み、休日の楽しい思い出は、ありません。

何かしら、つまらないことから揉め事が、始まります。

何で、揉め事が起きるのでしょうか?

仲良く、姉と遊んだ覚えは、ありません。
仲良く、両親がいる姿は、あまり記憶にありません。

しかし、父を置いて、母の郷里である、広島へ、伯母達と帰省すると、楽しい思い出となりました。
父はひとりでお留守番です。母は、上げ膳据え膳で、ホッとして寛いでいました。

家族で、楽しく食卓を囲んだ記憶は、ありません。

母の作るお料理は、美味しく、嬉しいお食事でした。母は、何でも手作りしてくれました。子どもの頃は、アイスクリーム作る機械を冷凍庫に入れておりました。
ケーキ、クッキー等々作る為、天火という、オーブンをガスレンジに載せるものありました。

バニラエッセンス、牛乳瓶に入った生クリームとか、子供の頃から身近にありました。

姉の誕生日は、クリスマスイブです。
必ず、ケーキを手作りして、生クリームを撹拌して、デコレーションしました。
チキンのモモをフライにしたり、
マッシュポテトを作ったり、フライドポテト作ったり、
サラダを、ラディッシュや、他の野菜を彩り良く、飾り包丁で華やかに切り揃えて、綺麗に、デコレーションしました。

鳥のモモ肉を漬けている、香味野菜、生姜、等々、美味しい調味液、
香ばしくカラッと揚げる油の香りと音、
忘れること出来ない、香りと音と、味です。

私の誕生日は、夏です。
暑いからか、私の誕生日は、ケーキ作ったり、華やかな、洋食の、ご馳走作って、お祝いされた覚えはありません。ちらし寿司、巻き寿司を、作ってくれましました。
私は、母の作る酢飯が甘くて、ちょっと苦手です。
西日本出身で母は、何かと甘みを加えます。
私は、お酢は好きですが、お砂糖が苦手です。黒砂糖は、好きです。

私の誕生日で、唯一覚えているのは、小学生六年生のお誕生日に、父が、SEIKO 腕時計を、プレゼントして下さいました。藍色の文字盤に、12 の赤い時間を、示す印が、美しく、藍色と赤のコントラストが、とても綺麗です。
心より感謝し、嬉しい、今も大切にしている時計です。

私が、ひとと、ご一緒する時には、客観的に、その方の、言動、を、観察して、本音、等々分析して、楽しんでいます。
意識して、観察しているのではなく、自然と、無意識のうちに、させて頂いているようです。

家族と仲良くしたことの無い、私は、あまり、ひとと深く交流し、仲良く過ごすことが出来ません。

仲良く、信頼し合うことが、出来ません。

事例として、経験していないからなのかもしれません。

潜在意識では、ひとが怖い恐いのかもしれません。

とっさの時に、その人の本性というものが、出てきます。

あっー、やっぱり、こういう時に、こういう言動なさる人間なのね、
と、納得しています。

予想外のリアクションに、遭遇すると、
ちょっと感動したり、新たな発見が、ワクワクしたり、

人間って不思議で、
私ごときには、はかりしれない、
可能性、能力、魅力、満載なんだなぁと、
感動し、感激し、
創造主の大きな偉大な存在に感謝させて頂きます。

人間観察は、底知れない魅力があります。

そして、こんな言動、になるのかぁと、予想外の展開に、感動します。

人と交わるのは、興味深く、楽しいです。

本当に優しく、人間性も立派な、魅力的な方と、出会います。
その度に、感動し、感激し、感謝します。

生きていても、良いのですね。

素敵なひととの出会う機会をを、ありがとうございます。

私は、家族全員を愛しております。
感謝することは有っても、悪感情を持ったことは、ありません。
唯一、感じているのは、

何故、そういう言動を取ったのかという、『疑問』です。理由が、知りたいのです。少しは、共感出来たかな?と、考えます。

一緒に、過ごすことが、出来ましたことは、心から感謝しております。
みなさまの、おしあわせをおい祈りしております。

#創作大賞2023