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家が素敵な人と、そうでない人の差は圧倒的にこれだった。

ここまでのnoteには
黒歴史しか書いてないような気もするが、
実は今、紆余曲折を経て
片付けコンサルタントという仕事に就いている。

生まれつき片付けが好きなんです!
っていうわけもなく
若い頃は人並みに(?)部屋が汚かった。
引き出しの中はぐちゃぐちゃだったし、
クローゼットは表に出しておきたくない物の
隠し場所だと認識していた。

そんな私は30代半ばで片付けと出会い
人生に猛烈な追い風を吹かせていくわけなんだが、

それはさておき。

私は昔から
雑誌に登場する人様のお部屋が好きだった。
それも、
写真用にコーディネートされたお部屋ではなくて、
実際に誰かが暮らしている
暮らしの片鱗が見え隠れするお部屋。

そんなお部屋の写真を眺めては、
自分がそこで暮らしている姿を妄想するのが
とても好きだったのだが、
実際に自分の部屋をあれこれ工夫してみるものの
なぜか雑誌のそれにはならなくて。
いつも残念に思っていた。

(今はどうだろう?近しい人、どう見えてる?)

ところがこの度、
その理由が明確になりまして
言葉を取りこぼさないように
慌ててnoteを書いているという次第!

勿体ぶらずに言いますと、
素敵な家の共通点は

住んでいる人の意思があること

なんだなと。


意思の無い持ち物からは、もやもやが出る


実際、私が片付けレッスンの現場に行くと
こんなことがよく起きます。

私「この収納には何が入っていますか?」
お客様「えーっと、何だろう。何が入ってるんでしょうね?」

必殺、質問返しです。

笑い事ではありません。
これ、結構な頻度で発生します。

意図して持っていないのです。
なんとなくそこに物がいるのです。

素敵なお家にはそれがありません。
〇〇はどこにありますか?
と聞けばすぐに出てきますし、
なぜこれを持っているのか、必ず理由があります。

例えて言うなら
素敵なお家の子たち(物たち)は
家主に選ばれてえっへん、という佇まいなのに対し
そうでないお家の子たちは
自分、何でここにいるんだろう…という
なんとも言えないもやもやしたオーラを纏っている感じです。


こんまりさんのインスタライブでも同じ話題が!


こんなことを漠然と思っていたら、
一昨日こんまりさんと一田憲子さんの
インスタライブでの対談でも同じ話題に。

(一田憲子さん、存じ上げてませんでしたが
暮らしのおへそシリーズ、めちゃめちゃ集めてました。ごめんなさい。)

こんまりさんの
「沢山のお家を見てきた中で、素敵なお家の共通点て何ですか?」という質問に一田さんが

「他の誰かがどう言おうと、私はこう!っていうものがある。自分で決めている。」

という返しがあり、
赤くなるほど膝を打った。

全ては意思のある、無しなのだ。
素敵な家には、自分が気乗りしない
または何とも思わないものが鎮座している
なんてことは無い。

重ねて言うと
家とか部屋っていうものは
住んでいる人の内面そのものなので、
軸があって素敵な人のお家は総じて素敵なのだ。

ということで
私がどんなに小手先でインテリアの格好をつけても
格好がつかなかったのは、
私の中身がそこまででしたよ、というオチ。

どんまい。全ては伸びしろ。

最近購入したビーグル柄のクッションカバー。
我が家で今一番ときめきくアイテムです。

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