見出し画像

なんでもない日

幾許かの強さを備えたつもりだったし、実際に私は屈強である。身も心も。

たまに、いっそ殺してくれと言いたくなる頭痛に襲われる。それが昨晩だった。前回は学生の頃だったから12年ほど前か。
頭痛に、吐き気、嘔吐、下痢を伴うのでトイレでくたばっている。翌朝見ると普段ほとんど飲まない鎮痛剤を飲んだあとがいくつかあった。
何事も無かったような今朝だ。よくできている。


何年か前に愛する家族を見送った。
通夜はせず連休中日の葬式に200人以上が参列してくださった。
たくさんの知らない人がいてたくさんの知らない人が泣いていた。
この日 私は父の父親ではない側面をたくさん聞いた。知らない人から「娘さんですか?お父さんから話はよく聞いてます」と何人にも言われた。前の職場の人とか取引先の人らしかった。
泣きながらお礼を言ってくださる人達の話を聞いてたくさんお礼を言った。
香典袋にお手紙を入れてくださった方々にはお礼の手紙を書いた。字が汚いことを悔やんだ。
兄が亡くなったときに何もしなかった(できなかった)ことも後悔した。

家族にはバレてないが葬儀屋と少しもめた。だってもうわからんよ。わからん。住職と父の親戚に「貴方が喪主なのだから貴方が決めれば良い」と言われ、振り切って走りきったと思う。相談できる人もいないし、ダメだったら父になんとかしてもらおうって本気で思っていた。父の葬儀なのにね。
諸々決めてから、家族や親戚に丁寧に報告して指示するのが私の仕事だった。
この期に及んで、何を選択しても傷はついてしまう。私がしたのは傷口に塗る塩をできるだけ少なくすることだった。
どうしてそんなことをするんだと怒鳴られたり理不尽に当たられたりもしたね。でも間違いは無かったと思う。

葬儀のあと、前だったかな?まぁそのあたりに、
父が夢に出てきた。
夢で父は「どうしてそんなことをするんだ、助けてくれ」などと言っていた。申し訳ないが父はそんなこと絶対に言わない。頭沸いてんのかバカにしやがって。

父は、父親(私の祖父にあたる)を事故で亡くし母子家庭で育った。
十年ほど行方不明だった叔父は、兄と祖母が亡くなった年に病死し遺骨だけ引き取っていたらしい。
父が高校を卒業して働きながら家に仕送りをして夜間の大学で建築の勉強して一級建築士になった話は、幼い頃に母から聞いた。私が18歳まで過ごした実家は文字通り父が建てた家だった。


父が友人に貸して踏み倒されそうになったお金は私が取り立てている。新たに債務承認弁済契約書を取り交わしたが音信不通になったので、警察に安否確認を依頼し、職場を調べ、調停して、遅延損害金も乗せて、今年完済予定だったか。
母は怒り狂っていたが、私は父の友人というだけで何の思い入れもなかった。ただ、事の顛末を聞いてから諸々作業進めるうちに、舐めんなよクソが、という気持ちにはなった。
調停の日に、申し訳ないことをしたなどと涙ながらに言ってきたが、私は謝罪を受けとる立場にないと断り、私自身には貴方に対して怒りも悲しみも無いし、許すも許さないもない。と真っ直ぐ目を見て言った。




ターニングポイントがあるとすれば、に続けて書くつもりだったけどぜんぜんターンできてなくて書けない。ただ、停滞もしてないと思うので悪くないよ、まぁこのへんで。


昨日の死にたい頭痛が嘘のように無くなった、秋らしく冷えた朝より

サポートありがとうございます。文を書き続ける活力、生きる糧にします。ほんとうにありがとう。