2023年9月7日、休職からちょうど一年

こんなに早い一年は初めてだった。
一年前の午前中の職場で、一気にやる気が無くなったあの瞬間が、手に取るように近い。

それから4ヶ月目の1月で職場を辞め、人に使われない仕事をしようと思い、YouTubeの動画編集を始め、身体の調子と付き合いながら、コツコツとチャンネル運営をしていったら、8月の始めに収益化の条件を満たすチャンネルまでに成長した。

自分はこれだけでも満足だった。
自分で決めた事を成し遂げたなんて初めてだった。

でもその後に行う、受益化の審査で落っこちてしまった。
理由は「再利用のコンテンツを使用してるから」だった。これは始める前に十分なリサーチをしていなかった自分が悪かった。でも取り敢えずやってみなければわからないと思い、何かに取り憑かれたように没頭した。

YouTubeが求めているコンテンツって、基本的には人が顔を出して、何らかの価値を与えられるようなチャンネルなのだ。要はお喋りが得意で、人を惹きつける魅力的なコンテンツを作くれる、教養さや情報を発信できる人だ。

誰かが作ったコンテンツをまとめたり、面白おかしく切り抜きしたり、海外のインフルエンサーの和訳をしたり、機械音声で台本読ませたり、最近では、ペットの動画を何も手を加えずに投稿して人気を博しているチャンネルでさえも、収益化を剥奪されるようだ。

要は誰でも簡単に作成でるようなコンテンツはYouTubeでは要らないよって印を押されるのだ。
それだって一本の動画を一から作るのに最低2〜3日は掛かるし、じぁ、それやってみ?あなた出来るの?て疑問を持ってしまう。
俺の動画が好きで見てくれる人だって居るし、そんな人が1,000人以上も居るのに…
自分の得意なことが社会に認めて貰えないって辛い。だって自分のしたくない仕事でも評価されないのだから、もうお手上げ状態だよ。自分も顔出し動画も試みようとやってたこともあったが、これは長続きできない。苦手だからだ。コツコツと編集して作り上げる動画しか出来ない。じゃあ下請けはどうなのかって思われるけど、あまりにも馬鹿にしてるような報酬で呆れる。だから自分で始めることを決意したのに…

もう頑張ることを諦めた人生に先には何もないのか?
頑張ることに執着しなくなるって、野宿生活して後ろ指差されて生きるしかないってことなのか?
傷病手当の受給期間が終わるまでに、ある程度の収入を得ようと考えていたが、もうこのままでは無理だ。

母親の具合も悪くなる一方で、いっときは歩行器を使って近所のスーパーまで行けるまでに回復したが、8月に入った頃に、腰を自然骨折し、それからまともに歩けなくなった。リハビリに来ている担当者の表情からも、もう回復は難しいのかな…と察したし。
何よりも今日、母が嫌がり続けてた介護ベッドが部屋に設置された。「病院に居るようで嫌だ」と連発している。

このまま仕事も出来ず、母親の介護もあるので
最後の手段までのリミットが近づいてるなぁと
、ここ数日何もやる気が起きなくて、自分の出来ることを模索して焦るばかりだが、もう無理なのかなぁと、自分にはもう頑張ることはできないんだよなぁ。最後まで人生を全うするって、とても苦しくて困難なことなんだな。
周りはいとも簡単にやっているように見えて仕方がないのだが…

文章書いていたら、日を跨いでしまってた。

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