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旅のスタート。こどもの里・西成

居場所団体を巡る放浪旅のスタート

2024.06.11の深夜、ついに旅がスタートした。
SoraSiroとしてこどもたちの居場所を作るため、そのヒントを得に、日本各地の色々な団体や地域を回っていく。
計画は全く無し。
10月18日のなとりのLIVEチケットを買ってしまったので、それまでには関東に戻るということだけ決めている笑

こどもの里

旅のスタート、最初の訪問先として
2024.06.12~06.15の4日間、
大阪市西成区の釜ヶ崎地域にある「NPO法人 こどもの里」に行ってきた。
この地域は日雇い労働者が多く生活するまち。
館長の荘保共子さんが、大学卒業後にこの地域に住む子どもたちと出会ったことをきっかけに、1977年、釜ヶ崎で活動をスタート。
今は、今回参加した学童保育と、さらに別の場所で自立援助ホームやプレーパーク事業など、様々なことを行っている。
学童では0歳から誰でも来て良くて、今回行った期間では、3歳頃から中学生が主に来ていた。
人数は少ない日で10人くらい。日々色んな子が次々に来る。

こどもの里は、2年ほど前に、こどもの里を映したドキュメンタリー映画「さとにきたらええやん」を見て知った。
当時、保育大学に通う傍ら、一時保護所の夜勤バイトをしていて、色々疑問を感じていた頃だった。
そんな時にこの映画に出会い、こどもの里、そして館長の荘保さんを知り、衝撃を受けたことを覚えている。
それから、いつか行きたいと思い続けていたが、大阪遠いしなとか思いながら、そして色々忙しくなり心身の暇と余裕が無くなって行けていなかった。
そしてこの春、
この旅をどこから始めようか
そう思った時に、やっぱりこどもの里に行きたい気持ちが一番にあった。
迷いに迷ったが、ここを旅のスタートにする事に決めた。
(以下からこどもの里は「里」と表記する。)

こどもたちが生きている

里の子たちは、生きてることを、身体全てを使って日々伝えてくれてる気がする。
なんというか、生きてるなあって思うのだ。
平日は15時頃から学校が終わると里に来る。汗をかきながら里に来て、「ただいまー!」と叫ぶ。
「宿題しよー!」と大人に言われながら、少しだけ遊んで、しょうがないなって顔をしながら宿題に取りかかる。
宿題が終わるとおやつを食べて、また遊び始める。

里は体を動かす遊びをする子が多い。
里に来てびっくりするのは、ホール(1階がホール的な場所で、2階がキッチンがあったりご飯やおやつを食べたり宿題する場)の中で、外でやるような遊びができることだ。
鬼ごっこしたり、ボールで遊んだり、そんなことをしてる間をスクーターで走る子もいる。
ホールと言われると学校の体育館くらいを想像するかもしれないが、そんな広くは無い。保育園とか幼稚園のホールに色々物を置いた感じ、というのが一番近いだろうか。
けれどそんな中で、室内であることを忘れるほど、こどもも大人も全力で遊ぶ。
室内バージョンで力を加減したりはしない。
全力だから、みんな怪我もするし喧嘩もする。
だからこそ生きていると感じるのかもしれない。
里の子たちを見てると自分が小学生だった時を思い出す。令和っていうより平成、そんな感じ。

そして、遊んだり、食べたり、怪我したり、喧嘩したり、、、そんな中でお互いに助け合う。
誰かが揉めてると、周りの子が大人を呼んでくる。
誰かが怪我するとみんなで心配して助ける。
小学生が宿題してるところを中学生が見守る。
遊ぶのも年齢関係なくみんなで遊ぶ。
それが、里の魅力だ。

みんなが家族。里が家。

平日、こどもが里に来ると、大人たちは「おかえりー!」と迎える。
こどもたちも「ただいまー!」と入ってくる。
それがすごくあったかかった。
家に帰ってから来る子もいるけど、ランドセルを背負ったまま学校から直接来る子も多い。
宿題を里でするのはそういう理由だ。

そして、小学校高学年や中学生の子たちはものすごく面倒見がいい。
あったかく、時にいじりも入れつつ、歳下の子をとにかく可愛がっていて、歳下の子たちが楽しめるように遊びに誘っていく。
(もちろん本人たちも全力で楽しんではいるが笑)

大人は、わざとらしくこどもに合わせない。
ありのままの自分たちで、友達みたいな、家族みたいな、兄弟姉妹みたいな、そんな距離で関わる。
それが見ていて心地よかった。

卒業生も何人か来ていた。
今来てる子達にとっても、卒業生にとっても、里は「帰って来れる場所」になっていた。
帰って来れる場所、ここに帰ったら安全だと思える場所があることは、生きていく力になっているんじゃないかと思う。
私が今回参加したのは、4日間という短期間だったが、またいつか「遊びに行く」というより「帰ってきたい」と思える場所になった。

Sケン。てんか。

里の子がよくやっていた遊び。それが「Sケン」と「てんか」
Sケンは、宝取りゲームで、S字の周りをケンケンで進みながら相手の陣地の宝を取りに行く遊び。
てんかは、全員が敵のドッチボールという感じ。自分が当てられたら休みになるが、自分を当てた相手が誰かに倒されると自分は復活できる。それを続けて最後に残った人が「てんか」(勝者)になるといる遊び。
どちらも結構激しい遊びだが、その分全力で遊べて満足度が高い。そしてどの年齢でも楽しめる。
そこが人気の理由かもしれない。
2つとも里に来て初めて知った。
シンプルだけど楽しいので、持って帰って色々な場でやりたい。

里親として

里の館長 荘保共子さんは、里親申請をしているので、里はファミリーホームとしてもこどもたちを受け入れている。
(男子自立援助ホームと新たに女子自立援助ホームを開設したため、「ファミリーホーム」としての受け入れは終了していく方向にあるとのこと)
そこも、映画を見て里に惚れ込んだ一つの理由だった。

大学の時の授業で、里親委託を行う方の話を聞く時間があった。
里親には興味があった。里親が少ないことも聞いていたので、学生のうちから何か出来ることがあるならしたいとすら思っていた。
当時はオンライン授業真っ只中で、チャットで質問できるという便利な機能があったので、「結婚していなくても里親は出来るのか」と入れた。
答えはNOに近かった。
子どもにとって片親より両親いる方がいいから、というもっともな理由に、何も言い返せなかった。
それを機に「里親」というものが自分の中から少し離れていってしまった。
それからしばらくして「さとにきたらええやん」に出会う。
そこには真剣に子どもたちと向き合う大人の姿。そして里親として子どもを受け入れる荘保さんの姿があった。
ああそうか、みんなでこどもを受け入れたらいいんだ。そしたら片親でも両親でもなく、もっとたくさんの大人に見守られて過ごせる。

今回里に行って、最後の最後にやっと荘保さんと話が出来た。
ずっと聞きたかったこと。
里親として子どもを受け入れようと思った理由。
聞くと、「そんなの簡単な話で」と話が始まる笑
以前は、児相などから子どもの紹介を受けて、受け入れていたそう。
西成は父子家庭も多く、ネグレクトになりやすい。
上の子は学校行ったりでいいが、下の子はその対象になりやすく、その分児相に話が行くと施設に直結しやすい。
急に一時保護所に入れられ、離れた施設に預けられてしまう。
それよりも、里で関係が出来た家族やこどもを、そのまま里で保護して、必要であれば里子として受け入れる方が早い。
それが理由だと。
なかなか、みんながすぐに決断できる形では無い。改めて荘保さんの強さと温かさを感じた。
「一時保護所でアルバイトをしていたから、こどもたちの居場所を作る時に、児相には繋げたくないと思ってしまう」
そう漏らすと、
「そんなの繋げなくていい」と言う。
「児相に繋げるほどのハードなケースにならないようにすればいい」と。
そうか。こどもの居場所を作るってそういうことなのか。
荘保さん。すごい人だ。
「こどもには家庭はなかったとしても家族はある」その言葉が印象に残った。
やっぱりそこを見る必要がある。
じゃあどうすればいいのか。旅をしながら、旅を終えたあとも、考え続けなきゃいけない。

近所のおばちゃん

荘保さんを見ていると、一昔前は、地域でこんな人たちがたくさんいて、近所のおばちゃんちが子どもたちの、そして親たちの居場所だったのかなと改めて思わされる。
見学最終日の夜、荘保さんが手作りの塩おむすびが入った重箱を持って帰ってくる。
子どもたちに「塩むすび食べな。上にも言ってきて」と。
最初は「いらん」と言うこどもたちだったが、結局手や口に米粒を沢山つけて戻ってくる笑
その日は食材の寄付もたくさん来ていた。
帰る子たちに、「これ持ってきな」と次々渡す。

最後挨拶に行き、話を聞きたいと伝えると、快く受け入れてくれる。
「飲む?」と自分が飲んでた酎ハイをくれた。
「夕飯まだやろ。塩むすびあんで。カレーも」と食べさせてくれる。
この塩むすびが絶品すぎて、一生忘れないと思うくらい幸せを感じた。
話しながら食べ終わると
「おかわりどう?」「遠慮せんで」と。
帰り際には寄付で来てたパンも「明日の朝ごはんに」と持たせてくれる。

翌朝の朝食に。ご馳走様でした。

みんなが里にきたくなるのは、これだからだろうと思った。
里に来れば、面倒見のいい荘保さん(みんなにはでめきんと呼ばれている)がいて、他の大人たちも沢山いて、話を聞いてくれて、こどもや大人大勢で囲んでご飯を食べて、そんな安心な生活が待っている。
一見普通かもしれないけど、一番幸せな、「生活を送る」という時間。
それは西成という地域性と、そして共働きや核家族化が進む今の時代の流れの中で、いちばん難しいことなのかもしれない。

西成というまち

こどもの里に通った期間、ココルームという西成 釜ヶ崎の商店街のど真ん中なかにあるゲストハウスに泊まっていた。
商店街を通って色々な人達を目にしながら、里に行ったり散歩したりした。
日雇労働者のまち西成。旅の出発前、「西成に行ってくる」と言うと驚かれることが多かった。
危ないまち。そんなイメージが強い。
だけど実際に行ってみたら、そんなこともなかった。
西成にいるおっちゃん達は、おっちゃん同士で集まって、喋ったりタバコ吸ったりして、自分たちの生活を、日々精一杯送り、そして、生きている。
自分たちと同じ人間だ。生きて生活してるのだ。そう感じた。
商店街は飲み屋が多い。
西成=危ないというイメージは、西成のまちの色々な要素が合わさることで、外の人たちが勝手に間違った解釈をして生まれたのだと思う。
どちらかと言うと、歌舞伎町に行く危なさに近い。夜はお酒を飲む場が多いから少し危険もある。ただそれだけ。
おっちゃんたちがいるから危ないんじゃない。それは、勝手なイメージから消していかなきゃいけないと、今回行って感じた。
西成の人々も日々生きて生活しているのだ。
西成に限らず、どこに居ようが、どこに住もうが、どこで生活しようが、皆同じ人間であり、それぞれ生活をし生きている。
それを忘れてはいけない。そう考えるようになった。

まちのなかで、様々な人が会話する姿があった。
自転車に乗りながら挨拶するおばちゃん。
何やら真剣に話しているママさんたち。
タバコをふかしながら会話するおっちゃんたち。
西成の人たちは、みんなで助け合って生きている気がする。

移動手段も面白かった。
商店街に行くとみんな、歩いているか、自転車・車椅子・シニアカーのどれかに乗っている。
かなりの数の人たちが行き交う。
しかもみんな結構なスピード。
運転技術高すぎ!と言いたくなるほど、西成初心者が入ると何かにぶつかりそうになる。
4~5日過ごしたが、あの中を歩くのは、なかなか慣れなかった。みんなどうやってぶつからずにスイスイ進めるのだろう笑

このおばちゃんは三輪車かな。猛スピードでした笑

自転車で思い出したが、大阪の女性たちの自転車には、日傘を付ける便利グッズが必ずと言っていいほどついている。
なんとも便利そう。あまりにもみんなが使ってるのでつい買いたくなってくる。
あれは最近の流行りなのだろうか?笑

想像以上の猛暑。必ずといっていいほど↑がついてる。

発達障害はどこから生まれたのか

「発達障害」
今は世の中にこの言葉が溢れすぎている。
発達障害という言葉があることで生きやすくなった人もいるだろう。
前にも書いたが、LD(学習障害)を持つ人は、周りから理解されやすくなるという意味で、特にそうだと思う。
だけど、西成で過ごして、発達障害という言葉に疑問も湧いた。
里の子たちはそれぞれ色々抱える。
家族のことも、学校のことも、障がいも、それぞれの得意不得意も。
だからみんな互いの違いと向き合い、何となく受け入れ合い過ごしている。
もちろんからかいに近い言葉になってしまうことも多い。
だけどみんなどこかで、それぞれ何かを抱えていることをわかって過ごしている。
「鼻くそほじった」とある子が言う。
「そんな時もあるやろ。」と大人が返す。
「みんなそんな時もある」
いい言葉だ。
発達障害に限らずみんな何か抱えたり、違いがある。
里はそれをまるっと受け入れあっている。

もちろん親たちは色々悩みがあると思う。
けれど発達障害云々を言うより、それ以前に、毎日生きることに精一杯だ。
「発達障害」を気にする生活は、ある意味贅沢なのかもしれないとすら思った。
否定するわけではない。
日本社会の中で、それを気にしなければならない、気にさせてくるような環境があるのも現実で、その生活を送る家族の大変さも少しは知っている。
「発達障害」という言葉は、誰が作ったのだろうか。
「発達障害」は社会が生み出したんじゃないだろうか。
もう一度、発達障害というものを考えなきゃいけないような気がした。

西成の子

西成のイメージは今回行ってみて変わった。
けれど、課題が山ほどあるのも現実だった。
里に来てる子達は、日中親が働いていて家にいないことが多い。
ネグレクトに近い家庭も。
里は昼食が幼児¥200、それ以上の子は¥250かかる。
休日は一日解放されているが、お金が無いと昼食が食べれない。
だから、一日いるけど昼食を食べないで過ごす子も何人かいた。
午後になって「お腹空いた」と。
スタッフが聞くと、家にいる時も火を使った料理は出来ないので、卵がある時は卵かけご飯を食べてるそう。
「じゃあ今日はおやつ豪華にしとくわ!」とスタッフに言われ、やっと笑顔が戻る。
私が参加した最終日は土曜日で、午後から近くの老人ホームで開催する、ボードゲームカフェというイベントにみんなで行った。
お昼を食べてない分、置かれたお菓子を物凄い勢いで食べていく。
ジュースも何回もおかわり。
「無料で食べれるって良すぎない!?」と小学校低学年というより、バーゲンで喜ぶ主婦のような発言。
食べれるとこで食べる、充分に食べれない時もある、家では何かあれば食べれる、そんな生活をしてる子も少なくないのかもしれない。

話を聞くと、兄弟姉妹も多かった。
年長の子に「お姉ちゃん何歳やと思う?」と聞かれる。
あ、お姉ちゃんいたんだ。
クイズは終わると続けて言う。
「じゃあ次な。お兄ちゃん何歳やと思う?」
お兄ちゃんもいるのか!
そんな感じで次々でてくる。
「ママ入れて8人家族やで」という子もいた。
里の事業報告書を貰ったが、西成の子たちは、異父母兄弟がいる子も多いと書いてあった。
兄弟姉妹が多いのにはそんな理由もあるのだろう。

こどもたちそれぞれ、色々抱えているからだろうか。
みんな、年齢よりも大人っぽく見えた。
保育園から帰ってきた子たちと話していても、あまり年齢差を感じない。
みんな遊び始めると子どもらしい顔が沢山出てくるのだが、むしろそんなところを見ると安心するくらい、
ただ話しているだけだと年齢が分からなくなる。
「疲れたわ」ともらす子もいた。
こどもたちは、毎日毎日、一生懸命に生きている。

4日間という短期間の中では、こどもたちが家でどんな風に過ごしているかまでは知ることが出来なかったが、きっと想像以上に毎日を生きるのが大変な子達も多いのだろう。
そう思うと、釜ヶ崎にこどもの里があることは本当に本当に大きな意味になっているのだと思う。


書き忘れていることは沢山ある気がするが、
長くなりすぎたので、ここら辺で「こどもの里・西成 編」は終わりとする。

最後に、
あたたかく受け入れてくれたこどもの里の皆さん、素敵な宿泊場所を提供してくれたココルームの皆さん
ありがとうございました。


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SoraSiro

立ち上げ人 むぎの

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