【百合】一足先の冬(1616文字)


一時間ほどの残業を終えて家へと帰りつき、
ドアを開けると外よりだいぶあたたかい空気に出迎えられる。 
と同時にあったかいの札を下げるがごとくのおいしい香りが
鼻腔をくすぐった。

「みさきーただいまー」
LDKのドアをうきうきしながら開ける。
「あかね、おかえり」
「おでん! だ!」
「へへー昼のうちからがんばっちゃった」


先日の休日出勤の代休だった今日、
みさきはおでんを手作りしていたらしい。
「急に寒くなったからね、もういいかなと思って」
「今年初のみさきおでんだね!
みさきってほんと料理上手だからいいよねぇ」
「あかねだって上手じゃない」
「えー私の料理適当じゃん。ザザザッて作って終わりだもん」
「それでちゃんとおいしいのがうらやましいよ」

話しながらみさきは土鍋や食器をテーブルに運ぶ。
「デザートにプリンもあるんだよ」
「えっなに豪勢じゃん!」
「煮込んでる間についででね」

みさきと暮らし始めて二度目の秋…のはずの十月だが、
ここ数日は秋を通り越してまるで冬だ。
今年は秋が長いと聞いていたのにこんなのは詐欺だと思う。
でもみさきのおでんがもう食べられる、という点では
この寒さも少し好ましく思えた。

「あ、ちょっとコンタクト外すね」
今日はどうも目が疲れている。
コンタクトを外してしまうと
だいぶいろいろなものが見えづらいが、
あとは食べてお風呂に入って寝るくらいだし、
そうは困らない。

「あかね、ゆっくりおいでね」
おっちょこちょいで、
しかも今はコンタクトなし空腹加算ありの危なっかしい私に
みさきが声をかけた。
「はいはーい。慌てず行きます!」
洗面所からなるべく急がないように
リビングのテーブルに向かう。

「もうこたつ出しちゃいたくなるなぁ……」
「もうちょっと様子見ようよ。来週から気温も平年並みだって」
「まあね…こたつ出したら動けなくなるもんね……」

向かい合って座るとみさきが土鍋の蓋を開けた。
「うわぁ幸せが鎮座ましましておられるー!」
「おおげさだよ、あかね」
「だってこの湯気、いいにおい、最高ー!」
どれをとってもおいしいはずだと、
適当に土鍋から具を引き上げていく。
それぞれの取り皿が埋まったところで、
待ちかねた私は声を上げた。
「それじゃいただきます!」
「いただきます。あかね、やけどするよ」
「私はネコじゃないから平気!」

がっつくように箸を伸ばした私をみさきは気遣ってくれる。
みさきは猫舌なので、
箸で掴んだものにふうふうと息を吹きかけている。
その様子もきっとかわいいはずなのだが、
あいにくの視界でほとんどサウンドオンリーみたいなものだ。
ちょっと残念に思いながら、ぱく、と口に入れたものに驚き、
咀嚼してから声を上げる。
「ちくわぶだ!!」
「今日はちくわとちくわぶ、両方入ってるんだよ」
「覚えててくれたんだ!!」
「うん」

去年、みさきは何度かおでんを作ってくれたのだけど、
私の大好きなちくわぶが入っていなくて、
その冬最後のおでんになった日にその話をしていたのだ。
みさきの家ではおでんにちくわぶは入れていなくて、
念頭になかったらしい。
その代わりというか、
その日は私のおでん文化にはなかった卵焼きが入っていて、
その絵面にまず驚き、そしておいしさにまた驚く、
ということもあったっけ。

「卵焼きも入ってる?」
「入ってるよ。とってあげる」
みさきが土鍋から黄色を引き上げ、私の取り皿に置いてくれる。
つゆがしみしみの卵焼きはとてもおいしい。
生まれて二七年目に新星のごとく現れた好物を私は口に運ぶ。

「あ~幸せ~」
「あかねって本当においしそうに食べるよね」
みさきはきっと静かに微笑んでいるだろう。
見えなくてもわかる。
「おいしくて幸せだけど」
あたたかいおでんが体を少しずつ温めていくのを感じながら
私は続けた。

「こうやって帰ってきたらみさきがいて、
みさきが作ってくれたおでんをふたりで食べてて、おいしくて、
だからすっごい幸せだよ」
目の前がぼやけているのにまかせて言いたいことを言ってみる。
「うん。私も。あかねとこうして一緒にいて、
一緒にごはん食べててすごく幸せ」
「へへ」
みさきが少し恥ずかしそうに応じてくれたのが、
とてもうれしかった。

「あー幸せだなぁ…おでんいくらでも食べられそう……」
ニヤニヤしながら取り皿におでんダネを盛り付ける。
「プリン食べないの?」
「食べる!」
「じゃあほどほどにしときなよ」
「甘いものは別腹だもーん」

寒い夜は温かく更けていく。
二つめのちくわぶと一緒に、
私は今ここにある幸せを噛み締めた。

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